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 不二子(ふじこ)はリュックを落とした。  ここはマンション3階のベランダ。といっても、壊れるものは何もないだろう。スマートフォンも、タオルや着替えがクッションになって守ってくれているはずだ。  鉄の手すりには触れないように身を乗り出し、脚を大きく掲げて身を反転させる。笠木に引っ掛けた指と、でこぼこの壁に押し付けたつま先だけで全体重を支える。  腕と脚が筋力の限界を超えて震える。しかし、この苦しみは最大の快感の前の沈黙に過ぎない。大きな花火が夜空に咲く直前の、一瞬の静けさと同じ。  次の足場を確認する。斜め下、隣の塔のベランダの角。いわばマリオの壁キックの逆で、ベランダとベランダの壁を蹴るように下りるイメージである。  息を吸って、止め、壁から離れる。目標地点についた後は休みなく足場を蹴って体を捻り、地面をよく見ながらくるくると回転する。服が空気を切る音がこの上なく気持ちいい。  落下エネルギーを遠心力に分散させ、ここだと思ったところで両脚を踏ん張り、着地と同時に膝を曲げる。  慣れれば痛みは感じない。体に溜まった熱が一気に放出された解放感と、あんな高いところから飛び降りることができた誇らしさに胸がいっぱいになる。
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