#4+ 肉食と呼ばれた男 ~Embrace~

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#4+ 肉食と呼ばれた男 ~Embrace~

 運転代行サービスの男は、時間通り一〇分で有楽を迎えにやってきた。  バーを出ると時雨れていた空が晴れて、街の灯に染まった赤黒い夜空がビルの隙間からよく見える。 「予定を少し変えたいんだけど」  そう言うと、運転手は明るくかまいませんよと返す。  こんな時間でもやってる花屋がこの近くにあるはずだ。花を買ったら、車だけ先に自宅へ戻し、自分はタクシーを拾おう。  花屋はこんな時間というのに、客がいて、有楽は二組ほどの客を待つ羽目になった。一組目は英語と中国語で話していた外国人、次は派手めな服装をした水商売風の男女だ。  五千円札を渡し、派手すぎず、品のよい花束を作ってくれと注文する。  まあたぶん、あいつはそんなこと気にもしないだろうし、花の名前すら知ってるか怪しいものだが。  ―――いや。  仁の起こした事故の調査をしていた警察が、自殺の可能性を打ち消したとき、その理由のひとつとなったのは後部シートいっぱいに積まれた胡蝶蘭の花だったと聞く。  手術で命を取り留めた仁の母親が、温室栽培で咲かせた鉢を、出産の前祝いに留衣へ贈ったものらしい。  仁はその写真を撮って、携帯メールから留衣へ送っている。 『鉢植えの世話なんかできないって断ったんだけど、見せるだけでもいいって。留衣が好きな花だしね』  そうメールを送り、連絡を絶った。  白い花束を抱えて車に戻ると、運転代行の男が奥様にですかと軽口を叩く。 「あー……いや、その」  考えてみれば、こんな時間なら墓地も施錠されてるか。だが――― 「……うーん」  そもそも、この花は嫁に買ったわけじゃない。  うっかり彼女に渡せば、葬式かと笑うだろう。真っ赤一色か、せめてベージュや青のはいったデッカイ薔薇の花束ならともかく。  気持ちが揺らぐ。  嫁も、墓も違う。  有楽は時計の針とにらめっこした。 「お供しますよ。わたしはかまいません、仕事ですから」  かなり遠くなる。埼玉と群馬の県境だと告げても、運転手はひるまなかった。  ガソリンだけ都内で補給して行きましょうと言われ、有楽は拝みたいような気持ちで、彼にありがとうと小さく頭を下げる。  仁は留衣に胡蝶蘭の写真付きメールを送った後、東北自動車道に乗った。  看病で疲れているのだし、明日の朝に列車で行けばいいと家族に言われたのに、夜のうちに出たいと、わざわざ叔父の車を借りたらしい。  母親が蘭の花を持たせたのは、彼女と仁が和解したからなのか、母親の経過が思ったよりよく、留衣を迎えに行こうと仁が思ったからなのか―――  そのあたりの経緯は、有楽にはわからない。  ただ仁の運転する車が、北に向かうことはなかった。  途中で東北道をいったん出て、逆走する。そのまま乗り換えた高速道を南下し、群馬、利根川を超えたあと、羽生で一般道へおりた。  都内を抜け埼玉に入った辺りで、また雨が降ってきた。 「今年はやたらとデカイ台風が続いて、晴れ間が少ない。またこりゃあ、雨かなあ……」  前方で運転手の独り言が聞こえ、有楽は窓の外を見た。 「ほんとだ」  あの日の夜も、こんなふうに雨が降ったりやんだりしてたんだっけかな。  そんなことを考える。  あいつの車が、利根川の橋を越えたときはどうだったんだろう。一人で車を走らせ、あと少しで東京に戻るというところで。  そもそも、なんで北でなく南に、あいつは向かったんだろう。  羽生市内へ抜けたあと、しばらく仁は迷走する。  利根川の堤防付近を西へ走り、またぐるりと車を戻して今度は東へ、そこからしばらくは警察も足取りがつかめていない。  最後に彼と話をしたのは県道六〇号線沿いのコンビニエンスストアの店員だ。  それすら事故現場からは一〇キロメートル以上離れている。  花をたくさん積んだ車だったという目撃情報も、そのコンビニの駐車場が最後。  ときおり強い雨が降る、暗い真夜中の住宅と畑が延々つづく道を、あてどなく仁は彷徨っていたのだろう。そして―――  ブレーキ痕はなかった。  車はY字になったカーブに減速せず、ハンドルを固定したまま正面から突っ込んでいる。  居眠り運転による自損事故と、警察は判断した。  事故現場は、前に一度きた時とはかなり様変わりしていた。  仁の車が激突したという工場の塀も取り払われ、今は広々とした市の福祉施設になっている。  道路を挟んだ向かい側には、大型駐車場をそなえた家電ストアとコンビニエンスストアが並んで建っていた。  ちょうど雨がやんだので、車をコンビニわきの駐車場に寄せ、運転手を残して有楽ひとりが降りた。花束を抱え、現場で手を合わせたらすぐもどるつもりで、傘も持ってない。  福祉施設は夜間施錠され、常夜灯の青白い光が黒く濡れたアスファルトの道を光らせている。  道路を横切り、少し行ったところで、ふと有楽は足を止める。誰かが先に供えたらしい、自分が抱えているのに似た白い花束が、遠目に見えたからだ。  そして、その前に座り込み、じっと手を合わす黒い服を着た誰かの姿も。  仁の死後、本陣時代から続く家業のホテルと本家は、叔父が継いだと聞いている。  結城家は告別式も四十九日も、全ての報道、業界関係者を閉め出した。  有楽が、仁の墓前に手をあわすことを許されたのは、告別式から数ヶ月後、所属事務所が設けたお別れの会でのことだ。  そこで消えてしまうのではないかというほど痩せてやつれた留衣に、会った。  留衣の子は、仁が死んだ明くる日に、流れた。  医学上は死産になるらしいが、とても小さく、出血したときすでにお腹の中で亡くなっていたのだそうだ。 「あのひと―――さびしがりやだから……連れてっちゃったのかな」  そういう留衣が今にも倒れてしまいそうで、有楽はかける言葉すら見つけられないまま、ずっと俯いていたのを思い出す。  車椅子姿で、遅れて会場に乗り込んできた仁の母親は、留衣と話す有楽の姿を見つけると鬼のような形相で近づいてきた。 「そう。あなたが、東京の」  ちゃんと名乗って挨拶もしたのだが、有楽は名前を呼んでもらえず、言葉も聞いてもらえない。 「ああ、そうですか。あなたが……」  彼女もまた病み上がりだった。そもそも会話をしたいと思っていないのだろう。有楽を見据え、ひたすら同じ言葉を厭くるまで繰り返す。  まるで、仁が東京にいる誰かのために、事故にあったというような顔をして。  仁によく似た、色白の細面になじられるのがいたたまれず、有楽は頭を下げて会場をあとにした。  そうでなければ、彼女の前に身を投げ出してしまいそうだったからだ。  胸に溢れる後悔や懺悔を、浅はかにも許して貰いたいと考える自分に、気付いたからだ。  いや、入り口で大和に呼び留められなければ、すぐに引き返し、実際そうしていたと思う。 「……有楽さん」  だが、有楽は思いとどまった。  赤い目をした大和がそこにいて、有楽の手を取って、ぎゅっと握りしめる。 「来てくださってありがとう―――お兄、きっと喜んでます」  でも俺は。そう口ごもった有楽に、大きな手にこめた力を少し抜き、大和は笑った。 「いえ。お兄は、絶対喜んでると思います」  ありがとう。  そう言葉にできず、有楽は目を伏せる。  その代わりに、握られた手を堅く握りかえした。  それでようやく、心の中にわだかまった悔しさや悲しみが、一気にあふれて流れた。  ほとんど身長差のないふたりが、肩を抱ける相手は珍しい。しばらくそうして、大きな互いの体を借りて、俯いていた。  大和は、そのあとも持ち前の明るさで、仁の死後のUBARAと業界関係者、友人たちの間をうまく取り持った。  留衣はひたすら仁の残した音楽を昇華させ、凝り固まった業界で天才を遺憾なく発揮し、ついにUBARAを世界の最前線へと押し出した。  今も全盛期のUBARAのステージ映像を再生すると、青いピンスポットに照らされて歌う留衣が、有楽には仁と重なって見える。細く絞った美しい声と、月光に照らされた陶磁器のような膚が、あのころの仁を思い出させる。  それでも―――  仁だけがいなくなった世界で、月日は矢のようにすぎていく。  有楽もまた、ゆっくりだが少しずつ回復し、ふたたび歩き始めた。  結局、植え込みの影で、煙草を二本吸い終わった。  目を戻すと、手を合わせていた誰かはいつの間にか居なくなっている。  UBARAの、仁のファンだろうか。  有楽のいた場所から顔まで確かめることはできなかったが、黒っぽい服装といい、ただの月命日に随分と熱心だ。  またぞろ、うすら雨が降り始めた。  雲に隠れた空も、白み始めている。  花束を捧げようとして、ふと先客の置いた白いカラーの花に目をやる。 「―――へえ」  思わず声がでた。  そういえば、仁がなんどか有楽に言ったことがある。ファンによく貰うのだと。 『最初みたとき、水芭蕉かと思って』  いや違うだろう。全力で否定すると、そうかなあと何度も首を傾げ、でも水芭蕉もこの花も、花っぽくないところがいい、この静かな佇まいが好きだと、照れたように笑った。  ―――誰かは知らんけど、ちゃんとあいつのこと、わかってるんだね。  そう思って傍らへ自分の花を置き、しゃがみ込む。  手を合わせようとして、足元に何かあると気付いた。真新しい。雨の射すアスファルトに敷かれた紙の切れ端と光るもの。文字が見えたので、ついたぐる。  その懐かしい輝きに、息を飲んだ。  ―――お返しします。これからは、どうかあなたが持っていてあげてください。  文字の意味を察し、有楽は指輪を掴んで立ち上がる。  ちょうどコンビニの駐車場から、立ち去る白い乗用車が目に入った。  慌てて追いかける。 「留衣っ!」  複雑な気分だった。  今年で―――ああ、もう十一月には十三回忌か。  十二年。絶対に無理だと思ったこの長い時間、なんとかかんとかやってきて気が付けば―――あいつも、こいつも、あの子も、この子も―――  大切なひとが居なくなった穴を必死で埋めながら、前を見てがんばってきた。  仁の死後、加熱する報道を鑑みて、地元警察は改めて事故死を発表した。  報道が鎮火すると、関係者も、ファンも、みな彼を不慮の事故死を遂げた天才として、今なお悼んでいる。  だが、有楽には誰にも言わず、言えず、この十二年ずっと心に秘めていたことが、ひとつあるのだ。  最後の数日間。  有楽の自宅で療養しながら過ごしていた仁が、何を探し、何を調べていたのか。  有楽だけが知っている。  たまたま残っていたPCの履歴は、すべて番に関するものだった。  なかでも番を解消する方法、Ωの身体に負担をかけずホルモンなどの薬餌療法を併用しながら、心に刻まれた契約の傷を解く方法―――  歴史上ながく研究され、完成すればノーベル賞がとれるとまで言われるこの難問を、彼なりに調べまとめていた跡があったのだ。  そして、その履歴の最後。仁は匿名で、とある経験者とメッセージのやりとりをしている。 『わたしの場合、縛りを解くきっかけになったのはパートナーの死でした。彼が病死し、彼の死をわたしが受け入れることで、番は自然に解消されたのだと思います』  最後の数時間、車内でひとり仁が何を思い、何を考えていたのかは定かでない。  だが、仁が東京に残してきたものが、有楽だけでなかったのは確かだ。  パパラッチを捲きながら、たびたび有楽の家に兄を訪ねた大和に、仁はいつも同じことを尋ねていた。 「―――どう、体の調子は?」  そう言われるたび、大和は笑いだし有楽に訴えた。 「何言ってんのよーもう、それは俺の台詞でしょ、お兄」  そうか、と仁も釣られて笑う。  笑いながら、また数日後に弟が来たら、おなじことを問いかける。 「大和、調子はどう? 元気でやってるか」  大和は笑って、有楽に訴える。 「もう、ちょっと何。有楽さん、お兄が惚けちゃったよー」 「ぼけてなんかないわ」 「じゃあ……過保護?」 「過保護は、このひと」  唐突に矛先の向いた有楽は、勘弁してくれと笑い返す。 「うっせぇわ。まあ、兄貴なんてそういうもんなんじゃないの」 「そうそう」 「えーそうなの?」  仁は、決して強い人間ではなかった。  だが、死んだ人間が弱いとは限らないように、生き残った方が強いとも限らない。  だから、おのおの抱え持ったものと向かい合い、必死にもがく。  死んだ方がいい人間など、存在しない。  死の瞬間まで生きた仁も、そうであったと有楽は思っている。  しだいに雨が強くなってきた。  結局、留衣は追えず、指輪を握りしめ、有楽は車に戻る。運転手は乾いたタオルを数枚と、温かい缶コーヒーを差し出してくれた。  礼を言い、受け取る。  仁の指輪には、明け方のぼんやりとした光で見てもわかるほど、くっきりした傷が二カ所も残っていた。  きっと最後の瞬間まで身につけていてくれたのだろう。だから留衣は今まで、これを有楽に見せなかったのかも知れない。  有楽がそうであるように、留衣にも留衣の抱えたものがある。  ―――おつかれ。  伝えられなかった言葉を改めて飲みこんで、有楽は指輪を握りしめた。 「毎月だそうですよ」  運転手が静かな声で、語りかけてきた。 「さっきの方。十二年間、ほぼ毎月―――ああして手をあわせて。朝になったら施設のご迷惑になるから、申し訳ないけど花を片づけてほしいって。そう言って、コンビニのかたに心付けをされるそうです」  え?。  顔をあげて、有楽は窓の向こうの風景をもう一度見やる。 「ご家族か……いや、あれはファンですね。熱心な」  ポケットの中に転がした指輪をまた手の中に戻し、しばし向き合う。  もう涙は出なかった。いや、出ないと思ってた。  時計の針へ視線をなげる。  午前四時二五分―――十二年と九か月前。たったひとり知らない場所で、仁はずっと迷っていたのだろう。そこから先を生きるため、必死でもがいていたのだろう。 「―――まだ、俺たち幸せになれるかな」  なぜ、うん、そうだと、あのとき俺は言えなかったのか。  たったひとこと、そう言ってやれれば。  一緒に生きることも。  あるいは死ぬことも―――  なにもかもが詮無い。  でも、これが全てだ。  人の生き死にには、可も無く不可も無い。  年甲斐もなく、目からボタボタと大粒の涙がこぼれ落ち、伏せた顔から車のシートを濡らした。  痛かったか。  つらかったろうな。  指輪に残った傷を撫で、これまで十二年間ずっと留衣がかけてきたであろう言葉の数々を、こんどは有楽が問いかける。  だけど―――きっと、あっという間だ。  そのうち俺もそっちに行くから、そのときには待たせた年月の分、おまえの愚痴でも甘えでもなんでも聞くから。  ―――待ってろよ、仁。  俺もおまえに言いたいことが山とある。有楽は頬をこすりあげた。  ―――そうだな……最初は……やっぱり。  愛してる。  恥ずかしくても、きっとそうなる。  力いっぱい抱きしめる。  会ったらきっと、もうそれしかなくなってしまう。だから。    ―――今度は、一緒に幸せになろうな。  心からおまえを愛してる。
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