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 ある休日の朝のこと。わたしは未だ寝ぼけている頭をダイニングテーブルに預け、はす向かいでコーヒーを淹れているひとをぼんやりと眺めていた。  彼は焦げ茶色のドリッパーにお湯を注いでいく。琥珀色に染められた滴がガラスのサーバーにぽたりぽたりと落ちていく。立ち昇る湯気は彼の顔を撫で、鳥の巣みたいな寝ぐせ髪の間をすり抜けていく。湯気に混じったかおりの粒子は四畳ほどのキッチンスペース中に広がり、私の鼻孔にたどり着く。香ばしさの中に独特の甘みを感じる。換気用の小さな窓から入るやわらかい光がサーバーをぽうと照らし、しっとりと輝くそれは飴のように見える。私は自分の肌や髪がコーヒーのかおりを吸い込む感覚を心地よく思う。伝わるだろうか。飴を食べたときの口の中に糖が広がるあの感じ。  早く飲みたいな。 「ねえ、それいつ終わるの」 「だまれ」  もう少し言い方があると思う。  彼はドリッパーから少しも目を外さず、お湯を注ぎ続けている。 「・・・・・・」  彼はコーヒーを淹れているときに話しかけられるのをとても嫌う。普段はもっと穏やかで、いやそんなこともない、普段もたいがいこんな感じだ。愛想が悪くて、気分屋で、しょっちゅうイライラしている。何を考えているのかよくわからない。あと顔が怖い。  かれこれ10分以上経つが一向に終わりが見えない。彼はお湯を少し足し、また少し足しを繰り返す。慎重すぎないか。注ぐお湯の量が少ないとフィルターを通り抜けるのにも時間がかかるのだ。それを指摘すると今みたいにむき出しの刃が飛んでくる。彼のそんなところが嫌いだ。 「この前さあ、」  私は彼の機嫌などおかまいなしに話しだした。ちょっとした反抗だ。友達といった個人経営の喫茶店の話だ。店内は年季の入った駅舎のような雰囲気で、暖色系の照明が並んだサイフォンを鈍く輝かせていた。長い時間をかけて店主の奥さんが集められた様々なカップがカウンター奥の戸棚にずらりと並んでいる。その中から好きなものを選び、店主こだわりのブレンドを注文した。やけどしそうな熱々のコーヒーは友達との終わりのない会話の中で冷ましてしまったけど、店主の奥さんがつくるケーキとの組み合わせは最高だった。 「・・・・・・」  私を黙らせることをあきらめた彼は耳と心を閉ざしたようだ。
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