地球

5/27
前へ
/109ページ
次へ
 予定より二日早く地球が肉眼で見えるようになった時、身体が震えたのがわかった。それは目に見えるような振動ではなく、肌の表面が細波を立てるような感じだった。  太陽系とはかけ離れた銀河系に地球は在って、太陽より弱い恒星の光を浴びて、地球は変わらず輝いていた。計測値では直径が約二・二キロメートル小さくなっているが、肉眼でその違いを測ることはできないぐらいの違いだ。それ以外は何も変わっていないように見えた。  見て、確信した。これは地球だ。僕の全身がそう叫んでいる。 「さ、降りるわよ。準備はいい?」  僕よりリサはずっと冷静だった。いつもと何も変わらなかった。少し口数が少ない気がするぐらいだ。彼女はあまり地球に未練があるようではなかったから、当然なのかもしれない。価値観の違いだ。気にする必要はない。 「降りる場所は日本でいいのよね。あら、良かったわね。日本の大陸の形はあまり変わってないわよ。北海道の形っていつ見ても面白いわね。函館の部分なんて骨と骨を繋ぐ間接みたいよね」  操縦席で一人ではしゃいでいるリサを見て、口数が少ないのは気のせいだったと思い直した。彼女が口を閉じているのは眠っている時だけだ。 「日本の、東京でいいのかしら」 「うん」 「ちょっと漣、感慨に耽っているところ悪いけれど、操縦を手伝って下さらないかしら」 「やってる」 「あなたね、それを手伝っていると言うなら、呼吸をすることで空気の循環に役立っていますと言っているようなものよ。本当、あなたって一つのことに集中すると他のことが手につかなくなるんだから。不器用すぎよ。もうちょっと集中を分散する能力を伸ばした方がいいと思うわ」  リサの悪態も耳に入らない。僕はもう地球に夢中だった。  操縦席のモニタを全画面に広げ、進行方向のカメラをオンにする。モニタは真っ白だった。大気圏を通って雲の中に入っている。耳の横で太鼓が鳴っているかと思うぐらい心臓の鼓動が激しい。宇宙船の振動はほとんどないのに、息が止まるかと思った。この白い霧を抜ければ、地球の大地と海が僕を待っている。  白を抜けた。  青い海が見える。  大きなユーラシア大陸が目に入る。相変わらず広大だ。  そしてその横に、小さな日本が見えた。その姿を見た時の僕は、リサでなくても鼻で笑いたくなるぐらい間抜けな顔をしていたと思う。  口を開けて、目を見開いて、僕は地球に魅入っていた。およそ百年ぶりに出会った日本だ。それはもう、感動的な再会だった。泣きたくなるぐらい、叫びたくなるぐらいだ。横にリサがいなければ、そうしていただろう。  日本の面積も、計測値を見ると少し小さくなっていた。地球の直径が縮んだ影響かもしれない。太陽系から移動した時に何らかの負荷がかかったのだろう。これだけ大質量なものが移動するのだ。それぐらい当然だと推測できた。  宇宙船は地上へ向かう。リサは案外宇宙船の操縦がうまい。運動能力が欠如している代わりに手先が器用なのだろう。そういえば実験の操作も滑らかだった。音と衝撃を最小限に、日本の東京の川辺に降り立った。  宇宙船から地面に向けて足場を掛ける。ゆっくりと、そこを下り、地面を踏みしめた。不思議なことに、百年経っても日本の景色は僕が住んでいたころとほとんど変わらない。太陽がないので、薄暗いという点ぐらいだ。電気を点けている家もないので、夜空の星が綺麗に見える。 「やっぱり地球だったわね。ここは江戸川? 荒川だったかしら。水の匂いがする」  美しいわ。リサが夕暮れみたいな空を見上げた。彼女の視線を思わず追ってしまう。薄く紫がかった空が視線を上げるほど闇を深めていき、深い闇ほど星の瞬きが増えていく。風が吹いて草が揺れ、その存在を示すようにさわさわと音を残していく。  故郷に帰って来たのだという想いが胸の中で膨らんでいく。僕は両手を広げて全身で地球を感じた。幾つもの大きい星も、幾つもの文明の発達した星も見たが、地球の美しさには叶わなかった。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加