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彼女の言うように、住宅全て灯りが消え、そして誰もいなかった。
犬も猫もいない。鳥すら飛んでいない。僕はきっと浮かれすぎていたのだろう。さすがに少し、おかしく感じてきた。これだけ人気がないのはおかしい。もしかしたら、ここの地帯の人たちはみんな宇宙に飛び立ってしまったんだろうか。
空気もなんだか重いというか、濃い気がした。濃霧が出ている時みたいだ。視界はクリアで、湿度を感じるわけではなかったが、空気が肌に纏わりつく様な気がする。
十二分歩いて見えてきた灰色の二階建てのアパートメントの前で僕は立ち止まった。またリサに嫌味を言われそうだけれど、僕はそのアパートを見上げて感慨に耽っていた。ハルと住んでいたアパートだ。
例外なくここも灯りは消えている。物事はそんなに簡単にはいかないらしい。
気を取り直して、中に入っていく。建物の中に入ると真っ暗だったので、持っていた小型ライトを点ける。半径三メートルぐらいが照らされる。
住んでいた201号室の扉は、僕が月へ行く前のままだ。そういえば鍵がないと思ったが、ノブを回してみると、簡単に開いた。不用心だなと思いながら、もしかして中にハルがいるのかもしれないと考えるとまた高揚してきた。それを感じたのか、リサに「変態漣」と吐き捨てられた。
しかし僕の願い空しく、中は真っ暗で、ライトで照らしてみても、誰かいる様子はなかった。部屋をゆっくりと見渡してみる。懐かしい1LDK。
壁に貼ってある写真とか、クッションがいっぱいあるベッドは何も変わっていない。本棚には見知らぬ本が増えていて、ハルが読んだのだなとわかる。
「水、出ないわね」
リサは水道の蛇口を何度も捻っては締め、捻っては締めていたが、諦めたようだった。僕は動いていない冷蔵庫を開けようと決心する。暗闇の中で動かない冷蔵庫は異様に重い雰囲気だ。
開けてハルの死体が入っていたらどうしようと思い怖くなる。びくびくしながら手をかける。開ける。死体は入っていなかった。安心する。中に水の入ったペットボトルが入っていて、僕はそれを手に取る。
「賞味期限が地球の消えた年になってる」
それは百年以上も前の日付。どういうことだろう。
僕の思考は停止しかかっている。これは珍しい状況だ。でもたまにある。僕はこうなった時の僕の心理状況を知っている。百三十歳にもなればわかってくる。僕は、今目の前のことを考えたくないと思っている。だから思考が停止するのだ。わからなくても、考えようとすれば思考は動く。
リサは僕の手からペットボトルを奪い取った。賞味期限をちらっと見て、必死な形相でキャップを開け、匂いを嗅いで問題ないことを確認して、それをそのまま飲んだ。よっぽど喉が渇いているのだろう。
「大丈夫ね。腐ってないわ」
僕はもう一度冷蔵庫を開け、中に入っているものを確認していった。
プラスチックパックに入ったままの玉子が四つ、やかんで沸かして作った麦茶の入ったデカンタ、タッパーが二つ、その中には千切りのキャベツと人参がそれぞれ入っている。
それからマヨネーズとかケチャップ、ソースとか練り生姜のチューブとかの調味料。豚肉もあった。アメリカ産の細切れ肉だ。
消費期限は地球が消えた日になっている。全て腐らずにそこにあった。
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