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―― へたくそ。まだFも押さえられないの?
笑いながらそんなひどいことばを吐いてわたしのあたまを軽く小突いた直樹は、それから間もなくバイクの事故で死んだ。
あれほど、わたしの不器用さを笑っていたくせに、
あれほど、得意げに色んなことができるって自慢していたくせに。
サークルのメンバーと高原にツーリングに行った時、そろそろお昼を食べにいこうか、って緩やかな丘の道を、一列に走っていたんだって。
直樹はどこでも人気者だったし、誰にでも好かれていたし、何でもじょうずにできたから、サークルでもいつも先にたって何でもこなしていたんだろうな。
バイクで一列に走っていた時も、もちろん
「先頭だったんだ、アイツ」
とすぐ後ろについていたという石垣さんが、後から教えてくれた。
「不思議なんだよな……特にハンドルをとられたとか、そんな事じゃなくて、自然に身体を傾けて、こう、右にさ、まるでそっちに道が続いているかのように、反対車線に滑って行っちまって」
迫ってきた対向車は、たまたま大きな貨物トラックだった。
ドクターヘリに乗って、少し離れた病院に運ばれたけど、もう全然間に合わなかったんだって。
ヘリにいっしょに乗ることは、誰もできなかったのだそうだ。
ユウナが手を挙げたけど、ダメだって言われたんだって。
それだけは、ちょっとうれしくて、いけないことなんだけどわたしは少し笑ってしまった。
もちろん、誰もいないひとりっきりの部屋で。
笑みを浮かべたまま、窓の外、灰色の雲間からのぞく青い空の切れはしを見上げる。
梅雨はやっと、終わったみたいだ。
「ナホはぶきっちょだから、バイクの免許を取りたいんだったら先に言えよ。
俺がつきっきりで教えてやるからな。とにかくさ、バイクってのは、転ぶんだから。
特にお前みたいのはぜったい、ぜったいに転ぶんだから」
そんな声が空のどこかから聞こえたような気がして、わたしは窓辺に背を向け、顔を両手で覆った。
わたしはすぐ転ぶし、何をやってもぶきっちょだし、ユウナさんみたいに運動神経もよくなかった。
だからあの日もついていけなかったんだ、あなたに。
いつも保護者じみた言い方で、心配しているのか面白がっているのか、くどくどと色んなアドバイスをしてくれた直樹。
あんなに人に注意ばっかりして、自分は何よ。
だから嫌いなんだ、あなたが。
ついていけなくて、良かった。
嫌いで、良かった。
それでもまだ、言ってやりたいことはいっぱいある。
他にも教えてやるよ、って言っていっぱい約束したけど、ひとつも果たしてくれなかったね。
ダッチオーブンの使い方とか(初めて持ち上げた時、私は指に火傷をしてすぐにあなたに取り上げられたっけ)、パラグライダーとか(ユウナさんがなぜ、パラグライダーを習おうかな、って言ったかわたしは知ってる)、魚のさばき方とか(まあ俺が、いつも料理作るようになるんだろうな、ってエラそうに)、花札とか(そんなもの知らなくても十分だからね)。
おかげでわたしはすっかり、途方にくれた迷子みたいだ。人生の迷子だよ。
ギターだってちゃんと教えてくれなかったから、お別れの会で一曲、弾けなかった。
石垣さんが、前に立って息を整えてから、静かにこう言った。
「直樹、みんなで今から、オマエがいちばん好きだった歌を歌うから」
ううん、本当はあなたはこう言ってたよね。
―― あの曲を、弾いてみたいの?
え? 俺が好きだから、弾いてやるってか?
ムリムリムリ。それにさ……
正直、俺、そこまで好きじゃないんだ、アレ。
なんかさ。
聴いてて、ちょっぴり、悲しくなんない?
もちろん、歌えなかった。少しでも声を出したら、ぜったいにあなたを責めて責めて、ことばは溢れ、止まらなくなってしまうだろうから。
他の友人たちが途切れ途切れに、それでも声を揃えて最後まで静かに歌い続ける中、わたし、声も出せずに溺れる人みたいにギターにつかまっていた。
溺れる、って言えば
背泳ぎも教えてやる、って言ったよね。
海で溺れないために、背泳ぎができるって大事だぞ、そう言ったよね。
でもね、直樹。
わたし、背泳ぎどころか、クロールも犬かきも苦手なんだよ、まだ。
もうすぐ夏がくる。
いっしょに海に行こう、って言ったけど、わたしは海に入れない。
あなたは天国で、ゆうゆうと背泳ぎでもしているんだろうな。
くやしいからわたしは、ずっとFを押さえる練習をしよう。
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