海辺のレストランにて

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海辺のレストランにて

 事務所からサービスアパートに戻り、着替えて降りて来ると、パトリックが車に寄りかかり、煙草を吹かしているのがわかった。その様子がいつものさわやか王子様とは異なり、憂いを帯びたものでミヒロはどきりとした。   (でも、大丈夫。彼は単純にお礼をしたいだけなんだから)  ミヒロはそう自分に言いきかせると、パトリックに声をかけた。彼はいつもの王子様スマイルを浮かべると煙草の火を消して、ごみ箱に捨てる。  車を20分ほど走らせて着いた場所は海辺のレストランだった。バーも兼ねるその店は、昨日館林に連れて行ってもらった東の海岸の近くらしかった。  店は半分屋外で、半分屋内と言う感じで、カウンターで飲めるようにカウンターの席もあった。小さなステージも置かれており、スタンドマイクが主を待つようにさびしく立っていた。 (こんなとこ……。恋人と来るとこだよね??)  ミヒロはそう思いパトリックを見たが、彼は穏やかな笑顔を浮かべたまま、屋外の席にミヒロを案内する。そこにはいくつも木製のテーブルと椅子が置かれており、そのテーブルの上に小さなグラスに入った蝋燭が飾られていた。パトリックは慣れているのか店員を呼び、メニューを取り寄せる。  ミヒロは恐る恐る渡されたメニューを開く。 (単なるお礼だよね?ありえないよね?)  メニューに目を落としながら、ちらっとパトリックを見ると視線がかち合う。 「ミヒロは決まった?この店のFish & Chips はオイシイヨ」  彼女の動揺に気づかないのか、はたして気づいてとぼけているのか、パトリックはいつもの王子様スマイルのままだ。 「あーじゃあ、フィッシュ・アンド・チップスで」 「OK.ノミモノは?」 (あ、カクテルとか飲みたいかも)  メニューにおいしそうなスクリュードライバーの写真があり、ミヒロは一瞬それにしようか考えた。しかし、運転手のパトリックが飲めないのに自分だけアルコールはないだろうと、アイスティーを指差す。 「OK. Iced Teaネ」  王子はにっこり笑うと店員を呼び、フィッシュ・アンド・チップスとアイスティーをそれぞれ二つずつ頼んだ。  しばらくして、夕日が完全に沈み、店員がテーブルの上の蝋燭に火を灯すためにまわってきた。そして、今日の歌手が現れ、盛大な拍手が起きる。ミヒロは思わずステージを見た。女性は、長い黒髪に真っ赤なチャイナドレスをきた色っぽい人だった。そしてその顔にはなぜか見覚えがあった。  向かいに座るパトリックも同じように見ていたが、ふいにその顔を強張らせる。 「Aileen ?」 (アイリーン?)  パトリックのつぶやきを聞いて、ミヒロは目を凝らしてステージ上の女性を見た。 (……似てる。確かに昨日見たあの怖そうな女性に……。眼鏡をはずして、髪をほどいて化粧すれば多分……) 「ボク、確かめキマス」 「え?!」  パトリックはそう言うと戸惑うミヒロを置いて、ステージに向かって歩いて行く。  仕方なくその後に続くが、彼が急に足を止めたので、その背中にぶつかり、こけそうになった。 「ご、ゴメン」  パトリックが慌ててミヒロの腕を掴む。しかし視線はステージに向けられたままだった。  アイリーンの声は力強く、胸を鷲掴みするような迫力があった。  ミヒロはぼーとその声に聞き惚れる。   「ミヒロ」  ふとそう名を呼ばれ、我に返る。すぐ近くにハンサムな顔をあり、ミヒロの顔が一気に赤面する。そんな彼女を見てパトリックはくすと笑った。 「席に戻ロウ」  彼はミヒロの耳元でそう囁くと、彼女の腕を掴み席に戻った。 「アイリーンの唄スゴイデスネ!」 「あれは本当にアイリーンなの?」 「ハイ、間違いナイデス。ダカラいつもカエリが早いんデスネ」  パトリックはステージで歌い続けるアイリーンを見ながらそう言う。蝋燭に照らされるその横側はなんだか男らしく見え、先ほど耳元でささやかれたことなどを思いだし、ミヒロは赤面したまま、俯いた。 (だめだめ。昨日から私、どきどきしすぎた。なんでタンタン旅行社にはイケメンが二人もいるんだろう?アイリーンも美人だし、そういう選考で選んでるのかな?そういえばアイリーン、なんで歌手してることパトリックに内緒にしてるんだろう。バイト禁止とか?)  渋い顔してうーんと頭を捻っているミヒロの向かいパトリックは、そんな彼女の様子がおかしくて思わずくすっと笑った。そして口を開く。 「ボク、ミヒロのことスキデスヨ」 「……?!」  ふいに告白され、ミヒロは目を見開き、金魚のように口をぱくぱくさせる。 「ナミサンのようにカッコイイから、スキデス」 (ナミサンのように……。カッコイイから?好きぃ??)  そう頭の中で繰り返し、ミヒロの顔が一気に真っ赤に染まる。 「ミヒロはボクのことスキデスカ?」  蝋燭に照らされ、パトリックの瞳が妖しげに煌めく。その瞳がミヒロを捉え、瞳の中に動揺する自分の姿を見つけた。 (やばい。なんてっていうかやばい。あり得ない展開だけど……)  バン!!   ふいに勢いよく、アイスティーがテーブルの上に置かれた。  勢いで中身がこぼれ、いくつかの水滴がミヒロとパトリックの顔にかかる。その冷たさでさっきまでどきどきしていた気持ちがどっかにいくのがわかった。 「Iced Tea」  そう冷たい声がしてミヒロとパトリックはアイスティーを運んできた人物を見ようと顔を向ける。それは先ほどまでステージの上では美しい笑顔を浮かべて、迫力のある歌を歌っていたアイリーンだった。しかし、側に立ってる彼女はいつもの会社と同じで、無表情で、その鋭い視線を2人に投げかけていた。 「Patrick Koh。如果你告诉老板我在这里,我杀你。(パトリック・コー。!もし私がここにいることをボスに言ったら、殺すから)」  アイリーンは、顔を強張らせるパトリックに近づくと、他のテーブルの客に聞こえないように囁く。  その言葉はミヒロにも聞こえ、頭の中で中国語を繰り返す。    シャーニー、シャーニって、あなたを殺すって意味だよね??    戸惑うミヒロの目の前で、パトリックが顔を蒼白にさせるとこくん、こくんと頷いた。 「好。你明白好了。(OK。わかればいいわ)」  同僚の様子にアイリーンは満足そうにうなずくとその頭を優しく撫で、背を向ける。    アイリーンが席から離れた後、パトリックはふうとやっと息ができたとばかり呼吸する。そしてタイミングよく頼んでおいたフィッシュ・アンド・チップスがその後に運ばれてきた。しかしミヒロもパトリックの先ほどのアイリーンの迫力に押され、すっかり食欲をなくしていた。 「……とりあえず帰ろうか」 「……ソウデスネ」  食欲がないのだが、なんとかフライドポテトとタルタルソースがかかった魚のフライを口に押し込み、お皿の中は空っぽになった。そして口の中に残る脂を温くなったアイスティーで流し込む。あれから2人はぼちぼち話していたがそれまでの甘い雰囲気はすっかり消えていた。 「ボク、カイケイしてきます」 「ありがとう」  元気のないパトリックはそう言うと、レジに向かって歩き出した。アイリーンのステージは終わったようで、あれから彼女の姿を見ることはなかった。 (もしかしたら別の店で歌ってるかもしれない)  パトリック曰く、この店で彼女をみたのは初めてだったらしい。  でもいつも5時にはぴったり帰っていたので、歌手をやってるのは随分前からのようだった。 「ミヒロ」  会計を終わらせたパトリックが席に戻ってきてそう名を呼ぶ。  元気のない彼はなんだか可哀想で、ミヒロは元気づけようと笑った。 「大丈夫よ。言わなきゃ、なーにも起きないんだから。ね?」 「ソーデスヨネ」  想いを寄せる女性の言葉に彼はほっと安堵の顔を見せる。そして王子様スマイルが復活した。 「ミヒロ、こんなボク嫌いデスカ?」  駐車場に向かって歩きながらパトリックがそう聞く。 「……嫌いじゃないよ。ただ、まだ会ったばかりだし……」  そう答えると彼はぐいっとミヒロの両腕を掴む。 「ボク、ミヒロにボクのことヨク知ってもらうように毎日ガンバリマス」 (頑張るって?何を?)  ミヒロがそうクエスチョンマークをつけてパトリックを見上げると、彼はそっとミヒロの頬にキスをする。 「なっつ!」 「キスは挨拶デスヨ。これから毎日アイサツシマス」 「え?!それはなし!」 「ナ、ナンデデスカ?」 「だって、日本人ではキスはほっぺたでも特別なんだよ」 「ソーナンデスカ?フーン」 (アニメでも確かそうじゃないのか??)  ミヒロがそう疑問に思っていると、パトリックは嬉しそうに笑う。 「ジャ、ボクはサッキ特別なコトをしたんデスネ。嬉しいデス」 「?」 (嫌、そうじゃなくて……)  勘違いしたままのパトリックはアイリーンに脅されたことはすっかり忘れたようで、ハイテンションのまま、ミヒロをサービスアパートに送り届ける帰路の中、アニメについて深く語っていた。
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