相容れない女たち

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 男と女は永遠に分かり合えない。何故なら、性別が違う上に思考回路が全く違うから。 では、女性同士なら分かり合うことができる? 分かり合えている?女性である私としてはそう願いたいところだけれど、残念ながらそんな単純なものではなさそう。 「女の敵は女」いつからこんな言葉が世の中に飛び交うようになったのだろう。  遥か遠い昔、人間がまだ語学も発達していなかった頃、男性は自分の遺伝子を残してくれる健康な女性をいかにして見分けていたのか。 それは、お腹が出ていなく、くびれた腰をしている女性だそう。確かに、妊娠している女性はこの二つの条件には該当しない。 こうして自分の子孫を残してくれる女性を、昔の男性達は直感的に選別していたのだろう。  でも、ちょっと待って。お腹が出ていなくてくびれた腰・・・。これって、現代女性の理想の体型でもある。女性同士って凄く複雑で、相手がダイエットに成功したり、綺麗になったりするのを表面上は喜んでいるフリをしていても、実は内心焦っていたり、嫉妬していたりする人が実際多くいる。それはもしかして、ライバルを減らしたいから? 男性がスタイルの良い女性(=くびれた腰、ペタンコなお腹)が好きなのは、昔の男性達同様、無意識のうちに「自分の遺伝子を残してくれる健康な女性」としての判断基準が脳内に残っているからなのではないか? だから女性達は、ただ単に容姿だけの問題ではなく、男性に選ばれたい!と、これもまた無意識に思い、ライバルに勝つべく女の戦いを繰り広げているのかもしれない。 そう考えると、数年前に注目されたフレネミー女子もこの類なのではないだろうか。  フレネミーとは、Friend(友達)+Enemy(敵)=Frienemy(友を装う敵)の造語。 この言葉通り、表面上は仲の良い友達として振る舞いながら、陰では悪口や噂を拡散させ、相手の人間関係を崩壊させる。なんて恐ろしい存在! そして、もう一つよく耳にするマウンティング。本来は犬などの動物が自らの優位性を示す為に、相手に馬乗りになる行為を指す。 その様子が「自分の方が幸せ」とアピールする女性間の人間関係に似ていると、漫画家の瀧波ユカリさんが表現したことから、今では誰もが知っている言葉になったのだとか。 自分の立ち位置を確認したいその気持ちが格付けを生む。要するにフレネミー女子にとってマウンティングは、ただの攻撃手段の一つにしか過ぎないということになる。 なんだかこんな事ばかり聞いていると、女って怖い生き物!と思ってしまいそうだけれど、もちろん全ての女性に当てはまるわけではないし、そういうタイプの人と関わる事もないかもしれない。  けれど、私は二人姉妹の姉で、女子校出身、就職先も女性ばかりの職場でしか働いた事がなかったせいか、本当に色んなタイプの女性と出会ってきた。もちろん、フレネミー女子も。 当時は私も頭を悩ませた事もあったし、とにかく関わる事が面倒臭くて仕方なかった。だけど、いつしかだんだん面白くなってきた自分もいたりして。人間観察とでも言うのか、はたまた、女性の生態観察とでも言うのか。 きっと、当時の私はそうでもしないととてもやり過ごせなかったのだろう。  そのおかげなのか、私は人間関係を円滑にする術を身につけた気がする。ただ、私が感じたのは、やっぱり女性同士は分かり合えるものではないと言う事。正確には、同じ環境、同じ状況、同じ経験をしている者同士なら分かり合えるのかもしれないという事。  よく「結婚を機に友達が減った」という話を耳にする。私もその一人。生活環境の違いはもちろんあるけれど、それだけではないと確信している。 一言で言えば嫉妬。嫉妬ほど厄介で醜い感情はない。嫉妬するくらいなら、いっそ嫉妬される方がいい。だって、嫉妬されるという事は、輝いて見えるからでしょ?それなら私はその方がいい。私の母は「嫉妬されるほど怖いものはない」と言うけれど。  さて、私にはずっと気になっていた事がある。それは、女偏の漢字。女偏の漢字は大体150位あると言われているのに対し、男偏の漢字はごく僅か。女偏の漢字が多いのは男尊女卑の名残だ、という批判は容易いけれど、そこに込められた意味を考えると、そう簡単に割り切れるものではないのでは?と思う。  昔から不思議に思っていた事は、女偏の漢字はネガティブなものばかり。例えば、嫉妬、妬み、嫉み、媚、妖しい、妙、嫌、妨・・・など、なんだか女性としては複雑な気持ちになるwordばかり。  そこで、調べてみると面白い事がわかった。なんと、女偏の漢字には「女の一生」が隠されていた! ● 姓→人は女から生まれる 「姓」とは、東アジアの漢字文化圏で用いられる血縁集団の名称であり、社会は女性を基盤につくられる。という真理がこの一文字に込められている。 ● 好→女の子を嫌う父親はいない 女の子と書いて「好き」 この漢字からは、父親の娘に対する深い愛情が滲み出てはいないでしょうか。 「○○女子」という言葉が流行っているのは、多くの女性が父性を求めている証なのかも。 ● 娘→女の良い時 「女盛りは19だよ、とあなたが言ったのよ」と歳を重ねることに対する乙女の不安を歌詞にした名曲がありますが「娘」である時期は女性にとってかけがえのないものなのかも。 ● 婚→女の黄昏 昔、結婚式は黄昏(夕暮れ)に行われていました。沈む夕日の中に佇む花嫁の美しい姿をこの文字に込めたのではないでしょうか。 ● 嫁→女が家に入る 結婚すると女性は「嫁」になります。血族ではない女性が家に来る事は「婿」にとっても幸せな事です。「婿」も女偏であることからも、結婚の主体があくまでも女性であることがわかります。 ● 妊→女の腹がふくれる 壬は古代中国の順列で「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・葵」の9番目の文字。植物の内部に種子が生まれた状態を指す。 「妊」ひとつとっても、自然と調和して生きようという、昔の人の世界観が感じられる。 ● 婦→女が箒(ほうき)を持つ 主婦の「婦」からは、女性が箒を持って家を掃除する姿が伺える。 ● 姑→女が古くなる 主婦として活躍した女性も、一世代30年も経つと歳を重ねて古くなり、息子に嫁を迎えて「姑」になる。古いというとネガティブなイメージがありますが、文化を継承する指導者になったのだと思えば、口うるさくなってしまうのも仕方がないのかも。 ● 婆→波になる女 「婆」の文字は、女偏の上に波があります。 波には白いという意味もあるそう。老婆の白髪を表現したのだと言われている。  私はこれを知った時、女性として生まれたことを誇りに思った。こんな風に言うと、男性に怒られそうだけれど、女性は本当に偉大だなと改めて感じた。  女性の一生には大きな転機が幾度となく訪れ、その都度取捨選択し、悩み、迷いながら人生を歩んでいる。時に、自分を犠牲にしながら。そうして世の女性達は誰もが必死に、自分なりに頑張って、幸せになろうと生きている。 それなのに、容姿の良し悪し、既婚か未婚か、子供の有無、専業主婦か兼業主婦か、持ち家か賃貸か・・・。そんなくだらない事で他人と比較し、一喜一憂するなんて、あまりにもくだらないし、心が貧しい。  「足るを知る」という言葉を思い出してみてほしい。今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たない。己の身の程を知り、それ以上を望まない。  私はこの言葉が好き。もちろん向上心のある事は素晴らしいと思うけれど、最近の女性は自分に満足せず、自分より輝いている他の女性の事を羨ましく(妬ましく?)思う人が多い気がしてならない。それってすごく残念だし、悲しい事のように感じる。  日本には完全なものよりも、少し足りないものを良しとする「不足の美」「未完成の美」という美学がある。  例えば、姫路城の軒先が不揃いなのも、完璧ではない美しさ。そして、あえて水を無くした龍安寺の枯山水、余白を残して背景の景色を一切描かない、長谷川等伯の松林図屏風。また、作家であり編集者、著述家でもある松岡正剛氏の著書「17歳のための世界と日本の見方」の一説にこんな言葉がある。  「何もないからこそ、想像力で大きな世界を見ることが可能になる。あるいは、何もないからこそ、そこに最上の美を発見することができる」  まさに、その通りだと思う。不足や余白の部分にこそ、ものの本質や美しさがある。そしてこれは文化だけの話ではなく、人間にも言えることのように思う。  弱さがあるから愛おしく思えたり、守ってあげたいと思える。欠点があるなら補えばいい。それに、見方を変えて見えてくるものも沢山ある。短所が長所になる事だってある。 一見、正反対に思える事でも、実際はメビウスの輪のように、表と裏は連続している。そう、表裏一体なのだ。  だから、自分に足りない部分を無理に直そうとせず、全てを受け入れ、自分を認める。自分に素直でいられる人を、私は美しいと思うし、私もそうありたいと思う。 もちろん、認めた上で自分なりに努力をして直していく事は良いとは思うけれど。自分自身を否定した生き方は美しくないし、幸せとは程遠い気がする。  長々と書いてきたけれど、結論から言うと、女性同士分かり合えなくて結構。無理に分かり合おうなんて思わない方がいい。他人と比べるなんてもってのほか。くだらないプライドなんて、いっそ潔く捨ててしまえばいい。 それよりも、各々が一人の女性として輝き、幸せで、愛に満ち溢れていて欲しい。 そうすることで、幸せの連鎖が起こり、周りは素敵な女性で溢れ、女性同士もっと素晴らしい関係が築けるかもしれない。 そうなった時にはきっと、もう敵ではなく、戦友のような関係になっているのかも。  私は女性として輝きたいし、沢山の素敵な女性から刺激をもらいたい。私達女性同士は、分かり合えずとも、常に見えない何かで引き寄せ合いながらも、時に相手をリスペクトし、暗中模索しながら生きている。 正直、面倒な事も多いけれど、私は女性として生まれたことを誇りに思うし、生まれ変わっても、また女性になりたい。 たとえ、女性同士が相容れない関係だとしても。
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