ホテルの怪

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ホテルの怪

シティホテルのダブルの部屋にチェックインした。部屋の中で理沙ちゃんはバッグから一枚の護符と水晶玉を取り出した。 ダブルベッドの上で正座して向き合う二人の姿はすごく滑稽だろう。理沙ちゃんは水晶玉に向かって、 「我らを苦しめる霊よ姿を現したまえ。我は敵にあらず。そなたの荒ぶる心を静め心安らかになるよう力を尽くすゆえ、どうか姿を現したまえ」 そう告げると、水晶玉から煙のような黄緑色の煙が立ち、煙がふわふわと集まって人の形に変わる。 なんと、その煙が現した姿は嫁ではなく俺だった。俺の生き霊が重い口を開く。 「認めたくないんです。嫁が自殺したなんて信じられなくて。俺が他の女の子を落とそうとすると、妻が嫉妬して生き霊を飛ばして邪魔してくれる。そう思い込みたくて無意識の内に自分で心霊現象を起こしていました」 理沙ちゃんは俺の生き霊に語りかける。 「生き霊を飛ばしていたのは水島課長ですか。それなら話は早いですね…悪霊退散!」 俺の姿をした霊はあとかたもなく消えた。 「ごめんな…。まさか自分で生き霊飛ばしていたなんて…。」 俺は理沙ちゃんに謝った。理沙ちゃんはベッドから降りて俺に後ろを見せないようにホテルの部屋の入り口へと後ずさりする。 「課長、本当に怖いものは霊より人間ですよ?」 俺は理沙ちゃんの言うことも一理あると思って小さくうなずく。すると理沙ちゃんは、 「自殺に見せかけて奥さん殺したんですよね?さっき課長の霊が消える直前に奥さんの死の映像が私の脳裡を過りました」 ちっ、随分と霊能力が高い面倒な女だな。また自殺してもらうか、こいつも。 「君の霊力は少し強すぎるみたいだね?そんな強い霊力を抱えたまま生きるのは苦しいだろう?楽にしてあげるよ」 実は俺にも小さな霊力がある。相手を金縛りに追い込むことが出来る。金縛り状態の相手を好き放題して、後は自殺に見せかけて首を吊ってもらう。 理沙ちゃんをこのまま殺すのは惜しすぎる。ちょうどいい具合に場所はビジネスホテル。俺は金縛りで身動きが取れずに入り口の前で座り込んだ理沙ちゃんのブラウスに手をかけた。生唾を飲み込んで、ボタンを外そうとしたその瞬間、 「痛い!」 指先から凍りつくような痛みが俺の体全体を駆け抜ける。何か言おうにも、俺は樹氷のように氷漬けになっていてもう喋れない。 「甘いですね。金縛り程度の技はかかりませんよ。霊力が課長と私じゃ段違い。このまま心臓麻痺で死ねますから。現場に誰か駆けつける頃には、その樹氷のような氷の棺も溶けています。場所はホテル、なんで心臓麻痺だったかみんな察しますから。女遊びが過ぎたって噂されますね」 (しかし現場に一緒にいた前原理沙は俺の死に関与していると疑われるだろう) 声にならない声で氷の中で身じろぎしようとすると、 「残念ですが課長の考えはお見通しです。私、姿を消す能力もありますから。今日このホテルにいたのは課長一人です。自分の浮気性を問い詰められたからって、奥さんを自殺に見せかけて殺すなんて卑劣。報いを受けて貰います。目には目を、歯には歯を。死には死を、殺人には殺人を。苦しんで死になさい!」 前原理沙は侮蔑の冷たい視線で俺を睨んで、ホテルの部屋から去っていった。 ああ、冷たい。夏なのに雪山に取り残されたようにひんやりとした氷に全身を覆われて、寒さで震えが止まらない。氷越しに見る世界は、手を伸ばせば今までのことが嘘のように消え去るほど澄んでいる。手を伸ばせば…。どんなに動かそうとしても指一本すら動かせない。意識がだんだん遠のいていく。 反省など俺はしない。運が悪かっただけさ。自分より霊能力が強い女を引っ掛けようとしたのがまさに運のつき。ああ、もっと遊びたかった。そして嫁の妬く顔が見たかった。ヤキモチを妬く嫁が愛しかった。あんなに半狂乱になって怒ることじゃない。 「今度はどこで悪さしてきたの?お詫びに今度は何買って貰おうかな~」 いつもみたくお詫びのプレゼントをねだってほしかった。あの日に限って嫁が本気で離婚届を叩きつけるからつい、俺もカッとなって霊能力を使った。金縛りにして嫁を吊るした。吊るす位置が逆ならタロットカードの逆さづりの『吊るされた男』のようだと思った。吊るされた男の逆位置は自暴自棄を意味する。修羅場の末の自暴自棄の犯行だった。 連れ合いを自殺で亡くした不憫な夫を演じてきた。嫁は仕事で役職が上がり休み返上で働いていた。労働時間が法律上の上限をかなり上回っていた。 「仕事で疲れてたのね…」 嫁の母は葬儀の席でそう呟いていた。嫁の母もワーキングマザーだったからなのか、俺は特別責められなかった。 俺は浮気性を周りの人間にも妻の家族にも気づかれることもなく、上手く世渡りしてきた。 最後の『最期』に走馬灯のように浮かんだのは、引っ掛けてきた女達の顔だった。全部で9人。あと一人、あと一人で10人で二桁だったのに、ちくしょう。前原理沙が10人目になるはずだったのに…。そう思っているうちに皮膚から内側に侵食してくる冷えに耐えきれず、瞼が自然と重くなってきた。 眠気と寒気に耐えきれず目をつぶる寸前、氷越しに見えたのは、手招きしている嫁だった。首に縄をぶら下げたまま鋭い視線で睨んでくる。殺したときに着ていた花柄のワンピース姿で、ひたり、ひたり、ひたりと一歩ずつ俺に近寄ってくる。 死ぬ前に更に苦しめられるのか!? 氷の棺の中で身構えた。 「よそ見ばっかりして」 目玉でも潰されるのか。それとも、 「口先だけの軽い男。話せなくしてやる」 そう言って、舌でも抜かれてしまうのか。 なんと、嫁は樹氷に変わり果てた俺をそっと抱きしめた。そして、こう言い放った。 「結局自分しか愛せない冷酷な男にぴったりの最期、いい気味。氷のように冷たい男だもの、あなたは」 嫁の薄笑いがなぜか子守歌のように聞こえた。そして、凍えていた体に僅かな温もりを感じた。なんで、嫌味を言う癖に抱きしめるんだよ…。自分の目から溢れる涙の熱を感じた瞬間俺は絶命した。 (完)
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