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「話は聞いた。今度は婚約破棄? 相変わらず期待を裏切らないなお前。これで何回目よ? 神学校の入学式に会堂建築式、夏季伝道、卒業式、ペンテコステ、宗教改革記念日に夏の集いに……あと特別伝道集会でも会場に向かう途中、痴漢事件に巻き込まれて結局たどり着けがふぁっ!」
左ストレートで一度黙らせてから、望は「うるさい。黙らないと殴る」と言った。
三人しかいない同期であることを差し引いても許容しがたいお喋りさだった。にたにたと愉しそうに笑っているのが余計に腹が立つ。
「殴る前に言えよ!」
右頰を押さえて三杉は文句を言った。左の頬を差し出すつもりはないようだ。
朝の聖書研究祈祷会が終わったばかりというのもあって、ワイシャツに黒のスラックスという普通の服装をしている。
アニメキャラがプリントされたTシャツ姿でないことに望は安堵した。牧師がアニメオタクだなんて体裁が悪いったらない。いや、個人の趣味にとやかく口を出すものではない。それくらいはわきまえている。
しかし「イベントがあるから」という理由で夏季休暇をせしめ、サイトに投稿するための動画撮影をあろうことか礼拝堂で行い、主日前夜にスマホゲームで寝食を忘れるほど盛り上がるのは牧師としていかがなものかと思う。
それはさておき、いくら公私の区別が付いていない牧師でも、スマホ依存症の気のある精神的に健全とは言い難い男だろうと同期は同期だ。気兼ねなく相談したり頼みごとができる貴重な存在だった。
「ちょっと参考までに意見を聞きたい」
返答を待たずに峰崎教会に上がり込む。
武蔵浦和教会には及ばないものの、都内にある教会なだけあってそれなりに会員が所属している。礼拝堂の他に事務室や食堂、会議室もあるので、恵まれている部類の教会だろう。会議室に通された望は、部屋に一つしかない会議用テーブルに手持ちの情報を広げた。
一昨日の出来事をかいつまんで説明。最後にタブレットを見せる。
「で、これが昨日、姉ちゃんが入手した木下直也の通信履歴とメールのデータ、ついでにLINEのやりとりの記録も失敬した」
「スマホデータを盗んだのか!?」
人聞きの悪い。少しデータをコピーさせてもらっただけだ。
「素行調査は既にやっていたからな。探偵会社では調べなかったことを調べた方が効率的だろ?」
「いやいやプライバシーの侵害だから」
「探偵が素行調査した時点でプライバシーなどというものは消えている。メールと LINEやりとり程度の追加情報があったとしても大して変わらんさ」
無論、バレたら怒られるだけでは済まない。痕跡を残さないよう細心の注意を払ったと姉は言っていた。だから、おそらく大丈夫だろう。
「しかし……よくもまあ、ここまで」
先ほど咎めることを言いながらも、三杉は通信データをじろじろと見る。
「IDとパスワードさえわかれば、バックアップデータを取る要領で簡単にできるんだとさ。詳しいやり方が知りたいなら本人に直接訊いて」
綾乃とその友人の協力があったとはいえ、驚くべき手際だった。引きこもりなだけあって、パソコン系には強い。
「で、個人情報を身ぐるみ剥いだところで俺にどうしろと?」
データの中身を確認するだけなら姉に手伝ってもらえば事足りる。わざわざ練馬区にまで足を運ぶことはない。
望はタブレットを操作してアプリを起動させた。
「怪しいやり取りがあったものでね」
結婚式のひと月ほど前のLINEだ。
『ミコ』という人物と頻繁に、当時婚約者だった綾乃よりも多く連絡を取っている。綾乃に確認したところ『ミコ』という女性に心当たりはなく、結婚式の招待リストにも載っていなかった。念のため芳名帳や祝電も調べたが、該当する人物はいなかった。
ちなみに肝心の内容はドライなようなラブラブなような微妙な雰囲気でなんとも判断が難しい。
「この『ミコ』って女、素っ気ないなー」
三杉が思わず呟く。
何しろ直也が「今日も電車の中で君を探してしまいました」とあからさまに好意を寄せているにのかかわらず「今日は予約が午後からなもので」と事務的にスルー。
直也は明らかに惚れている。が、相手はそうでもないように見受けられた。片想い。その言葉が一番しっくりくる。
「こういう女のためにゴールイン直前の婚約を公衆の面前で破棄する?」
三杉は猜疑心満載な眼差しを返した。
「……なんで俺に訊く?」
「しかも文面から察するに、出会ってふた月程度で、ほとんど会っていない。こういう女――ネットだけで全く現実味のない、やり取りだけでも男は惚れるものなのかな?」
「だからなんで俺に訊くわけ!?」
年齢と彼女いない歴がイコールで結ばれている牧師は、悲痛な悲鳴をあげた。
「この前言っていたボーカル志望の女の子はどうした。オフ会で連絡先交換したんじゃないのか」
不貞腐れたように三杉は肘をついた。
「男だった」
「は?」
「だから、男だったんだよ」
望は記憶を掘り起こした。
三杉がひと月前にふるっていた熱弁。天使のように澄んだ歌声で、アニメソングを讃美歌のごとく高貴かつ荘厳華麗に詠唱する歌姫。ハンドルネームは『うさぴょん』だったかと。
「男じゃ仕方ないね」
「詐欺だ! カウンターテナーにも程がある!」
慟哭しても生まれついた性別はどうにもならない。突っ伏した三杉の頭にタブレットを置く。
「で、どうなんだ」
「破棄するわけないだろ。今時、結婚式で異議申し立てなんて。両想いでもやらねえよ」
顔を上げた三杉が吐き捨てる。
「ドラマや映画じゃあるまいし、結婚式で花嫁を攫うイケメンなんて見たことがない。ましてや結婚式で本当の自分だかに気づく花婿なんて聞いたこともない」
ごもっとも。仮に真実の愛に目覚めたとしても、穏便に事を済まそうとするだろう。結婚式をぶっ壊すなんてリスキーな真似をすることはない。
「この『ミコ』が新郎を誘惑した魔性の女なのか」
「どうだろうね」望はタブレットを操作した「結婚式の一週間前から、もう連絡取ってないみたいだし」
「会ってもいない、連絡もしていない女のために人生棒に振るかねえ……他の線当たった方がいいんじゃないのか?」
他の線がないのだからどうしようもない。とりあえず『ミコ』を探して話を聞くのが得策。
「予約制の仕事で思い浮かぶのは?」
『ミコ』のメッセージには「予約」の文字が複数回出ている。三杉は肩をすくめた。
「医者、美容師、英会話教室とかの講師……あとは何だろうな」
「やっぱりそうくるよねえ」
姉とも知恵を出し合ったが、他に思い当たる職業はなかった。そして、直也の素行調査結果とスマホの連絡先リストを照らし合わせたら、一つの可能性が浮かんだのだ。
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