第2話 デリラの魔性

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「何が違うんだ」 「君が思うほど、世の中善人ばかりではない、ということです。彼は婚約を破棄するつもりでした」  望の予想よりも尊の『異能』は強力だったようだ。尊の口調に誇らしげな響きはなかった。当然だと思っているのだろう。 「しかしその時点で私への依頼が取り消されたため、別れたのです。ずいぶん喰い下がれましたが結局、大手を振って宣言できる関係でもないので」 「じゃあなんで結婚式になって婚約破棄したんだ」 「君の推理通り、そうするように脅迫したのでしょうね。ただしそれは私ではなく、酒井康史さんが、です」  他人事のように尊は言った。 「結婚式の最中に婚約破棄しろと命じたのは、酒井さんです」 「何のために?」  木下直也と澤井綾乃が破局すれば十分なはず。あえて事を大きくする必要はない。 「報復、でしょうね」  尊はデスクに肘を置いた。 「愛する女性を奪ったばかりか、その女性に暴力を振るったのですから、気持ちは理解できなくもない」  綾乃の化粧はいつも濃かった。特にファンデーションを厚塗りし、肌を隠していた。先日教会に来た時も暑いのに長袖を着ていた。何よりも結婚が破局したことを望に告げた時の綾乃は、安堵の表情を浮かべていた。  日常的に暴力を振るわれていたのだと容易に想像できた。 「だからって、木下さんを陥れるような真似をする必要はなかったんじゃないのか」 「彼は大変外面が良いそうです。両親は無論、澤井さんの友人でさえも彼女の言うことを信用しなかった。こんな状況でDVを訴えても無意味ですし、怒りを買ってますます酷い扱いを受けるだけです」 「でも何も結婚式で騒ぎを起こさなくても」 「公衆の面前で破局宣言はやり過ぎだと? たしかに木下さんの信頼は失墜したでしょう。しかし澤井さんが失ったものに比べれば些細なことです。周囲の誰もが木下さんの味方をしたせいで、彼女は自分が暴力を受けて当然の人間だと思い込むほど追い詰められていました。人としての尊厳、家族や友人たちからの信頼もDVによって奪われたのです」  違う。犯した罪に対する量刑を問うているではない。そんなことは裁判所で法律の専門家同士、頭を突き合わせて考えればいい。  目的は手段を正当化しないと言っているのだ。 「あんたは人の心を弄んだ。どうなるかを知っていながら近づき、愛しているふりをして愛するように仕向けて、踏みにじったんだ。心が痛まないのか」  尊は不思議そうに首をかしげた。 「何故?」 「な、何故って、お前……っ!」 「最初に踏みにじったのは彼です。だいたい暴力彼氏が結婚した途端、非暴力の温厚亭主になるとでも思いますか? 不幸な結婚を未然に防ぐことができたのですから、喜んでしかるべきでしょう」  尊は吊り上げた口元に右手を当てた。 「ああ、失念していました。名探偵のあなたからすれば、事件が起きないのだから業腹でしょうね」  細められた瞳の奥にあるものを望は目の当たりにした。  おそらくはじめて会った時から隠していた嫌悪。込められているのは底冷えするほどの悪意だ。 「君のような輩が一番罪深い」無機質な声で尊は言う「自分が正しいと疑いもせずに他人の悪を暴いては嬉々と攻撃する。まるで、自分の中にはそんな忌まわしいものなどないかのように」  真実を暴かずにはいられない。それが神から与えられたタラント〈賜物〉だから――と思っていた。時には使命感さえ抱いて事件解決に乗り出した。  だが、神から与えられたタラント〈賜物〉はあくまでも事件を呼び寄せるだけのこと。事件発生後は望の意思で関わり、推理した。解明しても誰も救われない謎だと知りながらも、突き進んだことだってある。 (だって、もし解明することが罪なら)  解決することが間違っているというのなら。 (このタラント〈賜物〉は一体何のためにあるんだ)  事件を呼び寄せ、巻き込まれた的場は一体何なんだ。 「自分は神から選ばれたもので、生まれ持った『異能』には意味があるとでも? 馬鹿馬鹿しい。神は応えてはくれませんよ。意味なんて最初からないのですから」  たまたま授けられた特異な能力。そこに意味も目的もないのだと、尊は切り捨てる。 「私が間違っているというのなら、あなたの言う『正しい方法』で澤井綾乃さんを救ってはいかがです?」  さあ、どうぞ。  尊は両手を広げてみせた。やれるものならやってみろ。  言外に告げられた挑発にしかし、望は乗ることができなかった。暴力を振るっていた直也を今さら法的に訴えたところで、ますます綾乃が傷つくだけだ。彼女を支えている康史が破局を仕組んだ張本人だと知っても同じこと。  真実が明らかになっても誰も救われない。  押し黙った望に、尊は白々しく「そういえば、ご挨拶がまだでしたね」と言い出した。椅子から立ち上がり、望と対峙する。 「改めてご挨拶申し上げます」尊は芝居掛かった仕草で礼をした「わたくし、縁切り屋を営んでおります永野尊と申します。男女間トラブルから職場のハラスメント対策まで、望まない悪縁を断ち切る仕事を生業としております」  差し出された名刺を望は受け取った。縁切り屋という奇抜な事業名。その下には永野尊の名前と携帯電話の番号が記載されていた。  大真面目に縁切り屋なるものをやっているらしい、この男は。 「これはどうもご丁寧に」  お返しとばかりに望も名刺を差し出した。 「頂戴いたします」  丁寧に、優雅に望の名刺を受け取る。望と尊。お互いの名刺を掲げて二人見つめ合う。にっこり。音がしそうなほどわざとらしく微笑みを交わす――と、同時に手にしていた名刺を盛大に破いた。二人とも。 「気が合いますね」 「ええ、まったく」 「私、初めて会った時から――いいえ、あなたという存在を知った時から、あなたのことが嫌いでした」  尊は穏やかに言った。三秒見たらどんな男性でも虜にしそうなほど魅惑的な笑みをたたえて。 「奇遇だね。私もだよ」  望は細切れにした名刺を捨てて踏み潰した。 「吐き気がするくらい嫌いだ」
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