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「そ、その呼称は……どこで」
「数年前ですけど、話題になりましたよね? 新幹線ジャック事件や時計台殺人事件を解決した高校生探偵。神が遣わした名探偵ーー『使徒探偵』って……どうかされましたか?」
顔を両手で覆ったまま望は「いえ、ちょっと古傷が」と低く呻いた。
『のがれえぬ黒歴史というものです。お気になさらず』
「うるさい」
卓上スピーカーを通じて茶々を入れた姉(ひきこもり)を一蹴。望は大きく咳払いした。
「とにかく、自宅にこもっていたはずのご子息が失踪した。たしかに奇妙な事件です。しかし誘拐とは解せません。警察が今でも動いていないということは、脅迫があったわけでも身代金を要求されたわけでもないのでしょう? 何故、誘拐だと断言できるのですか」
「実は、心当たりがありまして……むしろそこしか考えられないと言いますか」
克哉は慎重に言葉を選んだ。
「聖が失踪する二週間程前に、妻の友人がやってきまして、やけに熱心に近所の教会に行くよう誘ったそうです。暇を持て余していたせいか、聖もまんざらでもない様子だったそうで」
今にして思えば、それが間違いだったのだ。
「翌々日の日曜、聖が突然『礼拝に出たい』と言い出したんです。正直なところ少し迷いましたが、妻はクリスチャンですし、浦和栄光高校の教師も何名か所属している教会ですし、部屋にひきこもっているくらいならばと許可しました」
「浦和仲町教会ですか?」
「そうです。ご存知ですか」
「県内随一の好立地ですからね。浦和駅から徒歩五分、キリスト教主義の学校が近辺に三つもある。伝道にはうってつけの場所です」
望はさらりと付け足した。
「今、浦和仲町教会には佐久間幸成(さくま ゆきなり)牧師が任職しているかと」
克哉は自分の顔が強張るのを感じた。佐久間幸成。あまり聞きたくない名だ。
「どうかされましたか?」
「あ、いいえ……いや、その……その佐久間牧師と会ってから、息子の様子がおかしくなったんです」
『え?』
間の抜けた声をあげたのは、目の前の牧師ではなくひきこもりの姉の方だった。望は別段驚いた様子もなく「具体的には?」と質問を重ねた。
「余計に酷くなったといいますか……以前は学校に行かなかっただけで家の中では比較的自由にしていたのですが、教会に行ってからは自室にこもるようになりました。食事を持ってくる妻以外は、部屋に入らせようともしません」
「悪化しましたね」
『ちょ、ちょっとのんちゃん』
「どうせ聖くんの話も聞かずにながーい説教して、傷口に塩をぬりたくったんでしょ」
悪しざまに決めつけーーかけた望はふと眉を寄せた。
「しかし、あの牧師は六十を越えてます。ご子息を拉致監禁するほどの体力と財力はないと思いますが」
「いや、すみません。誘拐というのは言葉のアヤです」
克哉は慌てて訂正した。
「傷つくどころか、聖は逆にえらくその牧師先生に懐いたようで、日曜日以外にも教会に足を運んでいました」
「ひきこもりなのに?」
「はい。学校には行かず、自宅にいる時は部屋にひきこもっているのに、教会には行くようになったんです」
悪化したとも好転したとも取れる珍妙な事態だった。
「で、一度本人とよく話し合おうとした矢先に、行方不明になったんです」
「佐久間牧師には確認されたんですか?」
「電話しましたが『知らない』の一点張りで」
望は訝しげな表情を浮かべた。根拠に乏しいというのは克哉とて承知している。しかし佐久間幸成が関わっているのは間違いないのだ。
「わかりました。一度私から佐久間牧師に話を聞いてみます」
「よ、よろしいのでしょうか……?」
あっさりと引き受けてもらい、克哉は拍子抜けした。話を聞くための時間を割くことでさえ渋ったというのに。
「連絡先は姉に伝えてください。詳細はメールで相談しましょう」
言うなり望は立ち上がり、掛けてあった黒の背広を手に取った。呆気に取られる克哉に、スピーカーから補足の声。
『すみませんね。もうお時間なんです』
「え?」
「礼拝です」望は背広に袖を通しつつ言った「これでも私は探偵である前に牧師なもので」
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