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思えば、神学生時代からあの牧師とは反りが合わなかった。
祖父の的場信二と同期というのがいけない。向こうは望の幼少期どころか親が子どもの頃から的場家のことをよく知っている。祖父の信二が牧師探偵として名を馳せている時代も、望が中学・高校生時代に『使徒探偵』などと呼ばれて調子に乗っていた黒歴史も、姉の希がひきこもりであることも、兄の信一が神学校に入学したが祖父に落第させられた諍いも、筒抜けだ。
「五回だ」
「いいえ、三回です」
望は書斎机に手をついた。
「内二回は遅延証明書を提出して受理されました。無効です」
皮椅子に腰掛けた佐久間幸成は鼻を鳴らした。
「見え透いた嘘を。電車遅延ではない。五月の遅刻は、痴漢騒ぎに首を突っ込んで遅刻したんだろうが!」
「だから代わりに遅延証明書を特別に発行してもらったんです。捜査に協力した礼として」
「どっちでもいい!」
延々と続く論争に耐えきれなくなった三杉が悲鳴をあげた。
「三年前の遅刻について話す必要があるか。しかも的場は神学校卒業して教師試補試験も合格しているっつーのに……もういいだろ」
「「よくない!」」
佐久間と望の声が合わさる。
「だいたいお前は昔から何度も何度も私の講義をすっぽかして」
「だーかーらー、それは毎回突発的な事件に巻き込まれて」
「では何故、毎回私の講義の日に限って事件が起こるんだ! 信二牧師といい、信一くんといい、お前といい、的場家にはまともなクリスチャンがいないのか!」
しばしの睨み合いの末、先に折れたのは佐久間の方だった。
「もういい。お前のその、くるくる頭を見ているだけで気分が悪くなる。今週中に過去二回の遅刻を不当とする論拠と証拠を揃えて提出しろ」
「まずは私の容姿に対する無神経かつ差別的発言の撤回と謝罪を求める文書を、提出させていただきます」
互いに捨て台詞を吐いて一時休戦。三杉が胸をなで下ろした。
「で、もうご存知とは思いますが聖くんの行方について二、三伺いたいことがありまして」
「三杉にも言ったが、聖くんの居場所なんぞ私は知らん。あの父親め、言うに事欠いて牧師を犯罪者扱いするとはいい度胸だ」
「よく上田克哉さんの差し金だとわかりましたね」
ぴたりと、佐久間の動きが止まった。
「三杉も私も、克哉さんの名前は一度も出していませんが」
「……貴様、謀ったな」
「そうでもしないと、まともに話してくださらないでしょう」
睨み合う佐久間と望。一人蚊帳の外の三杉がしきりに首をかしげる。
「は? え、どういうことだ?」
「克哉さんの考えが大方当たっていたってこと。佐久間牧師は今回の件に一枚噛んでる」
「嘘ついてたのか! 牧師が誘拐を」
「残念ながら佐久間牧師は嘘もついてないし、誘拐に加担もしてない。そもそも、これを『誘拐』と分類するのかどうかも怪しいね」
じゃあ何だと問われても明確には答えられない。強いて言えば、保護者同伴の家出か。
「牧師は嘘をつかないよ。本当に佐久間牧師は聖くんが今どこにいるのかは知らない。たぶん、あえて聞かなかったんだろうね。でも『誰』と一緒なのかは知っている」
むしろ、一緒にいる『誰』かさんをよく知っているからこそ、佐久間牧師は目をつぶったのだ。
「聖くんは誰と一緒にいるんですか?」
「知らん」
「おい、違うじゃねえか」
責めるようにこちらを見る三杉に、望は肩をすくめた。
「心当たりが多過ぎて、わからないんでしょ? 浦和仲町教会の会員数は今年の三月時点で八十七人。その内何人が加担しているのかは知らないけど、おそらく相当数の人が今回の件に関わっている」
マンション前で遭遇した木村舞もその一員だ。上田宅に何の用なのかはわからないが、着替えでも取りに行ったのだろう。
三杉が恐怖におののいた。大げさなほど震える手を口元に当てた。
「ま、まさか、教会員がグルになって誘拐を……っ!」
「だから『誘拐』じゃないって」
「三杉、前々から思っていたがお前は論理的思考能力が欠如している。高校生一人を誘拐して何の得がある」
「……信者獲得のため」
「阿保か」
「峰崎教会じゃあるまいし、そこまで信者に困っとらんわ」
口々にけなすと、三杉は拗ねたように呟いた。
「じゃあなんで、こんなややこしいことをしたんだよ」
「何らかの理由があって聖くんを父親と引き離す必要があったから、みんなで匿ったんだよ。まあ、その理由もだいたい想像がつくけど」
上田家はただ今、離婚調停中。一人息子の親権を巡って両親が争っているという。母親は浦和仲町教会に幼い頃から通っているーー情に絆された教会員達が協力したのだろう。
「聖くんを引き取るには、専業主婦の美幸さんはやや不利、ってことですかね」
佐久間は答えなかった。沈黙が答えだ。牧師は嘘をついて誤魔化すことが許されない。だから答えられない。
「だからといって高校生失踪に加担するのはいかがなものかと思いますが。父親にだって言い分があるでしょうに」
「母親に肩入れをするつもりはない」
佐久間は頬杖をついた。卓上カレンダーに視線を落とす。
「誰もずっと隠しおおせるとは思っていないさ。ただ時間が欲しかった」
「じゃあそろそろ家出を終わりにしていただけませんかね? 警察沙汰になる前に」
失踪から二週間以上経っている。考え事をするには十分以上の時間があったはずだ。決断を求めるが、佐久間は首を横に振った。
「あと五日だけ待て。それで全てが終わる」
「全てが、ねえ……」
望は奔放に跳ねる髪をなでつけた。
大変意味深な台詞だが、待っているだけで全てがすっきりと終わるなんてことは今まで一度もたりともなかった。
「条件があります。母親の美幸さんに会わせてください」
訝しげな視線を寄越す佐久間に、望は小さく笑った。
「いくつか確かめたいことがあるだけです」
「詮索好きめ。一体誰に似たんだか」
「まず間違いなく祖父でしょうね」望は悪びれもなく祖父の信二に責任をなすりつけた「何しろ『牧師探偵』ですから」
事件が起きたら積極的に首を突っ込んで解決してまわった祖父に比べたら、自分が巻き込まれた事件だけを解決している『使徒探偵』なんて可愛いものである。
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