【番外編】修学旅行

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 普段の職場である学校を離れ、生徒達や一部の教師陣が羽目を外していても、あの人は全く変わらない。黒のスーツにネクタイ。いつもの教師スタイル。そういや私服姿を見たことねえな、と今更ながら気づく。スカートもだ。惜しいと思うのと同時に実にあの人らしいとも思った。  渡辺リョウ先生もとい渡辺涼の第一印象を端的に表すのなら「性を感じさせない」だ。  男性的な乱暴さがなく、かといって女性的な感受性にも乏しい。化粧っ気のない顔。おそらく一度も染めたことのないであろう黒髪。当たり前のように毎日身にまとうパンツスーツ。事務的に、ひたすらに淡々と授業を行う様は、やる気がないと言うよりも、機械的と言った方が適当かもしれない。  券売機の音声ガイドに愛想がないのと同じことだ。悪意があるわけでも怠惰なわけでもなく、ただそういう風にできているだけのこと。悪いことではない。社会という共同体の中では生きにくい性格だとは思うが。  音楽科の一教師に意識を向けた発端は、そんな程度の興味からだろう。  しかし、注視すればおのずと見えてくるものがある。早朝から授業のリハーサルを行う丁寧さだとか。それでも本番にはあんちょこノートに目をやってしまう自信の無さだとか。厳重に管理しているはずのスタンウェイのピアノを使っての練習中、不意に人差し指だけで適当に曲(しかも、なんのオペラかと思ってよくよく聴いてみれば『刑事コロンボ』のテーマだ。気づいた時には吹き出しそうになった)を弾く遊び心とか。  鉄面皮から時折零れ落ちる「女性らしさ」の一つ一つが、たまらなかった。  渡辺涼自身が自分の女性性に気づいていないことが、さらなる拍車をかけた。悪く言えば油断しているのだ。自分が異性にそういう対象として見られることはないと決めつけている。  だから生徒から好かれるなんて夢にも思っていない。実際に告白されても本気だと思わない。同情だけで、告白した生徒を慰めるような真似ができるのだ。 (甘いんだよ、先生)  知らないだろうが、あんたは自分が思っている以上に女で、子供としか思っていない「可愛い生徒」は、それでも男なんだ。六年上の教師にだって一丁前に想いを寄せる男なんだ。頼むから気づけよ、いい加減。  人気のないロビーで、置き去りにされたガキみたいにソファーに座るな。取り繕っているつもりだろうが、気落ちしているのが顔に出てる。いかにも何かありましたってのがバレバレだ。隙を見せるな。 (俺はちゃんと言ったからな)  警告はした。覚悟しろとの意味合いも込めて「逃げんなよ」とも言った。なのにたった二日間、普通科と音楽科で全く行動が違ったからといって油断するなんて、不注意にも程がある。ちゃんと警戒しろよ。こっちはずっと隙を窺ってんだ。付け込まれるぞ。 (あんたが悪い)  責任転嫁をしつつ、元「可愛い生徒」もとい鬼島天下は渡辺涼の隣に腰を下ろした。
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