【番外編】修学旅行

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「ふざけてないで、説明しなさい。これは一体どういうことだ」  天下はもう片方のベッドの脇にしゃがみ込み、ゆっくりと涼のボストンバッグを床に下ろした。その姿勢のまま動かない。 「佐久間先生は?」  深々と、これ見よがしに天下はため息をついた。 「そんなに気になりますか?」 「何が」 「佐久間」 「先生を付けろ。あれでも教師だ」  不意に天下は立ち上がった。涼は自分の身体が一瞬、硬直したのがわかった。竦み上がったのだ。個室に男子生徒と二人きり。馬鹿ップルと大して変わらない状況だ。警戒度を上昇させた涼に対し、天下は肩を竦めた。 「今夜の見回りの件で指示を仰ぐため、学年主任の所にいますよ」 「見回り?」 「抜き打ちの部屋チェック」  涼は首をひねった。そんな話は聞いていない。普通科だけ実施するのだろうか。 「その話はどこから?」 「四組の連中が噂していた」天下は片頬を歪めた「って俺はクラスの女子に言った」  天下は笑っていた。悪戯を成功させた子供のようだった。 「まさか、デマを流したのか?」 「俺は『最終日だから気が緩んでいる時に抜き打ちチェックをやってもおかしくない』と言っただけだ。女子がロクに確認もしないでクラス中に一斉メールしようが、学年中に広まろうが、矢沢まで噂が届いて慌てて自分の部屋に戻ろうが、佐久間が噂の真偽を確かめに部屋を出ようが、俺には関係ねえ」  よくもぬけぬけと。そうなると見越して行動した結果がこの状況ではないか。 「部屋の鍵は?」 「矢沢から預かった。佐久間の名前を出せばあっさり渡したな」  涼は脱力のあまりその場に崩れ落ちそうになった。もはや「佐久間『先生』と呼びなさい」と天下を諭す気にもならない。今回の場合、騙された方にも責任がある。 「先生」いつの間にか天下は涼の目の前に立っていた「これで二人っきりですね」  涼は持っていた音楽誌で天下の頭をはたいた。 「あの二人と同じ轍を踏む気か」 「それはさすがに俺も勘弁だな」  あっさりと天下は引き下がった。涼が拍子抜けするほど、簡単に。猛獣を彷彿とさせるあの凶悪な笑顔はどこかへ行ってしまったようだ。喜ぶべきことだ。しかし安堵よりも違和感が先行した。 「先生、おせっかいついでに一つだけ言わせてくれ」  天下は佐久間のカバンを持ち上げた。 「俺を拒む気概があるなら、あの二人にだって強く出られるはずだろ。教師と生徒の恋愛に反対ならなおさらだ。自分が部屋を出るくらいならあの二人を追い出せばいい。簡単に折れるなよ」  なんでそこまで君に言われなければならない。平時ならすぐに出てくるであろう反論は、涼の喉の奥に押し込まれたままだった。非常に不本意だが、自分は今日、この男子生徒に助けられたのだ。いささか強引な手段だが、天下のおかげで宿を確保できたのだ。その程度の自覚はあった。 「俺は部屋に戻る。ここに居座ったりはしねえ――今日のところは、な」  最後に付け足された言葉の意味を理解することを涼は放棄した。非常に危険な予感がしたからだ。 「だから先生も、誰も部屋に入れんな。つけ込む隙を作るな」  佐久間の荷物一式を部屋の外に放り出し、天下は扉から顔を出した。 「戸締まりはちゃんとしてくださいね」  似非優等生顔でそう言い残し退室。予告通りだ。居座ることはおろかこれ幸いに迫ってくることもなかった。  しかし最後の言葉が解せない。戸締りも何もホテルの個室は基本的にオートロック。それがわからない天下ではあるまいし――涼は考えた。拒む。追い出す。佐久間のバッグをわざわざ部屋の外へと持っていった天下。鍵。戸締まり。 (あ、そうか)  涼は扉のチェーンキーを掛けた。  確証はないが、つまりこういうことなのだろう。  一つ伸びをしてベッドに倒れ込む。スプリングのきいたふかふかベッド。修学旅行最終夜なだけあって今までで一番豪華な部屋だった。それを一人で独占。悪い気はしなかった。  部屋に備え付けのバスタブにお湯を張り、ゆっくり浸かって、疲れを癒した。まったりとTVを見たり、音楽を聴きつつ柿の種をかじり、溜めていた本の消化につとめた。  時折、控えめなノックの音だとか鍵を開けようとする音だとか、ケータイに着信が入っていたりとか、些細な妨害があったが、全て黙殺。  ひとしきり一人部屋を堪能し、涼はベッドに潜り込んだ。 (……あ)  睡魔に身をまかせる間際に思い出した。とても大切なこと。 (天下に礼を言ってない)
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