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不毛さに気付いたのは土曜の朝になってからだった。
いつもの通りいつの間にか専用机に鎮座していたマグカップと「減るわけでもないし、置いとけよ」と綴られた手紙。怒りにまかせてメモを取り「Che palle!」と書きなぐった時にふと涼は我に返った。
おかしくないか。
何故音楽科教師である自分が他学科の六歳下の生徒相手に、イタリア語で「いい加減にしろ」などと書かねばならないのだ。そもそも、だ。
(これじゃあまるで文通……っ!)
素っ気なく突き放すつもりが、手紙のやり取りをしているではないか。まったくもって意味がなかった。
涼は書きかけのメモをゴミ箱に放った。今考えるべき事はこのマグカップを返却する術ではない。いかにして天下に実家へ帰らせるか、だ。彼の誕生日は今日だ。本人にアプローチをかけることなく当日を迎える羽目になっている。この件に関して逃げ腰になっているのは否めなかった。涼は深々とため息をついた。
苦手意識を持っているのは、何も鬼島天下という生徒に対してだけではない。
(だから嫌なんだ)
涼は卓上カレンダーを睨み、楽譜を手に取った。弓道部の練習は今日の午前中。合唱部も同じく。終わるのはたぶん、合唱部の方が先だ。
(なんで私がこんなことを)
内心では愚痴のオンパレード。それでも頭は冷静に、嫌になるくらい計算高く策を練っている。簡単なことだ。帰らざるを得ない状況を作り出せばいいのだ。突き放している振りをしつつも家族想いな彼なら、つけいる隙はいくらでもあった――正確には、涼には思いつくことができた。現に天下を帰らせる案は既に出来上がっていた。
そんな自分が、どうしても好きになれなかった。
――可哀想に。
春の訪れと共に去った教師の声が耳に残る。仮にあれを勝負として考えるのならば、敗者は彼女であったはず。しかし、彼女は満足そうに微笑んだ。微塵の悔しさも感じさせずに言って、無責任に去った。憐れむように、どこか優越感も含んで。
可哀想に。自分を守るために他人を攻撃せずにはいられない。これから先、あなたはずっとそうやって生きていくんですね。
数ヶ月が経過した今なお、涼はその言葉を否定することも認めることも出来なかった。
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