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拷問に近い授業を終えるなり、遥香は詰め寄ってきた。表面上は休み時間に質問をしようとする生徒を装っているが、目が笑っていない。涼は後ずさり、スタンウェイの反対側に回り込んだ。
最後の生徒が鑑賞室の扉を閉めるなり、辛うじて張り付いていた遙香の笑顔が消えた。
「どういうことですか?」
「待て落ち着こう、話せばわかる」
諸手をあげて涼は無条件降伏した。恋に我を忘れた娘ほど恐ろしいものはない。控え目だが施された化粧がまた凄みを引き立てる。
「その様子だと、佐久間先生からの説明は無し、ってことですか」
「何がですか」
「バレそうになった」
遙香の目が大きく見開かれ――なかった。不機嫌そうに「何が?」と訊ねてくる始末。涼は額に手を当てた。察してくれ、頼むから。
「校長含む一部の先生宛てに怪文書が送られてきた。佐久間先生と生徒が交際している、って」
ようやく理解したのか遙香の顔が強張った。
「でも……どうして?」
「どうしても、こうしても」
涼は深くため息をついた。所構わず愛を育んでいれば当然だ。
「担当科目の違う私でも知っていることを考えれば、誰かが気付いたとて不思議じゃない」
「だからって、どうして先生が付き合っていることになるんですか?」
「文句なら佐久間先生に言ってください。私だって迷惑しています。君との恋を隠すために私の名前を勝手に出したんだ」
苛立ちのままに言葉を重ねる。
「君がどうしても嫌なら、後で校長に『さっきのは嘘です』と言ってもいい。ただし、その時は何故そんな嘘をついたのかを説明しなくちゃいけない。うまい言い訳を考えてくれる?」
「嫌です。佐久間先生があなたと交際しているなんて」
遙香は即答した。
「嫌に決まっているじゃないですか。一限でその話を聞いた時、私がどんな気持ちだったか、先生にわかりますか」
自分の心情を察しろと言うくせに、こちらの心情は察してくれない。面倒な娘だ。勝手に彼女にされた気持がお前にわかるか。
「でもうまい言い訳も思いつきません」
「二人で知恵を絞ってくれ。なるべく早く」
他人事のように涼は投げた。実際他人事だった。
「一応弁明しておくけど、私は佐久間先生が同僚で、君が私の教え子じゃなかったら、絶対にこんな面倒な役は引き受けなかった」
説得が功を奏したのか、遙香の目から剣呑さが薄れた。
「先生は、好きな人はいないんですか?」
よくもそんな嘘が吐けますね。
軽蔑混じりの眼差しを、涼は鼻で笑った。本当に、恩知らずな生徒だ。涼に嘘を吐かせる自分に非があるとは微塵も考えてはいない。
「好きな人はいるよ」
教え子に対抗する涼も涼で幼いのかもしれないが。
「プラシド=ドミンコ。三大テノールの一人だ。彼の歌を聴いて私は音楽を志した。今でも彼の声に首ったけ。今度生まれ変わるなら、テノールがいいな」
わけがわからない。眉をしかめる遙香に内心満足しながら、涼は笑って付け足した。
「でも残念ながら、彼は既婚者だ」
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