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だがしかし、涼の苦悩はこれだけでは終わらなかった。
全国模試で三十四位。学校始まって以来の快挙に職員室の話題はもちきりだ。おまけに生徒も自分の事のように触れまわる。科が違かろうとそんなことは関係ない。
つまり、涼の担当する音楽の授業でもその話が浮上したのだ。
「全国三十四位ですよ」
もう既に本人から見せられましたとは言えずに、涼は生徒が掲げる結果を眺めた。何度見ても順位が変わることなく、天下は全国で三十四位だった。
自身の模試の結果をクラスメイトに奪われた天下はというと、鑑賞室の一番後ろの机で気のない素振りをしていた。おそらく五限以前もずっとこんな調子だったのだろう。周囲とは反比例して盛り下がっていた。
とりあえず、涼は社交辞令を述べた。
「おめでとう」
「どうもありがとうございます」
頬杖をついた状態でおざなりな返事。天下の醒めた態度に不満の声を上げたのは同級生達だった。
「ノリ悪ぃよなあ、もっと喜べよー」
「賞金でもくれんだったら、もっとテンション高くなるんだがな」
「ひっでえセリフ。これで優等生かよ」
涼はため息をついて授業を始めた。先週観た『トゥーランドット』の感想を集めて、発表と解説。それで今学期の授業は終了。あとは実技試験を行うだけだった。
「『なんでイタリア人はやたらとキスをするのでしょうか?』という質問ですが、それは先生にもわかりません。イタリア人に聞いてください。それに『トゥーランドット』の舞台はイタリアじゃなくて中国です」
「でもみんなイタリア語で歌ってます」
「作ったのがプッチーニだからです」
投げやりに答えてから、涼は『トゥーランドット』に思いを巡らした。それほど接吻をするシーンはなかったような気がした。
「そんなにしてましたか?」
「人と会う度にしてました。頬とか、手とか、いろいろ」
大人しめな女子生徒が答えた。イタリアでは挨拶程度のものだが、日本人からすれば刺激的だったのか。
「キスする場所によって意味は違います。手の甲は尊敬。頬は好意。額は友情。イタリアでは別れる時には普通に互いの頬にキスをします」
そういう国の文化も作品に影響するのだ。いくら『トゥーランドット』の舞台が中国に設定されていても、風習が出てしまう。そこがまたオペラの面白みだった。
そこでチャイムが鳴ったので、涼は試験内容の説明だけして授業を終了した。まばらに退室する生徒達。試験の細かい確認を求める生徒に応じて、一段落したところで、まだ鑑賞室に残る生徒に気付いた。天下だ。
「閉めるぞ」
暗に出ろと促したのだが、天下はスタンウェイのピアノに近づいてきた。つまりは涼の元へ。
「どうした?」
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