1 正体不明の動悸

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「触んないでくださ……皮膚、痛いから……お願い……」  言い終わらないうちに膝が崩れる。汗びっしょりで息も荒い。 「悪い! 痛いのわかってても非常事態だ。抱えるぞ」  今度こそこのまま放っておくなんてできなくて、肩に腕を回してベッドに向かった。  見た目は女の子みたいに華奢で俺よりも小さいのに、辛さで意識が途切れがちな身体は鉛みたいに重い。  腕に力を入れて体を支え、半ば引きずりがちになって運ぶしかなかった。  でも、その子はもう痛いとも言わず、もちろん振り払う様子もなかった。  ベッドまで来て力のままに下ろす。  この子の汗と体温が俺に移っていたのだろうか。身体が離れた瞬間に互いの肌のあいだに冷えた空気が流れるのを感じた。  妙に心もとなくなって、つい顔を覗き込んでしまう。 「おい、大丈夫?」  横向きから仰向けにしてやる。呼吸は浅く、細めの眉は苦悶に歪んでいた。 「制服、緩めるぞ」  着崩していない制服のせいで、より苦しそうに見える。もちろん返事はないけど、固く締められたネクタイを取り、枕元に落としたら、次はシャツのボタンをひとつ……ふたつ。 「……ん……」  小さな声がこぼれて首がのけぞった。白い喉元が間近でさらされる。  か細い首筋から、くっきり浮き出た鎖骨まで走る青い血管。その上を伝う汗の雫がやけに生々しい。  ────こんなに青白い顔をしているのに、頬や唇の薄赤い色が浮き出て見える気がするのはなぜだ────  俺は、手を伸ばし、その頬に触れていた。完全に無意識だった。 「ん……あ……き、もち、い……」  呟くような声がまた漏れて、細い指の手が俺の手に重なり、すり、と頬ずりを受けたように思った。  途端に我に返る。と、同時に鋭い感覚が背筋を駆け上がり、ドク、ドク、ドクという拍動音が頭に響き出す。  心臓の音。この子の?  違う。これは俺の心臓の音だ。  びっくりして頬から手を離し、自分の左胸を掴んだ。全身がカアッと熱くなるのを感じて、ますます胸が跳ねる。  なんだ。なんだこれ。  ちょっと手が重なるくらい、なんてこと無い。手を繋いだり絡ませたり、もっと濃ゆいこと普段やってんじゃん。  頬ずりされたくらい……いや、触ったはずみで顔を動かしただけだろう? なに勘違いしてんの、俺。  「気持良い」だなんて、顔はかわいいけど、この子は男じゃん。そんな言葉を聞いたって、胸が跳ねる要素はひとつも無い。  でも……でも……最初のあのツンとした様子からのギャップ、って言うのか、妙な色気のある首筋や頬、甘い声。もう一度だけ……触れたい。聞きたい……。  俺の意識はその時、どこに飛んで行っていたんだろう。 「あれ? 望月くん……と、あら 遠野(とおの)くん? また気分が悪くなった!?」  先生がいつの間にか保健室に戻ったのにも気づかず、声をかけられた時には、俺の右手は「遠野」と呼ばれたこの子の首筋に触れようとしていた。  自分で驚いてその手を引っ込める。 「や、なんか気分悪いって来たから、それでベッドに運んで、様子、様子見てただけで」  問い詰められたわけじゃないのに、(よこしま)な心を隠すために言い訳じみてしまう。 「そうなの? ありがとう。体調を崩しやすい子なのよ。望月くんがいてくれて良かったわ。あら? 望月くんも顔が真っ赤じゃないの。風邪ひいてるんじゃない? 熱、測ってみて」  先生は遠野の様子を見ながら俺にも声をかける。 「だ、大丈夫。その子、見てやって。俺戻ります」 「え、ちょっと」  半ば逃げ出すみたいに保健室を出た。でも、教室が近づいてもまだ胸がドクドクドクドク騒いでいる。  もちろんこんな調子で授業に戻れるわけもなく、屋上に上がり頭を冷やした────初めて病人の対処なんかして動転してるんだ。それだけだ。    俺は、正体のわからない動悸を唾と一緒にゴクンと飲み込んだ。
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