『キュウリ』からわかる『日本』と『ヨーロッパ』の考え方の違い。

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 『キュウリ』と言う野菜をご存じだろうか。  キュウリとは、インド北部のヒマラヤ山麓原産のウリ科の植物で、古来から各地で食用として育てられている。(日本では平安時代から栽培されている)  現代では未熟な緑の実を食べているが、今と異なり昔は熟した黄色い実を食べていた。熟した実は歯ごたえが無くなり、味も悪くなってしまう。  しかし未熟な実は果実成分の95%程が水分とされており栄養価は非常に低いが、歯ごたえのある食感と夏場の水分補給として重宝されているのは皆さんご存じなのでは無いだろうか。  と、キュウリの説明は一度ここで休止して、本題に触れようかと思う。そう、『キュウリ』からわかる日本とヨーロッパの違いについてだ。  一体キュウリのどの部分から違いがわかるのか、それは形でも色でも味でも無い、『名称』である。  日本では『胡瓜』と呼ばれるキュウリだが、ヨーロッパ…英語では『cucumber』と呼ばれている。  さて、この2つを並べた時にある共通点が見える。もうお気づきの方もいるのでは無いだろうか。それは……そう『キュウ』である。日本語のキュウリも、英語のキューカンバーも同じ『キュウ』が入っているのである。それはなぜか、それを語るにはキュウリの説明に戻るしか無い。  日本とヨーロッパにキュウリが普及し始めた頃、キュウリの歴史について知ってもらうほか無い。  まずは、日本。  平安時代、日本に伝来した頃のキュウリには名前は無かった。名前の無い野菜を平安時代には各地で育てられ、食用として食べられていた。しかし、時折耳にするキュウリの噂があった。それは『九つの子がいる家庭でキュウリを食べると、子が消える、どこか遠くへ離れていってしまう』という噂だった。その噂は本当のものであり、平安時代の文献にはいくつもの失踪事件が記されていた。そこにキュウリの記述もあった。その記述には、新たな事件が生まれないよう名称を『九離』とし、事件が起こらぬように心がけたと記されている。  次はヨーロッパ。  14世紀頃イングランドに伝来した頃も日本と同じく名は無かった。しかし、ヨーロッパでも同じ事件が多数起こった。  九才の子供がいる家庭でキュウリを食べると、子供が消えたのである。そして、ここに日本との違いが出るのだ。  この時イングランドが付けた名称が『cuu comeback』  日本とは違い、名称に未来の希望を込めたのだ。(nineを使わなかった理由は日本語で『無い』を意味する為。そして日本でもそのような事件が起こったことから日本語の九を使ったのだと言われている)  そして現在ではそのような事件も無くなり、徐々に忘れられ、  日本では『九離』ではなく、字面のよい『胡瓜』  ヨーロッパでは『cuu comeback』統合され訛り『cucumber』  となっている。  これが『キュウリ』から分かる『日本』と『ヨーロッパ』の考え方の違いである。  日本の『今』を大切に考えるという考え方。  ヨーロッパの『未来』見据える考え方。  どちらも重要で一長一短である。  今のことばかり考えていると未来が大変になることもあるだろう。  先のことばかり考えていると今が大変になることもあるだろう。  その場の状況によって視点を変えないといけないのだと、未熟な緑色のキュウリが言っている気がしてならない。  私は『キュウリ』によって人生の考え方。というものを教えてもらったのかもしれない。  それ故に、私は人生を愛し、日本を、ヨーロッパを、世界を愛し、そして。  『キュウリ』を愛するのかもしれない。  そういえば最後に一つ言っておかなければならない事があったのを忘れていた。  私は決して河童では無いと言うことを。
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