瑠璃の花

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  とある所に瑠璃の花と呼ばれる令嬢がいた。   令嬢の名はリシェル・ウィンターと言った。リシェルは今年で十七歳のお年頃だった。   そんな彼女には何故か婚約者がいなかった。社交界では瑠璃の花とか呼ばれていたが。リシェル自身は地味で生真面目、しかも男嫌いときた。そのせいで未だに正式な婚約者を見つけられずにいたのだった--。   リシェルは今日もため息をついた。彼女は瑠璃--ラピスラズリのごとく濃い藍色のまっすぐな髪とアメシストのような紫の大きな二重の瞳、すっと通った鼻筋、薄いピンクの唇と非の打ち所がない顔立ちをしている。体躯もほっそりとしていて華奢な感じだ。   いつも人々は儚げで清楚な雰囲気の彼女に目を惹かれてしまう。が、見かけと違い、性格は生真面目で野暮ったく地味なのが一番と思い込むオタク系の少女だった。リシェルはいつも本を読み、ビン底眼鏡をかけている。メイドのカーラとルミナは心配していた。うちのお嬢様は大丈夫かと……。   今日もリシェルはビン底眼鏡をかけて恋愛小説を読みふけっていたのだった。 「……リシェル。今日もお前は本ばかり読んでいるのか」   そう声をかけてきたのはリシェルの父のデヴィッド・ウィンター侯爵だ。侯爵はちょっと呆れ気味に娘と同じ濃い紫の瞳を細めた。 「……あ。お父様。いらしてたんですね」 「さっきからいたんだが」   侯爵はふうと息をついた。相変わらずだ。今もビン底眼鏡にひっつめ髪、着ているワンピースも質素な黒でどこまでも目立たない。幼い頃はもっと彼女もおしゃれをしていたはずだが。   そう侯爵は昔を思い出していた。あの頃はお父様のお嫁さんになるのだと言ってくれていた。が、今は可愛げのかけらもなくなってしまっている。生意気ではないんだが。ただ、本の虫みたいになっているだけで。眉間をふと揉んだ。   それでもリシェルは本を読むのをやめない。侯爵はそっとその場を離れたのだった。 「お嬢様。今日はいかがしましょうか?」   カーラがリシェルに尋ねる。リシェルはそうねと考えた。 「……今日もひっつめ髪でいいわ。どうせ、お茶会も夜会も行かないのだし」 「わかりました。じゃあ、シニヨンでまとめておきますね」   今、リシェルはカーラに髪結いをやらせている。横ではルミナがお化粧の準備をして待っていた。カーラはリシェルの髪を手慣れた様子でピンで留めていく。三つ編みにしてからくるくると巻いた。それをアシアナネットで一まとめにした。 「できました。お嬢様」 「ありがとう。今日もきちんとできたわね」 「そうしないとお嬢様が嫌でしょうに」 「まあ、それはそうなのだけど」 「お嬢様。明日はもっと華やかな髪型にしましょう。ヴァレッタを使うとかリボンで飾るとか。いつもシニヨンだと飽きるでしょう?」   思い切ってカーラは言った。するとリシェルは俯いた。どうしたのだろうと思っていたらリシェルはいきなり顔を上げる。 「……カーラ。わかってはいるわ。私が地味で不細工だという事は。でも華やかにしたって似合わないのよ。私にはこんな地味で野暮ったい髪型と服がお似合いだわ。そこはあなたもわかってほしいのよ!!」 「……お嬢様。そんな事を考えていたんですか。わたしは地味で不細工だなんて思っていませんよ。むしろ、あなたは綺麗で楚々とした方です。野暮ったいだなんて言ってはいけませんわ」 「カーラ……」 「さあ。もう髪を結うのは終わりましたから。ルミナさん。お化粧を頼むわ」 「はい。ではお嬢様。失礼しますね」   カーラが宥めてからルミナは手際よくお化粧をする。決して派手ではなく、目立たないながらも上品に仕上げていく。   そう、リシェルの一番の問題は。本人が自分は美人ではなく地味で不細工だと思い込んでいる事だった。この原因を作ったのはリシェルの幼なじみの少年だ。名をルイスといい、公爵家の嫡男でリシェルのかつての憧れの人だった。が、ルイスはリシェルのおとなしく引っ込み思案な性格をうっとうしく思っていたらしい。ある日、リシェルの目の前でこう言った。 『お前は髪型も何もかも地味だし野暮ったい。しかも不細工ときた。もう俺の目の前に現れるな』   そう冷たく言い放たれたリシェルはショックのあまり、大声で泣き喚いた。すぐに彼女の両親が駆け付けてくれたが。父の侯爵がルイスの父であるガートルネ公爵に経緯を説明して母もリシェルを慰めてくれた。   ガートルネ公爵は息子であるルイスを叱り、リシェルに謝罪をしてくれたが。リシェルも赦した。までは良かった。   何と、ルイスはリシェルに謝罪をするどころか睨みつけたのだ。そしてこうも言い募る。 『……お前はうっとうしいんだよ。もう二度とうちに来るな!』   それを言われた後の記憶がない。リシェルは茫然自失の状態で自邸に帰る。両親の話だと2日間は高熱を出してうなされていたという。そしてリシェルは男嫌いになり自分は不細工だと思い込むようになった……。   そうして2日が経ったある日、父のウィンター侯爵がリシェルを書斎に呼んだ。どうしたのだろうかと思いつつも向かう。   ドアをノックする。中から返事があった。 「……お父様。用があるというので来たんですけど」 「ああ。リシェル。わざわざすまんな」 「で。用件はなんでしょうか?」   書斎に入ってすぐに質問してみる。侯爵はいつもの事なのでちょっと考えてから言った。 「……実はな。お前に縁談が来ているんだ」 「え。その。お相手は誰なんですか?」 「……この国の第一王子で王太子のレオン殿下だ。御年は今年で二十歳になられるんだが。何故か陛下がリシェルを正妃にと勧めたらしい」   リシェルはレオン殿下の名前を聞いて固まった。あのルイスのいとこの方ではないか。自分を男嫌いにさせた原因の人物の親戚と結婚しなければならないとは。リシェルは自分の不運を呪いたくなった。何でよりにもよって女嫌いとして有名な王子との縁談が来るんだ。神様は私がそんなにまでお嫌いなのか!   そう思ったのは言うまでもなかった。リシェルは仕方ないとも思う。王族との結婚も貴族としての義務だと。そう考えて深呼吸をする。 「……お父様。わかりましたわ。レオン殿下との縁談はお受けします」 「そうか。本当にすまんな。お母様にも話しておいで」 「はい。では失礼致します」   リシェルはそう言って一礼した。侯爵の書斎を出て行ったのだった。     リシェルはウィンター侯爵夫人で母であるリエルと話していた。 「……お母様。レオン殿下との縁談が来ましたの。お受けする事にしました」   そう告げると母はリシェルとは違う金の瞳を見開いた。扇で顔を隠した。 「あらまあ。あのレオン殿下との。でもあなたはそれでいいの?」 「私はいいんです。レオン殿下は女嫌いで有名ですし。形ばかりの正妃になる事請け合いですわね」 「……リジー。あなたはいつもそうね。諦めてばかりだわ」 「……お母様」 「もっと欲張りになってもいいのよ。例えば、レオン殿下にお願いして銀や金の宝飾品をいただくとか。ダイヤモンドでもよくてよ」   母はそう言うとほほっと笑う。リシェルの愛称はリジーだが。両親しか呼ばない特別な名でもある。ちょっとだけ母の冗談に気持ちが浮上した。 「ありがとう。お母様」 「お礼はよくってよ。でもリジー。これだけは覚えておいて。あなたはどこに行ってもデヴィッド様とわたくしの娘よ」 「……はい」   リシェルはそう言うと頷いた。固く両手を握り合い、リシェルと母は涙を流したのだった。   それから、一年間の婚約期間が始まる。リシェルは仮の王太子妃という扱いで王宮に滞在する事になった。   レオン殿下は婚約式で顔を合わせたが。目も覚めるような美男とはこの方をさすのだろうかと思えた。   白金の髪と薄い藍色の瞳に白い肌、均整の取れた体躯。この世の者ならぬ美貌の持ち主だった。が、性格は生真面目で融通のきかない頑固者だ。それは婚約式の最中に思い知った。   レオン殿下は式の間中、ずっとリシェルと目を合わせずに口もきかない。ただ黙々と式をこなすだけだった。そうして終わるとさっさと自室に引き返して行った--。   ふうとため息をついてリシェルは回想を終わらせた。今、彼女は王太子妃が代々住むという昴星こうせいの宮に滞在している。レオン殿下と正式に婚姻すれば、リシェルの住まいになるのだが。未だにレオン殿下とは会えず、打ち解けれないままでいる。このまま、愛のない夫婦生活が待っているのだろうかと考えてしまう。また、ルイスみたいにレオン殿下も私の事を嫌うのかもと暗く寂しい気持ちが頭をもたげる。   主人が不安そうにしているのをカーラとルミナは心配そうに見ていた。こういう時にレオン殿下には側にいていただきたかった。そしてリシェルお嬢様に「君は悪くないよ」と声をかけていただきたいのだが。でも当のご本人はこの場にはいらっしゃらない。二人ともウィンター侯爵邸から付いて来たが。やっぱりお嬢様と一緒に来て正解だったと互いに思う。そうでなかったらお嬢様はとっくの昔に心が壊れていたかもしれない。ルイス様の一件はそれくらい主人の心の傷--トラウマ--になっていたのだった。   それから、2カ月はリシェルもカーラ、ルミナも鬱々と過ごしていた。   そんな昴星の宮に珍しく来客があった。何故か婚約者のレオン殿下だった。もう自分の元には来ないのではと思っていたのでこれは意外だ。   レオン殿下は侍従に大きな布包みを持たせてリシェルのいる昴星の宮の応接間に現れた。 「……リシェル嬢。この前は悪かった。ルイスの事は本人から聞いているんだ」 「……あの。殿下。話が見えないのですけど」   リシェルがそう言うと殿下は言いにくそうにしながらも説明した。 「その。ルイスは君に「うっとうしいんだよ」とか言ってしまった事をずっと後悔していたんだ。いくら謝っても赦されない事を自分はしでかしてしまったと思っていたと言っていたよ」 「……ルイス様が」 「……俺もあいつの話を聞いて。自分の婚約者に君がなってからずっとひどい女だと思い込んでいた。けど君の事情を父君から聞いたんだ。何でも君はあの時の記憶があまり無くて。しかも2日間も高熱を出してうなされていたと」   レオン殿下はそう言ってリシェルに不意に近づいた。彼女の肩にそっと手を置く。 「……リシェル嬢。もうルイスは君を嫌ってないし。うっとうしくも思っていない。俺との結婚が嫌なら他の奴との縁談も用意する。ルイスも協力すると言っていた。あいつはずっと反省して君の幸せを願ってる」   リシェルはいきなり言われてもと思う。が、意識に反してぽろりと涙がこぼれた。次々に堰を切ったように溢れる。しまいには声をあげて泣きじゃくっていた。レオン殿下はハンカチを差し出してくれた。それを受け取りリシェルは涙を拭う。   それでも涙は止まらない。殿下はリシェルの背中をおずおずと撫でた。ぶっきらぼうだが意外と優しい。殿下はその後もリシェルが泣き止むまで背中を撫で続けたのだった。   大きな布包みを置いてレオン殿下は昴星の宮を去って行った。が、不思議と嫌な感じはしない。リシェルは王宮を去らずにもうちょっとだけ居続けようと決めた。   一年後、リシェルはレオン殿下と何とか結婚できた。あの大きな布包みの中身はルイスの手紙とレオン殿下の手紙、そして二人からのウェディングドレス用のベールが入っていた。何でもルイスは男性ながらにレース編みが特技だった。レオン殿下も手伝ってちょっとずつ編んでいたらしい。それは殿下とリシェルが婚約すると決まった時から編み始めたという。そして、2カ月かけ続けてやっと贈れたのだとルイスの手紙には書いてあった。 「……リシェル。あのベールはとっておいてくれないか」   結婚して1か月が経ったある日にレオン殿下が言った。リシェルは驚いて紫の瞳を見開いた。 「え。どうしてですか?」 「俺たちに娘が生まれたら。その子にベールを使わせてあげたいんでな」 「……そうですか。わかりましたわ」   リシェルは顔を赤らめた。その初々しい反応にレオン殿下は甘い笑顔を浮かべる。女嫌いと云われた以前では考えられない表情だ。 「まあ。そういう事だ。よろしく頼むよ。我が妃殿」 「はい。こちらこそ。レオン様」   レオン殿下はリシェルに手を差し出した。おずおずと手をその上に置く。殿下は優しくその手を握る。二人は美しい薔薇の花が咲く中でゆっくりと歩き始めた。   かつて、瑠璃の花と呼ばれた女性がいた。彼女は白の王と呼ばれたレオン国王の傍らに常にいた。リシェル王妃ーーラピスラズリの妃とも呼ばれた。二人は末長く睦まじく暮らしたという。  終わり
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