とうりゃんせの鬼と羊の子守歌

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『とうりゃんせの鬼 と 羊の子守唄』 「飴玉、食べる?」  きらりと黄金に輝く鼈甲飴を差し出すと、少女は震える指先を伸ばした。 「大丈夫だよ」  ボクが言っても彼女は信用していないらしく、眉間に皺を寄せて瞳を揺らしている。  この角が恐いのか、異形が恐ろしいのか。 「何も悪いものは入っていないよ。ただの甘い飴玉だ」  ニコリとヒトが笑うように口角を上げると、「ありがと……」と、白く細い指先が飴玉を摘まんだ。 「もうすぐ着くよ。この鳥居を抜ければ、キミの望んだ世界だ」 ンッと、飴玉の甘い吐息が漏れる。  この子の手を引き、歩きはじめて数時間。ヒトの時間で言うと数年に当たるだろう。  真っ暗な道を抜け、その先にある長い長い階段を上った。木々のアーチが時々行く手を阻んでいたため、少し時間がかかってしまった。 今は階段の真ん中ぐらい。ボクらはこの先にある最期の鳥居へ向かっている。 最期の鳥居、神の元へ繋がる門。  ヒトの子を連れて歩くときは休憩を多めに取るのが常。 ボクのこの身はあまり疲労というものを感じないが、ヒトの子が数年間歩き続けると考えると、その身は酷く痛むことだろう。しかし、この子は『大丈夫!』と言い、休憩を提案しても立ち止まらない。  何故そこまで急くのかはわからない。急ぐ夢があるわけでもない。行先で誰かと待ち合わせをしているわけでもなさそうだ。 『ボクが疲れたから、一休みをしよう』  嘘を吐いた。そうでも言わなければ、この子は休まない。  段差は高く、少女の足には負担が掛かっているだろう。無理をさせてはいけない。無理をさせれば、神が悲しむから。 「どこへ行くの?」  頬に飴玉を溜めて、少女は訊ねる。しかし、瞳も顎も、こちらを向いてはいない。歩いて来た道を振り返り、暗闇に腕を伸ばしては怖いのか、下ろすということを繰り返している。 「キミの望んだトコロ、だよ」  教えると、少女はまた咥内で飴玉を転がした。しばしの沈黙の間を虫の声が覆い隠す中、コチンと歯に飴玉がぶつかる音が時々聞こえる。 「さ、そろそろ行こうか」  ボクは立ち上がったが、少女は立ち上がる様子を見せない。やはり疲れていたのだろう。 「早く行くよ」  ボクは彼女を無理やりに立ち上がらせると、肩に担いだ。「やめてよ~」と、照れている様子だったが、もたもたしているのも正直ボクが疲れる。早く仕事を終わらせて、牧草の上で一眠りしたい。  彼女を担いで歩き始めて数時間――。  階段を上り切り、門の前に辿り着いた。暗闇もいつの間にか晴れており、辺り一面を見渡すことができる。  門の前には青い狐と黄色い狐が仲良く尻尾に鼻を埋めて眠っていた。 「ねぇ鬼さん、今は夜なの?」 「夜だよ。……夜が暗闇とは限らない」  僕らを見守る天にある星は、黄金の輝きが目映い。そのため、天に近付くこの場所は常に真昼のように明るい。 「鬼よ、それは新しい餌か?」  片目を開いた青い狐が言った。 「これはボクの見つけた物だからあげないよ」  ずっと大切に、食べ頃になるまで育てたモノ。誰にも渡すものか……。 「さぁ、行くよ」  少女の手を無理やりに掴み、門を潜った。さっさと神に見せてこの後どうするか決めてもらおう。ここに住まわせて夢を見せ続けるか、それとも幸運を与えて元いた世界に返すか。どちらになるだろう。 「待って!」  この後のことを考えながら歩いていたボクの着物の裾を、少女がいきなり引っ張ったものだから、ボクは当然の如く体勢を崩した。 「……ッ!」  手を付いた場所は運悪く少女の肩。 「あ、あぁ、ごめん!」  目を開けば、睫毛が触れ合う程の距離に黒曜石のような粒が二つ。慌てて身体を離し、数歩下がった。そして、そのまま……、 「だいじょーぶですかーッ!」  僕は登ってきた階段を数段転がり落ちたのだった。  この身になって数百年。こんなドジをしたことがない。 「(なんというザマだ)」  苦笑を噛み殺して立ち上がる。  天狗らにも驚かれるほどの僕の身体能力。細い枝の上も軽く飛び移ることが出来るし、崖も駆け上ることもできる。こんな階段から落ちたことは一度も無い。 「鬼さんこちらっ! 手の鳴る方へ!」  少女が僕を呼ぶ。  パチパチと手を叩く。  訝し気に目を細めれば、もう一度、今度は先程と打って変わって、透き通る様な声で、僕を喚ぶのだった。 「おーにさん、こーちら! 手ぇの鳴ぁる方へー」  鬼を喚ぶ歌。  この歌を彼女が唄い、僕は彼女の元へ降りた。  冷たい雨の降る日だった。 『あなたはだぁれ?』 『かみさま?』 『そうでしょ! あなた神様よね? ずっと私の傍にいてくれた。知っているのよ、あなたは私が小さい頃からずっと。おかあさんがお出かけしたあの日からずっと、私の傍にいてくれた……』  ザァザァと煩い雨は、やがて彼女の涙と混じった。 『ねぇ、連れて行って? とうりゃんせの向こう側へ』  雷が木々を焼く。  森が死ぬ。  土が息絶える。 「食べ頃……か」
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