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先輩
チャイムの音で玄関を開けると真田さんが立っていた。
コンビニの袋を左手に下げ、右手には酒瓶を持っている。
「よ!久々に宅飲みしよぜ。」
この人はいつも突然で嫌いだ。
「いやです。帰ってください。」
「まじ?厳しくない?」
「厳しくないです。明日も練習なんで。」
「じゃあ、酒を飲む俺のことを見てるだけでいいから!お願い!俺、もうすぐ卒業だよ?会えなくなっちゃうんだよ?」
真田さんは僕の部屋の真下に住んでいる。
法月大学体操部寮は2階建て全40室の横に長い構造で部員個々に部屋が与えられている。
住人が全員体操部だということを忘れれば、ほぼ普通のアパートみたいなもんだ。
真田さんは4年、部活もとっくに引退していて3か月後には卒業を控えている。
僕は一個下で真田さんの活躍をよく目にしていた。
この大学を選んだのも高校体操界のチャンピオンだった真田さんに憧れたのが理由だ。
「外は寒いねー、神谷、お前がいなかったら寒さと寂しさで死んじゃうとこだったよ、ありがとう!」
「いや、そんな元気いっぱいに言われても。それに真田さん、さっき自分の部屋で誰かといたじゃないですか。声漏れてるんですけど。」
「まま、いいじゃん。」
真田さんはそういって、まるで自分の家のようにコタツに潜り込み、テレビのチャンネルをニュースからバラエティ番組にかえた。
ほんと何しに来たんだこの人。
真田さんはこう見えて、オリンピック選手に選定されるほどの実力者だ。1年前のオリンピックで21歳にして金メダルを獲得したこともあり、メディアに大々的に取り上げられていた。端正な顔立ちということもあって世間では体操王子と称されファンクラブもあった。
世間は何かと王子とつけたがる。
「真田さん、それ、僕ん家のポテチなんですけど。」
「ん?んあ、美味しいよ、一緒に食べようぜ。夕飯食べてなかったからつい。」
「そうじゃなくて…まあいいや。先輩、CMでてましたよね日高食品でしたっけ?」
去年の冬の間、健康食品のCMが流れるたびに先輩の声が聞こえていた。
鬱陶しくて何度テレビを消したことか。
「あれ、うけるよね。『いい毎日はいい食事から(キリッ!)』とか言ってさ、俺だってポテチくらい食うわ!」
世界の強者たちは食事まで神経とがらせてるのに、世界チャンピオンのこの人ときたら、まったく、、。
僕もコタツに入り、真田さんと一緒にテレビを眺めポテチを頬ばる。
1時間たったころだろうか、時計をみると23時。
朝練を理由にもう寝るのでお帰りください、と真田さんを丁重に閉め出そうと考えていると、
「俺さ、体操やめようかなって。」
と真田さんが神妙な顔でつぶやいた。
「は?」
これはいつものパターンだ、と思いながらもしっかり聞いてあげる僕。
「やめるんですか?」
「いや、やっぱもう少しだけやる。」
「なんすかそれ、説明になってないですよ。気になるじゃないですか。」
「いや、なんかさ、体操は楽しいんだけど、オリンピック終わってからめんどくさくなったっていうか、生きづらくなったというか」
「いや、それも説明になってませんから。じゃ、やめちゃえばいいんじゃないですか。」
「おい、もっと引き止めろよ。真剣なんだよ。」
こうやってかまってほしい感じもうざい。
けどしっかり聞いてあげる僕。
「いやさ、こないだ自分の名前で検索かけたらめっちゃ記事出てきてびびったの。俺さ、純粋に体操楽しみたいだけなのに、テレビだのCMだのめんどくさいの。普通に生きてるだけなのにネットに記事まで書かれて怖いわ。」
「それが宿命なんですよ、トップアスリートは世界の皆に希望を与えないと。自覚を持ってください。」
「それさ、乾さんにもおんなじこと言われたよ。」
乾さんはここ数年の日本体操界を引っ張て来たベテラン選手だ。去年のオリンピックを機に引退している。
「乾さんにもトップアスリートが世界の人々に勇気を与えなきゃいけないって言われたよ。わかる、すごいよくわかる。
俺だってこんなに強くなれたのはいろんな人の応援があってのことってのはわかってるよ。その分、皆さんに恩を返さないといけないけどさ、1番だと世界に向けてかっこいいこと言わなきゃいけないの?試合終わって休んでたらいきなりカメラ向けられて、とっさに『超気持ちいい』って叫んじゃったじゃん。ネット見たら『まさかのパクリコメントww』とか書かれてるし…コメ欄に草生やさないでもっと感動してくれよ、、俺に語彙力もとめないで。」
先輩が引退してからしばらく見てなかったけどこの人は相変わらず話が長い。
一通り、真田さんが身もふたもない愚痴を言い終えると飽きたのか
「じゃ、もう行くわ。」
と立ち上がった。
ほんとなんなんだこの人。
「忘れ物ないようにしてくださいね。」
「おい、もっと引き止めろよ、寂しいです的なこと言えよ。あ、これ渡しとく。」
とコンビニ袋を僕に差し出した。
「代表合宿でもらったのやるよ、俺はそれいらんし。」
中を見ると、高級な栄養剤やプロテインや怪我のケア用品が入っていた。
よく見ると奥の方にプリンとかバナナとかの栄養食品も入ってる。
「それで元気出せよ。」
きっと真田さんは僕が最近不調気味で日本代表から外れそうだということを誰かから聞いたんだ。
最初から心配で来たって言えばいいのに、この不器用な優しさもうざい。
やれやれな感じをだしている先輩に頭を下げるのはしゃくだが、
「ありがとうございます。」
と一礼。
帰り際に真田さんが何か思い出したように呟いた。
「ああ、俺明日から千葉いないんだ。この寮、明日が最後なの。」
あまりにも急すぎて、僕は言葉が出なかった。
「明日はお前練習だし、会えないと思うから一応言っておこうとおもって。」
「卒業まだ先ですよね?」
「うん、だけど俺がこれから所属する実業団がもう東京の方来いって。やっと寂しくなっちゃったか?」
僕は何も言わない。
真田さんはいつも突然だ。こういうとこがほんと嫌い。
それにちゃんとお別れを言えないとこも嫌い。
しばらく間を開けた後、真田さんが続けて言う、
「お前も卒業したら俺んとこに来いよ。今調子悪くてもお前はできる子だし、世界一の俺が言うんだから多分大丈夫。」
「多分とかいうな。それに僕は真田さんとこにはいきませんよ。」
「なんでだよ?」
「だって真田さんうざいし。」
「お前、、そんなストレートに言うなよ、、傷つくだろ。俺が対人に関しては豆腐メンタルだって知ってるだろ、、そういうの真に受けちゃうから、、」
実際うざいのだがこれ以上追撃すると泣いちゃいそうだからやめてあげよう。
金メダリストが涙を流すにはもっとふさわしい場所があるだろうし。
「でも、俺は、お前と3年間この大学で練習してきて楽しかったよ。お前、体操上手いし、練習の後も練習しててスゲーとも思ってた。何より俺が言ってることを周りはさ、天才の言うことは理解できないとか言ってたけど、お前だけは最後まで聞いてくれて吸収しようとしてくれたし。お前と練習してる時が一番楽しかったかも。だから、お前も調子あげて俺と同じ実業団からスカウトもらってまた一緒にやろうぜ。」
「なんすかそれ。」
「まあ、そういうこと。じゃあね。怪我には気を付けるんだぞ。おなか出して寝るなよ。」
そう言い残すと真田さんは玄関から出ていった。
そういうことを恥ずかしげもなくすっと言えるところがまた嫌いだが、心の奥の深いところがぐううっっと熱くなる感じがした。
真田さんは僕をやる気にさせるのが上手い。
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