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火銃
右手には菊の花束、左手にはトランクケースを携えて、男は応接間に居た。この東方一の花火ギルドの長を待っているのだった。部屋には大小様々なトロフィーと額に入った写真が立てかけられていた。乱雑かと思えるその並びと部屋全体をくすめる黒いカビが、その歳月を男に語る。男は白いソファに申し訳程度にちょこんと座り、トランクを置くと、着慣れぬスーツの内ポケットを弄っていた。何時もの暖かなカーブを指でなぞり、退屈を埋めていた。
ふと、扉がぎぃっと擦れる音がして、そこからギルドの長、アラン老が睨むように男を見つめた。頭にはハチマキ、上着にはハッピ姿だった。
「あちゃー! やっちゃった?」
急に場違いに思えた自身の黒色のスーツをなぞり、男は「はは……」と誤魔化し笑いをした。
「ほう、お主か……メイルの一番弟子だったと言う若造は。噂は聞いとる。中々、凝った花火を作ると」
吟味するような視線が第一に鋭く人差し指のタコに向かっていた。流石にそこらの中堅とは審美眼は段違いだ。
そして今、向けられている顔への視線を意識して、男は愛想笑いを浮かべながら取引のきっかけを待つ。アラン老は駆け引きなぞ知ったことかという調子で、すっと話の核へと迫る。
「火銃を求めとるらしいな。それも我らが至宝、ご先祖様が作り出した五連式火銃を」
「無理……ですか」
「無茶……じゃよ。だが、このマスターピース、一つきりの我らが秘宝も、そろそろ融通が利かぬ程に、古びていく時期じゃ。だから、志願者をろくに確かめもせず、門前払いすることは避けとる。一人も眼鏡に叶った者などおらんがな。どうやら弟子には、それが歪んだ形で伝わってしまったらしい。元は思慕であろうが、それは醜い歪みだ。すまぬな」
ぶっきらぼうではあったが、男はその謝罪にアラン老の義理を通す気風を感じた。心を引き締め、背をピンと張り、口を開く。
「アラン老。俺はこの時のために、全てを花火に捧げてきました。五つの球を連鎖させ一度に放つマスターピース……五連式火銃を手にするために、です。この至宝に恥じぬ球を用意する覚悟も出来ておりますし、使いこなすための技量も磨いてきました」
丁寧語の「です、ます」が妙に甲高く響いたのが、男をひやりとさせた。使い慣れていないのは、一目瞭然だろう。
しかし男はこうこうと語り続ける。聞いてくれているのだ。それに応えて全力で話すしかない。
東の花火ギルドに伝わる五連式火銃。二百年前に花火使いの歴史に残り続けるだろう名工達によって、奇跡的に作り上げられた銃。
銃は花火を打ち上げる際に用いられる。通常の銃なら、一度に一発の球を入れるのが限界だ。親方と呼ばれる程の熟練を経て、ようやく二発の球を入れる二連式を手に取ることが許される。三発の玉を入れることのできる三連式は、中でも特に優れた花火使いのみが扱うことができる。世に出回っている三連式火銃は四十を数える程しかないのだ。それでも三つの球を十全に扱える力量の花火使いは両手に数える程もいまい。
そして五連式火銃。五つの球を入れることの出来るそれは、銃という存在を超え、工芸品としての価値すらある芸術品だった。規格外の火銃だった。そして、これからもそうあるべきものと看做されていた。優れた肖像画がモデルにではなく美術館に寄贈されるように。
男は一通り語り終えたあと、口を閉ざした。沈黙がしばし支配する。男は痛感していた。アラン老はこのような軽い口で説き伏せられる輩ではない。その老人が皺くちゃの唇を動かした。
「では……主の過去、作り上げてきた球を見せてもらおう」
男はトランクケースを開け、球を出した。
【特級】伝説の球。他に比べようもない物に使う比喩であって、ゆえに幻。
【1級】最高峰の球。それを巡って戦争が起こるほどの希少価値を持つ。
【2級】滅多にない球。その年の国の祭りで最後に放たれる程の球。多くの花火使いの目標点。
【3級】上級の球。市場で出回るもので最高級。つまり金で買えるもので最上質のもの。
【4級】中級の球。多くの名作や傑作と呼ばれる球は、ここに入る。
【5級】佳作の球。花火使いが生計を立てる為に作られる球。生活に根ざし、その個性なども愛され、親しまれている。
【6級】通常の球。地方都市や、大きな大会での連弾花火に使われる。実験作が多い。花火使いと呼ばれる為のボーダーライン。
【7級】初球の球。殆どのそれは量産化されている。個人や、小さな仲間内で楽しむような、廉価な球。
【級外】7級に満たない球。それでも全体の80パーセント以上を占める。
「2級が二つ、3級が五つ、7級が一つ、と言ったところか。しかし実に癖と個性のある球たちじゃ。使いようによっては、3級が2級に、2級が1級に、化けるやもしれん。それにこの球」
老人の目が特別に細まったのを、男は見て慌てて
「あー、こいつらはこれでも俺のベストセレクションでね。何年も弄り続けて来た球なんだ」
男は汗を滲ませ、球を両手で手元へと滑らせた。
「はいはい、これまでよ。はい」
「ほう、『べすとせれくしょん』とな。それにしては、主の持つ最高級の球が見当たらんが。メイルから受け継いだという、至宝の球がのう。偶然にも主の内ポケットにぽかりと膨らみがあるのは気のせいか」
男は「やれやれ」と天井を見上げ
「取って置きの秘密の球なんだけど。アラン老」
その球は青く透き通りながらも、強く光の海を透かしていた。球の中の地球。老人が中指で触れると、それが、じじっと、鳴くような音を立てた。
「1級、それも希に見る、いや初めてじゃ。これほど上質な球は。限りなく特級に近い……」
「ばあちゃんの形見でね。こいつは商売道具外だ」
「しかし、我らが火銃に見合うのは、これだけの対価を必要とするわい」
男は首を振り
「何せ、タダで譲り受けたもんでね。こいつと交換じゃ、俺のプライドの方が納得しないよ。持ってるだけなら、サルでも出来る品だしな」
アラン老は、かしこまった目をして
「謙遜するでない。マスターピースを、その繊細な姿を、世に留めるために施せねばならぬメンテナンス、配慮。持つだけで魂が蝕まれるプレッシャー。わしだって経験し続けているのじゃからな。正直に言うとわしはその重荷を背負うのに、いささか疲れた」
アラン老はふっと息を吐き、男にその球を返すと、
「うむ、過去はぎりぎり及第点といったところか……
では、未来を聞こう、主はこれから何を詰める?」
「ジェイス流星群、それを詰めようと思う」
「ほう……」
「驚いたかい?」
「驚いたわい!」
「そう見えなかったけど」
男はぽりぽりと頭をかく。老人はここ数十分で一気に老けたかのように、何年も男と共に時を重ねたかのように、ぶっきらぼうに
「驚きすぎて何も言えんかっただけじゃ。しかし、馬鹿な発想をしおる。いや、馬鹿どころか、バカの天才じゃな」
「褒めてる?」
「褒めとるよ。そして主にはそれだけの力と覚悟がある」
「では、対価を貰おう」
男は渋った表情で
「あー、だからさ、この球は婆ちゃんのものなの! 何が何でも取引は出来ないっての!」
アラン老は皺くちゃを震わせる。
「ほほっ、この球は、この銃に詰めれば良いじゃろ。我らが至宝が描く花の一の球、下地となる土台の球に」
視界の先には黒銀の銃があった。腹部の膨らみとそこに施された精緻なカラクリが、その凄みを伝える。
「じいさん! いいのか!」
「うむ……」
「しかし、対価は頂くぞ。それはお主が最も心血を注いだ球じゃ」
「あっ、こいつらね」
アラン老は「隠すなや」とそれを指さした。
「おいおい、こりゃ7級の個人用の」
「形だけはな。しかし、だからこそ、尊い」
老人はそれを奪うように取り、手のひらに透かす。幾つもの淡く、眩しい光が層になって圧縮されている。
「せっかく……十四年かけたのにな。今日も微調整し続けようと、持ってきたのがアダとなったか。爺さん、中々鋭いねえ」
「ふふっ、お主が放とうとするのは、名工達が五十年かけて作ったマスターピース。そしてわしらが四百年かけて守った時の引き鉄じゃ。軽いもんじゃて」
「あー。気に入ってたのになー」
「ほほっ、ご先祖さんも孫も喜ぶじゃろ」
河川敷には老人と若夫婦と幼い子が一人。川辺を走るねずみ花火から、楽しそうに逃げ惑っていた。やがてねずみがくすくすと、その命を終えると。
「おじいちゃん! ありがと! 楽しー」
少女の紫の浴衣姿は、快活な日焼け肌と不思議にマッチしていた。
厚い眼鏡をかけたその父親が畏まって、
「お義父さん、ありがとうございます。許してくれて」
頭を直角に、ペコペコおじぎをする。
「許したわけじゃないわい。ただ、ノアちゃんが可愛くてな。たとえあんたの血が混じっていようが……」
「これから、これからを見てください。好きになられるように、頑張りますから」
父親は何度も何度も頭を下げながら、懇願している。しかしアラン老は孫と「昨日の学校の給食はどうじゃった」などと取り留めのない話を続けていた。
「父さん! 聞かないふりをしないでよ!」
娘がたしなめようとするが、老人は知らん顔をして、やがて愛おしそうに世界一高価な7級花火を手にした。
「ノアちゃん、ノアちゃん。さて、ご注目。記念すべき本日のメインじゃ。しっかりと手に持って、目に焼き付けておくんだぞ。最高の線香花火じゃ」
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