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一の球 婆ちゃんの球
華の都、レイシャン。古代から花が栄え、花が咲き続け、花火使いが引き寄せられる街だ。そこには紅、蒼、黄金、と輝き続ける空がある。よく手入れされた竹林のように、先人たちのこうした優れた花火の余韻が、次代の花火を育む。
そして住民が何よりも良い。花火を理解し愛でる人達だ。昼は花火の話に没頭し、夜は明かりを消して空を眺める。それに世界各地から訪れる愛好家が加わる。
そのような街だから、小学校では二年から簡単な花火作りが化学の実験に先立って行われる。
男が少年だった時もそうだった。
「いいですか。打ち上げ花火は銃と球の二つによって作られています。銃に球を込め空へと撃つ。それが、君たちが見ているどーん、どーん、と響く花火なんですね。銃は決して人に向けてはダメですよ。
球はですね。いいですか。この球に手を加えると、ひゅうぅぅぅっと周りの空気が入り込みます。それが球の素地、基本となります。いいですか。球に花火を込めれるのは一度きりですよ。もう一度、空気を込めようしても、却って今まで入れたものが出て行ってしまう。それきり、もう入ってこない。だから一度きりなんです。
この空気が大切なんです。だからアウトドア派の花火使いは、旅人にもなるのです。世界中の美しい空気を求めて、旅を続けるのですね」
講師はつかつかと机の間の縦道を歩みながら
「さて、先ほど出てきたアウトドア派という言葉。大きく分けて、花火使いは、インドア派とアウトドア派に分かれます。インドア派は部屋の中で空気を込められた球を用い、球に詰められたその配置や偏りをいじることによって、球をより美しく、輝くものに調整します。反対にアウトドア派は、美しい場所、風景、秘境を求めて、より花火に貢献する空気を求めて、世界を渡り続けるのです。
先生は……ですか? そうですね。坊や達にここへ教えに来ているように、このレイシャンと言う街に、ひとつところに定まり続ける花火使い。インドア派と言ったところでしょうか……」
「では、まずマッチ花火から始めます。よく見ていてください」
講師が花瓶の百合へと左右にチクタクと球を振ると、ぼんやりとそれは光り、色を帯びた空気が吸い込まれていった。
驚きの声と一杯の拍手が、あちこちから挙がった。
「こんなところですかね……
では、実習開始!」
少年が作り出した球に、クラス中の好奇な視線が集まる。そこには薄明るい紫が四層に積もって、ちかちかと瞬いていた。
特別に招かれた講師のそれよりも鮮やかで、それ故により艶やかな花を咲かすことは幼い彼らでもわかった。
「すげー!」
「わー」
「坊や、もう一度、球を作ってご覧なさい」
「えー! 一人だけもう一個なんてずるいー」
「いいから! 作ってみなさい!」
「えっ? えっと、うん、あっ、はいっ! わかりました!」
「これは……」
少年は、部屋にこもっていた。周りの噂なんて構わない。ただ、手の平に乗った球の瞬きやリズムを調整するのが、面白い。寝食を忘れる。少年は、心も職も、花火に全てを費やすことを、その幼さの中、決めていた。それは例えば秘密基地を作って盗賊団を名乗るように、世界中を自転車で旅をすることを計画するように、児童特有の足元の見えていない夢想だったのかもしれない。ただ、違うのは、目の前の球は少年のそれに応えて、強く光っていることだ。
不意に扉が開いた。少年の痩せ顔の筋肉がこわばる。あるはずの音がなかった。母が、父が、階段を駆け上がるコツコツという音が。振り返ると、背の高い老婆が、少年を値踏みするように見下ろしていた。
「おっ、おばちゃん、誰っ?」
少年は震え声で尋ねる。老婆は何も言わず、少年の手から球を取った。
「ほう、なるほど、噂以上の天才少年じゃな」
老婆はその球の光を見てとると、にこやかに笑った。
「なぁに、怯えとるんか! 幽霊ではないぞ、わしゃ」
それから球を転がしながら、指で軽く撫で、押し始めた。ぼぅっと光り、淡い紫に若葉の緑が加わった。
「わっ!」
少年は嬉しさを隠しきれない声をあげ、老婆の前へと歩み、球を見つめる。老婆はそれを更に転がし始める。緑がマーブルのように、紫と混ざり合う。
それだけで十分だった。その球を使った交流は、酒場でアルコールと宴会芸を交えた語り合いの何倍も、二人の距離を短いものした。
「すごい、すごい! 婆ちゃん!」
「ふふっ、よいよい。坊主なら直ぐに出来るようになる」
老婆の言葉を、まるで紙芝居がめくられているかのように純粋な目で聞き入る少年だった。
「出来……ない……」
「そりゃま、直ぐといっても、一時間かそこらでやられちゃ、こちらも敵わんよ。これはな、一流の工房の花火使いでも習得に三年はかかる、染め付けと言ってな」
老婆はごつごつとした手を差し出して、少年の前の前で玉を転がす。
ぼぅっとした音を連れて、球が光り、赤に青が加わる。少年は
「すごぉい!」
そして球を手に取り、真似てみる。
「ほほっ」
と老婆は眩しそうな目をする。まだまだ修練が必要じゃ、という言葉は、少年の嬉しそうな顔の手前、控える。だが次の瞬間、老婆の瞳には光る玉と新たに藍が加わった球が映されていた。
少年と老婆は子供部屋で一夜を過ごした。それは今までにない充実した心地よい瞬間の連続だった。少年にとっても、老婆にとっても。
辺りには無造作に幾つもの球が転がっている。だが、見るものが鑑れば、それらに4級や5級の球が含まれているのを見て取っただろう。
夜の闇は濃密に二人を包み、しかしあっという間に朱色の朝日へと変わっていった。
「恐ろしいのう。スポンジのような吸収力。才能、じゃな。坊主、主のセンスはな、神様からの贈り物、謂わばギフトじゃ。天職というものじゃ」
少年の耳には届いているのか、指元の球に夢中になっている。
「わしもな、神童とも呼ばれたが。これ程までは」
ペタペタというスリッパを響かせ、母親が入って来た。
「もう! 学校の時間よ。早くご飯食べちゃいなさい」
と少年を台所へと促すと、改まった顔で振り返り
「メイル様、お体のお加減は如何でしょうか? わたくし共の息子が、迷惑をおかけしてしまい……」
「素晴らしい子じゃ、わし以上のな」
「はあ」
「それにわし以上に恵まれた環境を持っておる。一晩もぶしつけな訪問を耐えてくれた理解ある親と、そして彼を導くだろう師を。
お願いじゃ。いや、願い申し上げる。あなたのお子さんを私にください」
老婆は床に膝をつき、頭を深く下げていた。
母は、崩れた顔になりながら、それでもそれを取り繕って
「そうですか……でも、それを決めるのはメイル様ではありません。私でもありません……あの子の意思を一番に」
ランドセルを取りに少年が子供部屋に戻ってきた。母は部屋の隅でじっとしていて、老婆は少年の椅子に座り勉強机に肘をついている。
「坊主、学校は好きか?」
「楽しくない」
「花火はどうじゃ?」
「大好き」
「わしと先生、どちらが好きじゃ?」
「婆ちゃん! いっぱいいっぱい知らないこと教えてくれた!」
老婆はふっと息をつき、少年の顔を見つめ
「花火使いとして知ることは、もっと沢山あるぞ。沢山、な。どうだ、わしに付いてこんか?」
「でも……学校が……」
「学校なぞ、どうとでもなる。小学校も、中学校も、ギルドでの見習い期間も、一日も出席せずに、卒業させてやるわい」
それだけの権威を老婆は持っていた。華の街レイシャンでも史上希に見る、技術と才覚と実績を持った老獪な花火使い。それがメイルだった。
「付いてこん」
「うん! 付いていく!」
少年の真っ黒な瞳は、興奮で輝いていた。
「いっぱい、いっぱい、教えて! ねえ! 球を打つの見せて! どうやってあの色を出すのか教えて!」
老婆の瞳も心なしか湿っていた。
「ふふっ、わしの持つ全てをお前に叩き込んでやるわい。
しかし、花火に捧げる路。それは険しく過酷で、時には激しく競い合い、時には独りで切り開かねばならぬ、修羅の路じゃぞ!」
「えー?」
まさか怖気付いたか、と老婆はうろたえた。如何に言い逃れをしようか、言葉を探す。だが、それすら待たずに少年は
「婆ちゃん、花火って辛いの?」
「そりゃ、しんどいが。それでもやり甲斐の」
「花火って、楽しいんだよ! すっごく! シュラって鬼さんのことだよね。そんなの住んでないよ! 花火って楽しいんだ!」
老婆は胸を打たれた。この歳で孫のような子から学ぶことがあるとは。老婆は少年の持つ才能に惹かれていた。しかし、気づかぬうちに、少年という人間を知ろうとしていた。
「お婆ちゃんは楽しいの?」
「楽しいもんかい! いや、楽しいのか……まあ、年を取ると色々なものが複雑に見えてくるんじゃよ。さて、付いてくるで良いんじゃな。違ってても、さらってしまうぞ」
「うん、婆ちゃん、よろしくね!」
「婆ちゃん、ちょっと待って。このリュック重い……スーツケース重い……それにこの崖……えっ! こうやってよじ登るの。えっ! えー? ああ、えっと、うん、わかったよ婆ちゃん、登るよ。はぁはぁ、はっ。
うわー、綺麗。凄い、雲が下を泳いでる。それにこの石、太陽みたい。キラキラ。えっ? 白輝石っていうの?」
「婆ちゃん、どう? こんな色、出してみたんだけど。どうしたの? えっ、分からない? 婆ちゃんのくせにー。うん、もうちょっと自分でもわかるくらいに、いじってみる……」
「わしらは一つのチームになって、一つの球を作った。素晴らしいチームだった。みなが全力以上のものを搾り出し、これまでにない高みへとたどり着いた……
じゃが、亀裂は程なくしてじゃった。球が完成してからの。
保存しておくべきだ、いや生きている内に見よう、富豪に売り払う派、俺のものだなぞ。一本の太い紐はほどけ、もつれた。
不思議なもんじゃ、あれだけ一心同体のチームだった筈なのに、虚しくて虚しくてな。共に身体を重ね終えて、離れ行く恋人のようにな。おっと、いや、坊主にもそろそろ分かる喩えか……
うむ、そうじゃ。そうさね。争っていがみ合い、結局勝ったのは保存派のわしだったけど。振り返ると一の球にこだわり続けていたのが滑稽だ。そんなことなら二の球をみんなでこしらえばよかったんだ」
少年は、いや嘗て少年だった男は、必死に首を横に振り、
「受け取れない! 俺、そんなの受け止めれない!」
より年を重ねた老婆は、
「受け取って欲しいんじゃ。坊主よ。あんなに幼い頃から、よくわしのワガママに耐え続けたね。
坊主、お前こそ、わしの二の球、いや最高傑作、マスターピースじゃ。生きとくれ。花をつくっとくれ。そこにわしらの想いも混ぜとくれ。
楽しかったぞ。花火を作るのも、花火使いを育てるのも。そう思ってこれから生きていけることが、こんな球になぞ換えられない、お前から貰った宝物じゃ」
バスはゴトゴト揺れる。男はポケットの中の暖かな感触を確かめる。何時の間にかお守りがわりになっていた球。これがあったから、どんなに遠くまで、どんなに危険な所へ行っても、華が咲く故郷レイシャンへと帰って来れる気がしていた。今もそうだ。
婆ちゃんはその球を渡してから二週間後、この世を去った。
男には全く素振りや前兆すら見せなかったのだけど、ずいぶん前から重い重い病にかかっていたらしい。
「当オオハト観光バスは、星流れる丘ジェイスに、向かっております。右手に見えますのが当地方で随一の」
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