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三の球 永遠の少女の球
狭苦しい住宅街の小道を迷うこと二十分。右に左に折れた先の行き止まりに、その店はあった。
「ここか……」
男の目の前には古びた二階建ての食堂が佇んでいた。看板には「昇○ 飯店」と書いてあるのだが、二番目の文字はくすんでいて読み取れない。
「ほんとに、ここかいな」
如何にもな頑固親父のような髭面の男が、クマさんの模様がプリントされたエプロンを着て、黙って突っ立っている。それも木彫りの熊というより、園児が遊ぶような笑顔で舌をペロリと伸ばしたクマさんのそれだった。
円盤レコードには一昔前のアイドルの曲が流れていた。他に客はいなかった。思わず、失礼しました、と引き返したくなるような衝動をこらえ、注文を頼む。
「予約してたんだけど。ニラとレタスのチャーハン大盛り、それにメロンソーダの炭酸抜き」
頑固親父は値踏みするように
「スープは?」
男はすかさず
「キノコと鳥団子の白湯スープ」
「来い」
ふすまが開けられ、座敷に通される。七、八人の団体客が小さな宴会を開くようなそんな広さ。壁には『平和』やら『根性』やらのペナントが、ぺたぺた貼りつけられている。頑固親父がその右に奥まった掛け軸を外すと、地下への階段が姿を現した。
「おう!」
「おっ、おぉ。ありがと」
男はバイバイと手を振り、
「やっぱさ、このエプロンって似合わないよ」
頑固親父はぶっきらぼうに、
「お嬢様からのプレゼントだ」
照れていたのか、声が少し上ずっていた。
階段を下りて地下通路を進み、三十分になる。代わり映えのない石畳だが、所々で監視の者の鋭い目を感じる。
「永遠、ってのは、そんなに大それていて、秘密にしておきたいもんなんかね」
男はふぅっと息を吐く。
ごついタンクトップの門番が直立不動だ。
「やー、やって来たよ。はるばる」
男の気さくな挨拶を無視し、門番は
「お嬢さまが、今までになく興味津々でな。でなければ、ここに立っていることなぞ無いと知れ」
「おー、怖っ!」
扉が開かれた。
そこは地下とは思えない煌びやかな部屋だった。パステルブルーに塗られた壁紙、窓際に並んだ鮮やかな観葉植物の鉢、光沢を放つグランドピアノまである。
その中央で、端正な顔立ちの透けるように白い肌の少女が、優雅にお茶を飲んでいた。黒いワンピースがそれをシックに包んでいる。男はしばし見とれ、次いで部屋の中に入る。心なしか少しひんやりとしていた。
身体の変化である成長も老いも止める魔法の空気、謂わば永遠の空気の為なのだろうか。
遥か昔の化学者たちが、永遠の空気をほんの一部屋分だけ生み出すことに偶然にも成功し、それを此処に閉じ込めた。時の権力者たちは不変の若さと命を求めて相争った。最後に勝ち残った大富豪は、妻と子供と父と母を連れてこの部屋に移住し、当時最も美しいと呼ばれていた少女をそこに招いた。
しかし、その永遠の空気は、永遠に生きる者を選んだ。そうで無い者には拒否反応を示したのだった。まずはその息子の身体に異変は起き、死ぬことの出来ない永遠の苦痛を与え続けた。大富豪は、息子を勇気づけた。この症状では、部屋から抜け出せば、身体の変化によって命を失ってしまう。そう、説き続けた。だが、息子が「死にたい、死にたい」と叫び続ける姿を見て、大富豪は彼をそこから懐かしい空気へと戻した。息子は安堵の息を吐き、息を引き取った。それが、妻、父、母と続いた。それから三十四年、大富豪はある日、部屋を出て、自ら命を絶った。部屋には美しい少女だけが取り残された。それから数え切れない時が経ったと言う。
男が知っているのはそれだけだった。何百年か、何千年か、そんな漠とした年輪すら分からない。ただ目の前には永遠の少女が佇んでいる。その蕾が熟す前のあどけない身体の瑞々しさ、端正に配置された眉、瞳、鼻、口は、当時から今も変わらず男の目の前にある。門番がその後ろで睨んでいなければ、口説き落とす所なのにな、等とのんびりと男は思った。
「いらっしゃい」
少女の優雅な会釈、だがその作られた笑顔を見た時、男のそうした軟派な妄想は立ち消えた。
「どうぞ、おかけになって」
「いやいや、立ってる方が楽なもんで」
男は訪問の目的を、ざっくばらんに語り始めた。それを聞きながらも崩れを見せない少女の表情に、男はその思いを強くした。
「うん、まー、その、何だろ」
「はっきり言ってよ。まどろっこしいわ。まあ、こっちは時間が有り余ってるんだけど」
「永遠を求めてたってのかな。俺たち、花火使いは画家や写真家に憧れるわけよ。花火って一瞬で消えちまうものだからな。
だからさ、その丹精込めた花を花瓶に飾るようにさ、空気中に留めておけたらとか思ってたんだよ」
「ほんと、まどろっこしい。『求めてた』に『思ってた』? なんで過去形なの?」
男はじぃっと少女を見つめて
「んっ、だけどさ、花瓶に造花を飾ってもしょうがねえよな、と。花は散るから美しいんだってさ。ついさっき、三分くらい前に思った」
少女はその表情を崩さずに
「ひっかかるわね」
「ひっかけて、ごめんなさい」
「許してあげるから」
「うん、ま、さ、あんたは美しいよ。でもさ、やっぱりそれはお人形さんのようなものなんだな。何かが、ぼやけてて。綺麗だけど、さ。
正直さ、よれよれだったけどウチの婆ちゃんの方が、可愛かったよ。なんか、そういうの諦めた枯れた雰囲気も含めてさ」
門番が怒りの声をあげる。
「この、黙っていれば、無礼な!」
少女は門番を制して、裾を持ち上げ、改めて会釈する。
「まあ、老婆より酷いとは酷なもんですね」
「まだるっこいのは、嫌いなんだろ? やっぱ消えてしまうから綺麗なもの。そんなのを求めることにしたよ。どうやら永遠とは相性が悪いみたいだ」
少女はふと、アルバムを眺めるかのような遠い目を、投げかけた。
「わたしも、そう思ってた時はあったわ。四百年くらい前に好きな人ができてね。一緒に外に出て愛しあおうかと思ったわ。真剣に悩んだのよ」
「おや? 思ったよりオアツイね。お嬢さん」
「ふふ、でも、倦怠期ってやつでね。一万年続きそうな恋でも、一月もすれば通り過ぎてしまうものだったわ」
少女は未だにその一言一句を覚えている。その時の白い花の香りと一緒に。
『俺さ、無い頭ふりまわして悩んだんだけど。きっと、きみが永遠だから愛そうと思ったんだ。だから俺のためにそれを失ってしまうのは辛い、悲しい』
それから、少女は突然、宝物を隠した子供のような弾むような声で
「でもね! この部屋で永遠に続かないモノってあるのよ。それは何かしら?」
「へ? 何?」
男は呆気にとられた。もちろん謎々の答えにも見当は付かなかったが、その少女のスタッカートな調子に面食らっていた。少女は続ける。
「花火といっしょ! 空気を震わせ、一瞬で消えるモノ」
「えっ?」
「ほら、あなたも出した」
頭をポリポリと掻く。
「何かわかる?」
「うーん」
「ほら、それが答え」
男は膝を打ち
「あっ、心か! 思考か!」
「ちょっとだけ、正解。でも、もうちょっと具体的なモノよ」
「なんだよ。イラつくなあ」
「ほら、それも答え」
「うーん、あっ! 声?」
少女は頷く。
「なるほど」
「その声、要らない? 例えば永遠の少女が奏でる歌……
ほら! 急いで球を用意して! 滅多にないことなんだから」
少女はピアノへと向かい、椅子に腰掛け、次いで歌が響いた。
よく洗練されている。何百年と重ねた月日が、その声に最適なメロディーを響かせた。
それにしても永遠の少女が、一夜限りの逢瀬を歌うなんてな。
あんなにか弱そうなのに、明るくて、芯のある暖かなソプラノで。
ああ、そうか。彼女もやっぱ人間なんだ。
「どう?」
男は、慌てて球をすぐさま懐に入れ、
「うん、これは中々。等級としては3級なんだろうけど、とんでもなく癖がある。うまく使えば凄いことになるけど、それができなければ、まー、微妙ってやつ」
「そっか」
門番が耐え兼ねたかのように、宣告した。
「それでは、お客人、お引き取りを」
そこに軽い嫉妬の含みを聞いて、男は笑みを浮かべた。そしてパチン、パチンと手拍子をして
「アンコール! アンコール! アンコールワットに火を灯せ!」
「えっ?」
「なっ?」
突然の男の動きに、二人共、呆然としている。
「アンコールだよ。もう一回、歌ってくれよ。今度は花火とは関係なく、俺のためだけに」
「まっ……」
パチン、パチン。
男は紅潮した頬に汗を滲ませた。それが冷や汗だったことは、男の秘密だった。
球が勿体ないからって、道楽に付き合う趣味はないからって、入れ損なったなんて口が裂けても言えない。
「それじゃ、あなたへ、特別よ」
パチパチパチパチ。
男は今度は手を小刻みに叩きながら、微笑みかけた。
「ありがとう、助かったぜ」
「こちらこそ」
「んっ?」
「ありがとう!」
永遠の空気の合間に、微妙な間が流れた。
「何?」
「拍手っていいものね。美辞麗句とかより、ずっと素敵」
「そんなもんかね。こんなん、ちょっとした手品でも貰えるもんだぜ。わけわかんない永遠の少女ちゃんなもんだ」
「今に分かるわよ。大っきな花火を打ち上げるんでしょ。きっと、みんなから、いっぱいの拍手をもらうわ!」
「なんだ、なんだ。プレッシャーかけんなよ。でも、さ、拍手が生まれるとしたら、それはあんたの歌のおかげでもあんだぜ」
「そっ?」
「そっ!」
男はエスコートする仕草をして
「何なら見に来んさい! 街まで、華の都レイシャンまで出かけてさ。俺の大活躍を瞳に焼き付けろ!」
「釣られないわよ。決してこの部屋からは、出ないわ。わたしの永遠は、永遠だから永遠なの」
「あ~、行きたいくせにさ」
「ふふっ。あなた、ぶっきらぼうだけど、いい人ね。また、会いに来てね」
「まっ、しばらくしたらまた音を採りに行こうかね。それまで歌を磨いとけよ」
少女は目を細め、口元をほころばせ
「うん、時間は腐るほどあるしね」
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