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夢を、みていた。
これがいつ、果たして誰の夢なのかも判然しない、朧気な記憶だった。
夢の中の___は幼児で、縁側に座る祖母とおぼしき女性の隣で、饅頭を頬張りながら彼女が静かに語る昔話に耳を傾けている。
「むかし、むかしのお話ね。ここから遥か遠い温かな海に、ザンと呼ばれるそれは美しい人魚のお姫様がいた。そのお姫様はねえ、恋人の鬼ととても仲がよかった…。わたしたちは、その彼らの末裔に生まれついているのよ」
老女が故郷の昔話を___に向けて優しい声で話す後ろ姿を、「わたし」は少し離れた場所から眺めていた。
「いいかい……、この御守りを肌身離さずに持っているんだよ。そうすれば、おザン様が必ずお前を助けてくれる」
幼児の細い首を通して提げられた小さな匂い袋からは白檀の甘く馥郁たる薫りが甘く匂いたち、やや少しだけ「わたし」は頭の芯が暈ける感覚に襲われる。
囚われる。
「ほんとう?」
幼い___は、御守り袋と老女の顔を交互に見て首を傾げる。
老女は皺に埋もれた目をどこか寂しそうに細めて御守り袋の口を開くと、一枚の鱗を取り出した。
「これが、おザンさまよ」
それは薄く半透明で、光の加減で青や紫、または虹色に輝く、あまりにも美しすぎる御神体だった。
「おザンさまはね、わたしの故郷の海神様なの。それは綺麗な、人魚さ…。おまえの母さんはね、海に呼ばれて、還ってしまった」
ふいになにかを堪えるように息を矯めた老女の挙動を心配した___が彼女の袖を引く。
「どうしたの? おむねがいたいの?」
「ああ、これも因果なのかしらねえ…。わたしたちのような星と海の子供は…海からきた者は、海へ還らなければならないのか…」
引き絞るような哀惜が「わたし」の胸を突いた。悔やみ、悲しむ心の色が直に流れ込んでくる。
『ざんのいお』の末裔はみな、総じて17~19でザンに「生まれ直され」親神の海神の許へ還ってゆくのだという。
「気を付けなさい。おザンさまの血には不思議な力があるから、それを知る者にとってお前は又とない馳走だ。気を付けなさい…。みな、お前を見ているよ」
立ち眩むような眩暈と甘い白檀香に膝を付きそうになった瞬間、ふい強い手に手首を取られる。
暗闇に目をやると、青い双眸と視線が搗ち合った。
手は力強いが、大人ほどの大きさは感じられない。
強い眠気に抗いながら窺い見たのは、芒穂のような薄い金色の髪と青い目をした、綺麗な面立ちの少年だった。
異国風の面立ち、青い瞳の少年の額には立派な一本角が聳えている。
『 』
ソーダのような南海の海の中で、彼の口から漏れるのは白くけぶる泡ばかり。
けれど、言葉にはならずとも彼の思念が直接、胸に染み込んで形を作った。
『ようやく見つけた。今度こそは幾星霜、たとえこの身がいずくで果てようとも、生まれ変わって貴方を迎えにいく…』
理由も分からずに溢れる大粒の泪が散って水溜まりになり、大きくうねってあっという間に視界一面を海中と化す。
「教えて。あなたは、誰?」
水が耳に流れ込むような違和と、全身が海底に暗い口を開けて待つ螺旋の渦に巻き込まれる圧迫感が、小さな舟の様に漂う花凛を「意識」ごと呑み込んでいった。
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