一話 蠢動

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「―――――」  ……いまは何時だろう。随分と懐かしい夢を見た。  懐かしい夢に目が醒めて、花凛はまだ眠い目を擦る。  開けたカーテンの外は、灰色の曇天。  朝方の外気がかなり冷えていることが、触れた体温に曇る窓模様で判った。  胡乱に見やったアンティーク目覚まし時計は、4時44分を指している。 (何気にいやな時間だな。随分と間が悪い。かといって、二度寝をする気分でもない)  ベッドから降り、とりあえず普段着の作務衣を着て簡単な身支度を済ませた花凛は薄暗い廊下を折れて居間へ向かった。  花凛こと、木之本(きのもと )花凛(かりん)は今年で17才になる。  物心ついた時には両親は既に鬼籍で、祖父に育てられたことを除けば極ありふれた高校生女子だ。 「さて、弁当作るか」  台所に入った花凛は、軽く台を拭いてエプロンの紐を締めた。  IHヒーターの電源を入れ、フライパンが温まるのを待つ間にボウルへ卵二つを割り入れて溶いておく。  卵液にタッパーから取り出した冷飯を混ぜて塩胡椒で味をつけ、少量刻んでおいた野菜とハムを芯がなくなる程度に軽く炒めれば具材の出来上がり。  炒め終えた具材を別に避けてから最後にTKGモドキをフライパンで炒める。  半熟になった処に具材を混ぜて強火で炒めれば炒飯の完成である。 「あー…しんど…」  今日は日曜日だというのになぜ、花凛が此処まで忙しないのかというと…それは課外授業のせいだった。  自由参加型で強制ではないのだが、悪友らが勝手に参加届けを出してしまい参加を余儀なくされたのだ。本当に、迷惑極まりない。 「やれやれ、冷めるまでには着替えなきゃな」   台所からやや離れれば、まだ屋内は暗い。  2階の自室へ戻る道すがらにすれ違った暗室の暗がりで青い瞳が二つ、花凛の背中を密やかに視つめていた。 ――――― ―――――――― (じー…っ) 「……」  薄闇を纏った少年は暗室からそろりと一足だけ廊下に踏み出すと、まるでネズミなどの小動物が気配を嗅ぐような仕種で「くん」と鼻を鳴らす。  台所から漂ってきた仄かな料理の匂いが、暗がりに潜む少年の食指を動かしたのだ。  肩につく長さの色素の薄い髪に白い肌。  長い睫毛に縁取られた大きな青い目。  中性的な整った面立ちの少年は、花凛と出逢った「あの日」から決して気付かれないように彼女の身辺に寄り添い、成長を見守り続けてきた。 『……』  彼が無条件に彼女の傍らへ寄り添う理由は、太古から膨大な時間をかけて「そうするように」と蓄積されてきた記憶の指示である。  そして「かけがえのない海の至宝を護るように」遺伝子に刻まれ、決められた使命だからだった。  だからこそ、雨の日も大風の日も、神鳴る夜も、如何なる時も身の危険がないように身を賭して庇護してきた。  なにせ「彼女」は海神御身から譲り受けた大真珠で、ようやく孵った最後の一柱なのだ。  いつの日にか彼女が無事に次の継承者を育めるようになるまで、守り慈しまねば。  時代が進んで利便性が増したせいで、危険の範囲も可能性も爆増している今、だから少しの違和でも決して見逃さない。  まだ記憶も真の能力も眠っている状態の花凛なら尚のこと、万全を整えねば然るべき時に差し障りがあっては困るのだ。 『(お花さま……貴女を、お護り申し上げる)』  成長に伴って美しくなっていく花凛の面影を思い浮かべながら調理台に忍び寄った少年は、弁当を一瞥するとテーブルに用意されていたまだ微かに湯気をあげる握り飯の1つを迷いなく取り、かぶり付いた。
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