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涼感さそう瀑布の音を背景に、生徒たちが芝生にレジャーシートを敷いて束の間に訪れた休息を思い思いに楽しんでいる。
1本角の少年もまた、寛ぐ花凛の傍らで仰向けになって寛ぎながら、片目だけを開けて周囲の様子を逐一と観察していた。
「こら!! 」
しかし―――グミやスナック菓子なんかを紙皿に盛り付け終った処で唐突に響いた怒鳴り声に、花凛を含めた数名の生徒は危うく手持ちのペットボトルや皿を落としそうになり、1本角の少年は不快を隠しもせず即座に跳ね起きた。
『うるさい…何事だ』
「アンタたち無断でなにやってんのよっ、勝手に祠には触らないよう、顧問から説明受けてたでしょ!」
何事かと振り向いた1本角の少年の目に、仁王立ちした花凛の友人(たしか、美咲とか言ったか)が肩を怒らせている立ち姿が映った。
『ふうん…。あれは土蜘蛛の祠だな、寄りにもよってアレを開くとは…随分と物好きだな。ま、どーでもいいが』
おまけに、その少し脇には茶髪の女生徒が2人、強烈な蜘蛛の巣にまみれた石祠の扉をこじ開けようとしているではないか。
だが、花凛以外の生死に興味がない少年にはどうでもいいことでしかない。
「げっ…」
しかしそう思うのは彼だけのようで、欠伸をする少年の脇を異変に気づいた花凛が一歩先に転び出ていく。
そして勢いのまま、彼女らの輪に走り寄った。
花凛の表情は堅い。それもその筈、例えようのない恐怖が彼女を突き動かしていた。
(よくわからないけど…あれは正直、マズい気がする!)
庭を管理する祖父に知れたら、女子二名はもちろんだが同行する自分にも雷が落ちること受け合いだ。
(でも、きっと「この感覚」はその理由だけじゃないんだ…っ)
花凛が深刻な使命感に駆られる理由は、この明媚な景観をもつ広大な土地すべてが木之本家の敷地であることに端を発する。
花凛を含めた学生一行がここを利用できている理由は、やたらと人脈と顔の広い木之本家の重鎮と花凛が通う高校の創始者が友人同士で、課外授業や遠足などの行事には無償で貸し出しているからなのだ。
ここで何か問題が起きれば関係の悪化はもちろん、二度と郷土資料としての開示はしなくなるだろう。
冗談じゃない。そうなれば、郷土研究部は確実に廃部だ!
「どうしよう、じいちゃんに伝えなきゃ」
叱責が怖いのも理由の1つだが、点在する祠には何代か前の先祖が人間に仇なす羅刹鬼神を封印したようなことを祖父が話していたのを思い出し、花凛は悪寒に身を震わせる。
たしか、それらが1つでも破られたならば土地自体の境界に綻びが生まれ、大事になるとも言っていなかったか。
―――え。なにそれ、超やばい。
「えー…いいじゃん別にい。誰かの墓じゃないんだし、これお宝かもよ?」
「よくない!まったく、アンタたちには常識ってものが無いんだから。とりあえず、人の話を聞くときはちゃんと立ちなよっ」
「へーへー…悪うござんしたー」
「ていうか、アンタ何様。ウルサイんですけどー」
切り株にどっかりと座ったままスマホを弄くっている女生徒2人にキツめの喝をいれる美咲だったが、彼女たちはのらくらと追及を躱して薄笑いを浮かべるばかり。
ふてぶてしい態度でスマホを弄くる米澤リサと三島祐子、この二人は去年の学園祭も係の仕事をせずに化粧をしながらスマホを弄くっていたトラブルメーカーだ。
「アンタらねえ!!」
美咲と輪をかけて凶暴化したトラブルメーカー二人が言い争っている背後で、花凛はひっそりと石祠の中…納められているモノの所在を確認して硬直する。
―――ない。
―――社に納められている鎮めの勾玉が、ない!
「ねー、ウチら疲れたんだけど。休ませてよ」
「…っ、あの、あのさ…手首のそれって」
勾玉の所在を探っていた花凛は、目敏く米澤リサの手首に石祠に納まっていた呪物を見つけた。
昼間の光を刷いた黒い勾玉が、まるで封印が破れたことを喜ぶように赤く輝いている。
(なんて、不吉な色なの…)
いや、これはもう不吉以前の問題だ。
あれを取り戻さなければ、さもないと最悪死人が出かねない。
視た瞬間、花凛は勾玉から立ち上る黒い靄状の邪気を察知して身構えた。
「あ? なんなのアンタ。横取りする気?」
話しかけられた米澤リサが、悪意ある目付きで振り向き様に花凛を睨む。
そもそもの素性が善くない彼女の内面に反応しているのか、黒い靄状の邪気はすっぽりと米澤リサを覆い尽くしていた。
「違う。その社から出したの、しっかり見てたよ? それなら、ソレはアンタのじゃない…。だから、その勾玉をこっちに返して」
一歩ずつ踏み出し、距離をつめる花凛に対して米澤は僅かに後退る。
木陰の薄闇の中で、花凛の両目が静かな怒りを刷いた青色に光っていたからだ。
「…っ、だったら何だよ、返せ? 偉そうに言いやがって。お前のもんでもねえのに、誰が返すか!」
苦虫を噛んだ米澤の表情からは、明らかな怯えが見てとれる。
あと一押しすれば、あるいは気圧されて折れてくれるかもしれない。
確証はないが、そんな気がして花凛は米澤に畳み掛ける。
「いや、うちのだよ。だって今いるこの山だって私の家の敷地なんだから、関係なくはないよね」
「なんだよ、それ…ここ全部お前ん家? なあお前…そりゃあ、オジョーサマってやつじゃねえか。いいよなァ…恵まれてるヤツは!!」
米澤が纏う邪気が濃度を増し、量産されると同時に何処からともなく生温い風が吹いてくる。
暗い曇雲が流れ出して、木陰の闇がさざめき、やがて邪気に当てられた草が立ち枯れた。
「やっぱりダメか…っ」
米澤の足元。彼女の影がふいに不自然に盛り上がって見様によっては蜘蛛に酷似した形に変わっていく。
あきらかな【憑依現象】だった。
おまけに彼女の首筋には巨大な影蜘蛛が張り付いており、挑発するように長く醜悪な脚を蠢かせている。
「なにそれ、まじウッゼえ! 全部持ってるヤツに限って性格クソなんだよなっ。ボロい誰も見ねえような社からたったヒトツ物掻っ払ったくらいで騒ぎやがって! これはアタシんだっ!」
拳を振りかぶって飛び掛かる米澤を避けんとした花凛が―――1本角の少年が動くよりも早く、米澤は花凛を斜面から突き飛ばした。
―――ドンッ…!
「わっ!」
「花凛!!」
(―――ああ、詰んだ)
掴まり処なしの急斜面から突き落とされた花凛は、甲高い美咲の悲鳴を背中で聞きながら半笑いを浮かべた。
崖下には、流れは遅いが底に足が付かないほどに深い淵がある。
水が割れる音と、大きな水柱が上がった。
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