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『花凛…っ!!』
1本角の少年が両腕を伸ばして急斜面を追い縋るが、しかし指先が掠りそうになった一瞬先に、花凛は水に飲まれてしまった。
『ぐうう。よもや、小娘にしてやられるとは…っ、花凛、待っていろ。いま迎えに行く!』
余りある憤怒に金糸を蠢かせながら、1本角の少年は青い双眸で仇敵である米澤リサを睨む。
そして間を空けずに急斜面を駆け降り、大河に躍り込んだ。
銀の鱗に被われた尾で舵をとり、深く深く潜る姿は、まるで巨大な海獣のようだった。
―――――――
―――――――――
――――ごぽっ…!
揺らめく水面に接触した瞬間、勢いのまま落ちたせいで水が砕けて細かな泡を作る。
(なんだろう。なにかが、きこえる…)
さりさりさり、と何かが擦れるような、はたまた姿のない「何者か」が直接耳許に語りかけてくるような音波が、泡に巻かれる花凛の耳へと一気に流れ込んできた。
(誰かが呼んでいる? いや、歌っているの?)
ふいに白くけぶる泡が晴れ、青く透明な視界を大きな緋鯉が横切って泳いでいく。
驚き冷めやらぬまま視線を彷徨わせると、たおやかに揺れる水草と水面が目につく。
「…は? …息、できてる。な、なんで?!」
温くも冷たくもない水の中で、苦もなく呼吸ができることへの疑問と恐怖が今更ながらに湧き起こり、花凛はゆっくりと青褪めた。
そうだ、これは夢だ。
急斜面、しかも水面まではかなりの高度があるので水面に叩きつけられる衝撃で見ているとびきりの悪夢に違いない。
光の加減で青く輝く淵の底を漂っていた花凛は、唐突に全身を引き揚げられる感覚に大きく目を瞠る。
水に揺らめく金の髪と、見透かすような大きく青い双眸を見た気がしたけれど、幻だったのだろうか。
それは瞬く間に水紋に紛れて消えてしまった。
水飛沫が上がり、おそるおそる目を開いてみると、さてどうしたことだろうか。
花凛はなぜか横座りの姿勢で、淵の中洲に座っていた。
状況が飲み込めずに惚けていると、何処からともなくバスタオルがしとどに濡れた髪に被さってくる。
拭け、と言わんばかりの被さり具合から意思を読み取った花凛は、まずは素直にずぶ濡れの状況を改善しようと努めた。
髪をはじめ、大体の水分を取り除くことができたのでタオルを畳んでいると再び頭に触感を覚える。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
むしろ温もりすら感じられて、荒んでいた心が定まっていく。
「そこに、いるの?」
誰かに優しく触れられているような感覚が心地よくて、花凛はすっかり危機感も忘れて「見えない誰か」に手を伸ばして、触れた。
なにも見えないのにも拘わらず、まず指先に感じたのは柔らかな羽毛のような触感。
堅いけれど細い肩。そしてふっくらとした目蓋と長い睫毛の感触、高い鼻梁、耳、熱い頬の手触りに、薄い唇の形―――。
「ねえ……昔、蔵で会ったヒトなんでしょ?」
触れた温度さえ直に感じられて、花凛は瞳を潤ませる。
目に見えない存在なら、1つだけ心当たりがあったのだ。
それは子供の頃に蔵で出逢った、鬼の少年。
場違いとは思うのだが、いま寸での処で溺れずに済んだのは、きっと「あの日」に出逢った少年のお蔭に違いない。
ふいに花凛の中で、予想が確信に変わっていく。
「こたえて…」
自分を支えた人物に確実な心当たりを感じ、歓喜の衝動のまま花凛は見えざる人物に唇を寄せた。
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