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もたりと、湿った空気が弛い渦を巻いて濃い緑の下生えを揺らす。
湿った涼しい風はゆっくりと、見えない人物の輪郭を削り出し始めた。
まず顕れたのは芒穂のような薄い金色の髪と、青い瞳をもつ中性的な美しい面立ち。
次いで細身ながらもしっかりとした肩、そして健やかに長い手足。
インクが白紙に濃く陰影を滲ませるように、遂に全容が明らかになっていく。
花凛の目前に、美しい顔を驚愕に染めた少年が現れるまで一瞬の暇も掛からなかった。
「…―――っ!」
『…逢いたかった…』
喜色に赤く染まる頬を両手で覆いながら瞳を輝かせる花凛に、少年は青い目を細める。
「 夢みたい…。ずっと君を探してた。でも、会えなくて…なのに、どうして急に?」
『時が満ちた。…長い休眠から、ザンの血潮がようやく目覚める』
額に1本角を頂く少年は、朱に染まった頬をそのままに青い瞳を細めて微笑むと花凛を腕の中に引き寄せた。
『ようやく逢えた。俺だけの女神…』
触れ合う手と手の狭間から顕現した力強い海流が花凛と少年の意識を押し流して、何処までも深く、そして碧く澄んだ南の海の中に連れていく。
青い青いソーダのような海の中で泡が頬を掠め、光の加減で虹色に輝く大珊瑚の門をすり抜けてゆけば視界は唐突に一変した。
そこは、天高く聳える白亜の柱が緑青の大屋根を支える巨大な拝殿だった。
現れた日本庭園風の風情の中、白い石英の玉砂利が緩やかな漣を描いて広がっている。
やわらかい薄碧をした蛍石の庭石、ちょうど池の堤になっている場所から更に目を移すと睡蓮の咲く池に行き着いた。
躊躇いもなく踏み出して蓮花に触れようとした瞬間、咄嗟に手首を引かれた花凛は再び青い青い南の海にいた。
澄んだ水の中を漂いゆく花凛は、ふいに水の性質の変化を察して目を細めた。
『おかえり、おかえり』と何処からともなく声が聴こえてくるのだ。
数えきれない海流と潮騒が、胎内で誕生を慶ぶ詩を唄っている。
けれど、やっぱり怖いとは思えなくて花凛はメロディーを辿って口ずさんだ。
「(あつい…)」
目頭とお腹―――ちょうど子宮のあたりが突然熱く感じた瞬間、目蓋の裏に眩く深淵に輝いてけぶる銀河の螺旋が浮かび上がった。
そして、圧し填まるようにして花凛は理解する。
海は地球の子宮で、それがまさに母なる海神の坐わす龍宮であり、海こそが故郷なのだと。
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