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真人の震える目が、自分を見下ろしている。そして苦しげに目蓋をキュッとつぶり、両手で顔を覆うと、吐き出すように言った。
「そんなこと……望んでないよ……っ」
「ご、ごめん……」
そこでようやく、自分は真人から何も言われていないことを思い出した。好きだとも、好きになってほしいともーー。
「僕は兄さんに、なにも望んでない。好きになってほしいなんて思ってないし、こんなことになったからって、出ていってほしいとも思ってない。ぜんぶ兄さんの自由だ」
「……」
「だから僕に……僕に、なにも望まないで……っ」
真人はやり場のない感情を預けるように、洗濯機に寄りかかった。
「なにもいらない。なにもいらないから、僕にも望まないでほしい……っ」
言わなくてもわかる。それが何を意味するのかを。
真人は自分に、特別な感情を抱いている。だが、何も望んでいないという。そんなことがありうるのだろうかと、亮治は瞬時に考えた。自分だって、元妻である由希子のことがほしかった。ほしくてほしくて……だけど、抱けなかった。
矛盾は存在する。矛盾だらけの自分が、現にここに存在するのだから。
だが、真人は?
真人は矛盾なんかしていない、と亮治は思った。真人から感じられるのはーー。
「なんにも言わないんだね……ま、もうどうでもいいけど」
足下に落ちていた白地のバスタオルを、真人は拾って洗濯機に放りこんだ。心底どうでもよさそうな手つきに、亮治はゴクリと唾を飲む。
「トイレのタオル、持ってきてくれない?」
「え……?」
「それとキッチンのタオルも。洗濯機回したいから」
「あ、ああ……」
亮治は壁に手をついて立ち上がり、トイレとキッチンに急いで向かった。タオルを取ってくると、真人は「ありがとう」と言って受け取った。
そうか、と亮治は確信した。真人から感じられるもの、それはーー
『諦め』
なのだ。
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