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【今……】
正史に乗せられて、つい昔話をしてしまった。
その間に軽くビールを飲んで――
「それで、その後は?」
「その後?」
「だから、その加賀舞ちゃんとの、その後。ま、関係があったら、就職浪人なんて、していないか、おまえ」
わかっていて聞いている正史にムカッとした気持ちを、ビールを飲み干すことでやり過ごす。
おかわりを注文しようと店員を呼ぼうと振り向くと、まだショーの始まらないホールから目を逸らすように、モニターに映像が流れ出す。
僕は振り向いて見る体勢が辛くて、すぐに正史の方へと向きを変えたのだが、正史はといえばそのモニターを食い入るように見ている。
そんなにダンスに興味があったのか?
突っ込んでやろうかと思った矢先、先に切り出された。
「なあ、タケ。おまえの淡い初恋の相手って、加賀舞ちゃん?」
「淡い初恋ってなんだよ……、まあダンスの相手ならそうだけど?」
「おまえ、凄い人と経験したんだな」
「はあ?」
正史の言いたいことがさっぱりわからない。
そんな僕に後ろを見ろと指差す。
後ろはついさっき見たばかりだ。
モニターがあって、そのモニターに映像が流れだして――
「見ろよ、踊っている女性の名前。加賀舞って出ている。同姓同名?」
今度は僕が食い入るように見る。
化粧をしていて素顔がわからない。
ダンサーの化粧は、普通のおしゃれ化粧とは違う。
正直、素顔がわからないくらい顔を作る化粧をする人もいる。
それでも、僕は彼女を間違えたりするはずがない。
最後に見た九歳の時の面影が少し残っていて、堂々としたダンス。
それは加賀舞本人だと、わかる。
「あの、すみません」
僕は注文を聞きに来た店員に注文とは別に声をかけた。
「あのモニターの映像は?」
「ああ、あの映像ですか? 去年のブラックプール社交ダンス協議会の映像です。日本の選手が出るというので、オーナーがわざわざ撮ったそうですよ。いま踊っているペアがそうみたいです」
「加賀舞さん?」
「そう、その方です。幼い頃よりダンス留学されて、ダンスの英才教育を受けていたといわれている女性です」
「そんなに有名なんですか?」
「有名ですよ。彼女に憧れて社交ダンス……ああ、この映像は競技ダンスなんですけどね、だから社交や競技ダンスを始める方も少なくないと、聞きます」
「そうですか。ありがとうございます」
僕はそのまま、モニターに流れる彼女の踊りを見続けた。
ありとあらゆる種目を次々に踊っていく彼女。
やはりワルツを踊っている彼女が一番彼女らしいと思ったのは、僕の贔屓目だろうか。
ブラックプール。
社交ダンスで頂点を極めたい者なら、誰もが目指す場所だろう。
毎年、五月か六月頃に開催されている『ブラックプールダンスフェスティバル』
彼女、加賀舞は幼い日のあの経験をそのまま自分の生き甲斐にしたのだろうか。
僕が極々当たり前の道を歩いていた間に。
僕は、あの経験を得て何か変わっただろうか。
きっと変わっていない。
どこかで、凡人だからとか田舎者だからと理由をつけ、学校行って、就職先が見つからなくて大学行って、それでも就職決まらなくて。
そんな中でやりたいことを探しただろうか。
たった数日間の出来事を、彼女は大きく転機に切り替えた。
なんだ、この差は――
モニターの映像では、彼女が誇らしげに笑っている。
『Victory』の文字が大きく出ている。
優勝、優勝したのか、彼女は。
その場面で映像は終わる。
僕は再び正史の方へと体勢を戻した。
「なあ、正史。今からでも遅くないかな」
「何が?」
「書かなくなってしまった、青春のページ。その続きを書くこと」
「ダンス、始めるのか?」
「いや、ダンスじゃなくて。僕にも何か出来ること、あるかな……って、思ってさ」
「あるんじゃないか? とりあえず、おまえ編集部にいるんだからさ、昔の知り合いですって言って、彼女の記事でも書けば?」
本気で言っているのか、こいつ。
そんなことを軽々しく口にできる正史を少しだけ尊敬しつつ、遅れてやってきた弘を見つけ、僕は手を振って合図した。
もう一度、あの時、ワルツを踊った時の達成感みたいな体験、出来るだろうか。
まだ、僕の青春は続けていいのだろうか。
天国のじいちゃんなら、きっと頑張れと背中を押してくれるような気がして、僕はもう一度無心で頑張るということをやってみたくなった。
☆=FIN=☆
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