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【特訓そして特訓】
ホールドがさまになったのは、はじめて教えてもらった翌々日。
ようするに、丸二日、ホールドだけを叩き込まれていた。
昨日の晩、かあちゃんには姿勢がいいね、どうしたの?
なんて言われ、ちょっとした冷や汗が流れるような気分を味わう。
なぜならかあちゃんに隠し事なんて、出来ないからだ。
地獄耳というか探偵でも雇っているのかってくらい、僕の秘密をことごとく暴いてくれる。
このことを秘密にするのは、かなりの慎重さが必要なのだが、今回はじいちゃんも味方だし、大丈夫だろう――と、思いながらも、ちょっと不安。
今日からステップというのを教えてもらった。
単純にステップの種類を減らしてもらったけれど、フィンガーになると足が絡まってしまう。
そしてそれを直そうと頭で考えるから、テンポがずれる。
ああ、フィンガーというのはステップの組み合わせらしい。
ワルツは常に三拍子。
フィンガーは必ず三歩単位のステップの組み合わせになるという。
基本に忠実、言われたことを完璧にこなそうとすると――
「健くん、表情が硬い。身体が硬い。それじゃ、ロボットと変わらないよ」
口調は優しいけれど、妥協のない先生のダメ出しが連発する。
ダメ出しは決まって僕。
それに毎回付き合わされる舞ちゃんの顔も、いつしか無表情になる。
だけど音楽が流れて、ホールドすると柔らかい表情に変わる。
歳は関係ない。
素人とかも関係ない。
やるからには、何事にも全力投球。
その心意気がもうプロなんだと、僕にも伝わってくる。
舞ちゃんの心意気に、僕の凹んだ気持ちが浮上していく。
もう一度という先生の言葉に、素直に身体が動く。
最初は堂々と右足を前に一歩。
相手と身体を密着させ、恥ずかしがらずに――
次に左足を前に、右足を前に左を横右足を後方に引いて、左足を円を描くように横に出し回って止まる、そしてポーズ……
頭の中で必死に指令を出す。
あとはこの繰り返し。
表情を柔らかく、舞ちゃんを躍らせるような感覚でフォローして、身体は常に柔軟に。
なんだっけ――ライズ・アンド・フォール……波のように踊るを心がけて――
――と、言われても、波を実際に見たことのない僕には、かなり高度な注文だった。
「海を知らないの?」
はじめて先生に波をイメージしてと言われた時、即答イメージできませんと、答えた僕。
案の定、驚いた顔で舞ちゃんに聞き返された。
「海くらい、知っています」
かなりムキになって言い返した。
「ただ、山育ちなんで、海とは縁がないだけです」
とも付け加えて。
「そうか、そうだったね。健くんの家はうちの別荘の管理だもんな。夏休み利用して海には、行けないか――」
僕の代わりに、先生が舞ちゃんに説明がてらに言う。
「そうなの? だったら、これを貸してあげるわ」
舞ちゃんはイメージ作りの為に使っていたというDVDを差し出してきた。
「私は充分にイメージできたわ。だから今度は健くんの番ね。もしかして、DVD見れない?」
「そこまで生活貧乏じゃないんで――」
引きつった顔で僕は貸してくれるというDVDを受け取った。
借りたDVDから流れるのは、様々な波の風景。
本当に波だけしかない、映像DVDだった。
当然、睡魔が訪れ負けてしまう。
気が付くと、夜更かしをして!! というかあちゃんの雷と共に起こされたのだった。
「タケ、あんたこの数日何をやっているの? まさか、加賀様にご迷惑かけていないだろうね?」
「あ……うん、多分」
「多分? ちょっとタケ。何かやったなら、黙ってないですぐに言うんだよ? まあ、じいちゃんが一緒みたいだから、大丈夫だとは思うけど」
――って、話がよくわからない。
確かにじいちゃんが夕方迎えに来るが――
ああ、きっと僕をだしに何かやっているな――と、想像がついた。
四日目。
なんとなくサマになっているじゃないか――と、先生が言う。
その言葉は、僕と舞ちゃんに向けられ、もちろん舞ちゃんは嬉しそうに笑う。
僕は、正直微妙。
何度も何度も繰り返し、同じステップを踏んでターンをしてポーズ。
そのポーズもいい角度でなくてはいけないし、見ている側に印象を与えなくてはいけない。
キレッキレのダンスではないので、優雅に繊細に、なにより美的なものが優先されなくてはならない。
彼女は上体が大きくそっているので、僕は倒れてしまわないよう支えながら、僕自身も一定のポーズを持続しなくてはならない。
これ、思っていた以上にハードで、校庭を何周も走らさせられた方がマシと思ってしまう。
何度も繰り返させられると考えることを脳が止めてしまうらしい。
真っ白になっても身体は動く。
頭で考えるより身体に染み付いていくことが、なんとなくわかってきた時、僕の前に立った先生が凄く嬉しそうに笑っていた。
「そうだよ、健くん。それでいいんだ。頭で考えてから動いてはリズムが狂うからね。カウントもステップも身体が覚える。頭はいつも、楽しんで踊ることだけを考える。わかる?」
「なんとなく。楽しいかどうかは別として、舞ちゃんが楽しいなら、それでいい」
「私が? もちろん楽しいわ。だって健くん、日に日に上達していくし、お爺様と組むより組みやすいし。ありがとう」
ありがとう――その言葉だけで、この数日の苦労が報われたような気がした。
あ~、本当に男って単純な生き物だと思い知った瞬間でもある。
「ところで先生。いつまで続くんですか?」
僕はもうすぐ終わる夏休みのことが気になりだしていた。
八月もあと四日程で終わってしまう。
今では終わってしまうことが残念と思う気持ちが大きくなっていき、夏休みがもっと続けばいいとも思う。
でも、全てが楽しいと思うことでもなくて、やはりイメージの通りにできないと悔しいし、繰り返してもできないと心が折れてしまいそうになることもある。
それでも舞ちゃんとの時間はかけがえのないもので、僕にとって忘れられない夏休みの思い出、または青春の一ページにもなっていた。
「おや、お爺さんから聞いていない?」
「じいちゃん? えっ? じいちゃんは、知っているのですか?」
「ああ、もちろん。最初の日、呼び出して話をしたよ。本人がやるなら、応援すると言ってね、了承を得たのだが――」
「すみません。僕、何も聞いていません」
それは困ったね――とだけ言った先生は、大して困っているとは思えない顔をしていた。
どちらかと言うと、状況を楽しんでいるような。
そんな話をしていた時に、当の本人が僕を迎えに現れた。
「じいちゃん、僕に黙っていること、あるだろ」
「はて、なんのことか?」
「惚けないでよ。だって旦那様はじいちゃんに話して了承得たって。何?」
「なんだ、雄三さんはもう話してしまったのか。つまらん」
「つまらん――って、僕で何を企んでいたの?」
「企む? 言いがかりだ、タケ。単におまえを驚かせようと思っただけなのに――なあ、雄三さん」
僕らのやりとりを面白そうに見ていた先生にふる。
逃げるな、じいちゃん!
だけど、悪乗りして楽しんだのはじいちゃんだけではなく、旦那様――先生も共犯だった。
「ちょっとお爺様、それは本当なの?」
年寄りふたりと子供のやりとりを見ていた舞ちゃんがやっと言葉を発した。
きっとタイミングが掴めなかったのか、呆れていたのか、そんなところだろう。
「もしここで健くんが嫌だって言ったら?」
「そしたら私が相手をしよう」
「嫌よ、私。お爺様とだなんて。せっかく健くんと息が合って楽しいのに」
「舞は健くんと一緒がいいのか?」
「そうよ。でも、無理には頼めないことも知っているから、そしたら諦めるしかないと、思う」
舞ちゃんは自分の思っていることを素直に言葉にした。
諦めると言いながら、顔は心底残念というよりは悔しいという表情を隠すことなく見せている。
しかしこの会話は僕を外して話が進んでいるので、勝手な憶測でしかない。
ほら、目の前に本人がいるじゃないか。
聞いてよ、パートナー続けてくれるでしょう? ってさ。
そもそも、僕が断るって思っていることがプチショックだ。
それってつまり、僕が断るようなことを画策していたのかな、じいちゃんは。
「ほら、タケ。女の子を悲しませちゃいかんだろ。何でも引き受けると言え」
うわっ、じいちゃんも僕が断ること前提かよ!
「じいちゃん、そういうのって脅迫っていうんじゃないの?」
「バカ。肉親に脅迫もへったくれもあるか!」
「じゃ、強要っていうの?」
でもなんとなく、断れない雰囲気になっているのはわかる。
何より、頑張ってきた舞ちゃんの願いは叶えてあげたい。
「わかったよ、わかりました。最後まで、付き合います」
と投げやりな言い方をしてしまったけれど、もともと僕は断るつもりはなかった。
だけど、よく話も聞かずに結論を出してしまったことを、とっても後悔をするのだ、このあとに。
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