【送別会】

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【送別会】

 なぜかな、なんで僕はじいちゃんと東京に来ているのだろう。  それも乗りなれない高級車に押し込められて、旦那様と舞ちゃんと一緒に。  連れてこられた場所は某ホテルのイベントホール。  入り口には大きな看板があり、『大使ご夫妻、送別会』と、書かれている。  大使って、あの海外から在日している大使?  なんで、そんな大物のご夫妻送別会会場に、僕とじいちゃんのような田舎の一般人がいるのだろう。  これか――これだったのか、じいちゃんが僕に黙っていたのは!  最初に旦那様が話してくれなかったのは!  今更後悔しても、もう遅かった。  イベントホールの横に、『加賀様 控え室』と書かれた部屋があり、その中へ当然のように入っていく旦那様とお嬢さんの後についていく僕ら。  中に入ると、鈴木さん夫妻がいた。 「お待ちしておりましたよ、お嬢様。さあ、早くお召し替え致しましょう」  更に奥の部屋へと、舞ちゃんを連れていった。 「じゃ、私は健くんの着替えを手伝おうか」  七五三でもそんなものを着たことのない、立派な服。  それが子供用の燕尾服であるというのだけど、この時の僕に燕尾服も立派な服も同等のものでしかない。  なにより、よそいきの服なんて必要ない田舎で、年中、シャツと短パンで暮らしているようなものなのだ。  そんな僕が燕尾服を着せてもらい、髪の毛をセットすると、じいちゃんが一言。 「馬子にも衣装とは、昔の人はよく言ったものだ……」  などと、自分の孫を貶(けな)しているのか、褒めているのか。  そんな微妙な心境の中、綺麗に着飾った舞ちゃんが姿を見せた。 「健くん、思っていた以上に似合っているわ」 「思っていた以上? ほんとうに? お世辞じゃなく?」  鏡に映る僕はとてもじゃないけど似合っているようには見えない。  だけど舞ちゃんに言われると似合っているんじゃないかと錯覚してしまう。 「こんな時にお世辞なて言わないわ。本当に、素敵よ、健くん」  おだてられると木に登るのはブタだけではないらしい。  いま、目の前に登れる木があれば僕は瞬く間に登り切ってしまうだろう。 「ええっと、そう? ありがとう。あの、舞ちゃん……」  と、いい終わらないうちに、じいちゃんに小突かれる。 「タケ、女の子が綺麗になって姿を見せたら、言うことがあるだろう」  わかってるって。  それをいま言おうとしたのに、じいちゃんが小突くから、変なところで言葉を切っちゃったじゃないか。 「ああ、もう、煩いな、じいちゃんは。言おうとしてたじゃん……その、すぐに言えなくてごめん。舞ちゃん、とっても綺麗だよ」  ――と、いいながら茹でたこのように真っ赤な顔になっているのは、じいちゃんや旦那様に指摘されなくても、僕が一番わかっていた。  まったく、自然な流れで言おうとしたのに、敢えて言わせられるような流れで言っちゃったから、恥ずかしいのなんのって…… 「――で、じいちゃん。そろそろ本当のこと、話してくれよ」  わけもわからず朝早くに起こされ、そのまま車、飛行機、車と乗り継いでホテルに連行。  はじめのうちは「どこに連れて行くんだよ!」と軽く抵抗、そして行先を問いただしていたけれど、飛行機に乗ると知った途端、そっちの方が嬉しくてついつい黙って連れられてしまったけれど、かあちゃんやとうちゃんは知っているのだろうか。 「知らんだろうな。言っただろう? これはじいちゃんとタケとの、ふたりだけの約束と秘密だと。こんな面白いこと、中止にされちゃつまらん」  そりゃ確かに、東京まで行くなんていえば、反対するだろうけれど―― 「タケ。我々庶民に経験できないことだぞ。大使夫妻の送別会で、ダンスを踊れるなんて」  ――ダンスを、大使夫妻の前で踊る?  ――それって日本の外交的にどうなのだろうか。  ――本当はもっと知名度があったりする子供の方が心象もいいんじゃないの? 「もしかしたら、そのままご夫妻の子供と知り合えて、未来は外交官とかになれるかもしれんぞ、タケ」  ――いや、僕、外交官なんて小難しい仕事する気ないし。 「逆玉ってこともありえるかもな、タケ」  ――いやいや、日本語以外の言葉を覚えるつもりないし、そこそこ生活できる仕事でいいし、結婚なんてまだ先の先だし――って、じいちゃん。 「じいちゃん。それって、自分の願望を孫に託すとか押し付けてない?」 「タケ――おまえは夢がないな……」  田舎に暮らしていて、どんな夢を持てっていうんだよ、じいちゃん。  そんなやりとりをしていたら、舞ちゃんにクスクスと笑われる。 「仲がとてもいいのね。健くんはおじい様思いなのね。ふたりのやりとりをもっと楽しみたいけれど、そうも言っていられないみたいね。行きましょう、健くん。そろそろ時間みたいよ」 「行くって?」 「送別会の会場よ。踊るのは複数の同年代の子達よ。そんなこともお爺様教えていなかったのね。競ったりするわけじゃないの。パーティーの前座だと思えばいいわ。ね?」  女の子にここまで言われては、引き下がるわけにもいかない。  僕は覚悟を決める。  じいちゃんと旦那様は、来賓席で見ているという。  ほとんど他人事のように。  成功したら万々歳、失敗したらしたで、いいネタになるとでも思っているのだろう。  この時ほど、心の中で思ったことはない『クソじじい』と。
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