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9.嶋本静流
――以上、すべてはオレの一晩の夢だった。
などということはなかった。これで夢オチだったら、それこそ「今までなんだったんだ、ふざけんな、おまえ」だ。残念ながら、今までのことは全部、オレの平凡なある日に突然降りかかってきた災いだった。その災いはロリ爆乳天使の格好をしていたが、最終的には金髪の超イケメンが事態を収拾してくれた。呪文で、どうにか折り合いをつけてくれたんだ。
あれから、数日たった今も、時折、あのロリ爆乳天使の能天気な声が聞こえる気がする。
――告命天使・ジブリール見参! あなたの純愛をかなえちゃうお♥
でも、ヤツは消えた。オレの人生から消えた。
「おはよー」
オレは家から出て、学制鞄を手にオレを待っていた平岡と合流する。オレの無二の親友・平岡は、最近、毎朝、オレを迎えにやってくる。これはべつに恋愛感情からではない。平岡が朝練を始めて、走るコースがウチの前を通ってるだけだ。
「そういや、平岡、妙な夢を見たりしてるのか」
「夢? 夢ってなんだっけ?」
「いや、いいんだ、オレの勘違いだよ」
「なら、いいけど」
どうやら平岡の精神状態は安定しているらしい。ただ、平岡については懸念がまだあった。
――でもお、みんなのためにも、キミの妊娠をかなえなきゃダメなんだお?
――千年に一人、生まれてくる救世主がいないと、人間は滅んでしまうんだお? みんな死んじゃうんだお? つまり、救世主を産まないと、キミの夢も死んじゃうんだお?
そうなのだ、純愛ハーレムが崩壊したとしても、救世主問題が解決していない。つまり、こいつを夫にしてオレが救世主を産まない限り、人類に紀元三千年の朝日はねー。
それについてはガブリエルもウリエルもラファエルも、とても残念そうな顔をした。
――君自身には、妊娠の意志はないのか。
――すんません、ガブリエルさんはとっても良くしてくれたと思いますが、ソレはソレ、コレはコレです。第一、男のオレがどうやって妊娠するんですか。
――一時的に性別を書き換えて、出産後、元に戻すというのはどうだろうか?
――ちょっと待ってくださいよ、そんなことしたら、オレの魂が壊れますよ、少なくとも、オレは壊れますよ。
――ガブリエル、君の意見もわかるが、男性が出産の痛みを経験すると死ぬと言われている。男性の意識のままでは無理ではないか。
――……出産って、そんなに痛いんですか?
――一説によると、鼻の穴からスイカを出すようなものだと言われている。
――無理、不可能、不可能じゃないですか。オレの意識の限界を超えますよ!
――困ったな。
――よくよく考えたら、それ以前に、妊娠しなきゃならない、つまり、オレは平岡とウフンアハンなことをしなきゃならないんですよね? それも無理です。不可能です。
――いや、それは心配ない。君は聖処女だ。一生、処女だ。君は救世主を処女懐胎するのだよ。
――へっ? え、じゃあ、平岡はお父さんじゃないんですか。
――いや、父親ではある。救世主は彼を父として慕って育つ。
――うーん、でも、やっぱ、オレは妊娠は無理です。人類が滅びるって言われても、無理なもんは無理です。
三人の天使と一人の人間は顔を突き合わせて苦悩したが、いい対応策は出ず、とりあえず解散したのだ。
「あれだけが問題なんだよな……」
オレがポロリと漏らすと、平岡が振り向く。
「ん? なにが問題なんだ?」
「あ、いや、別に、大したことねーよ、気にすんな」
「ならいいけど。さ、学校へ急ごう」
平岡は爽やかに笑った。
昇降口で靴を履きかえたオレの腕に、
「おっはよーっ」
水野が親しげに腕をからませてきた。
「静流おにいちゃんっ」
「おいおい、嶋本は同い年じゃないか」
平岡がたしなめると、水野は頬を膨らませる。
「いいじゃん、減るもんじゃなし。静流おにいちゃんは、わたしの理想のおにいちゃんなんだから」
「ま、まあ、いいよ、平岡。別にやましいことじゃないし」
正直、水野にはまだ未練があるけど、でも、これでよかったんだよな。オレは『おにいちゃん』という、ある意味、究極の称号を手に入れたのだ。これは本来なら他人には持てない称号であり、かつ、水野が結婚しようと恋愛しようと揺るがない称号だった。一生の付き合いになるんなら、初恋としては悪くない終わり方だよな。
「こらこら、三人とも、朝礼に遅刻するわよ」
オレたちの背中に、後ろから来た博美先生の声がかかる。追い越しざまに、
「寝・ぐ・せ」
博美先生の手がオレの頭をなでた。
「うわ、ビックリしたっ」
オレがキョドると、三人は笑った。
「なんか嶋本君って放っておけないのよね。ウチの子みたい」
「先生、それはないですよ、オレはもう十五ですよ」
「あはは、そうね、でもかわいいわよ、嶋本君。あら、かわいいって男子に失礼かな?」
博美先生がウィンクした。あのときの胃が痛くなったウィンクとは違う、親しげで明るい茶目っ気のあるウィンクだった。
「さあみんな、朝礼始めるわよ」
「はーい」
オレたちは教室に入り、いつもの席に座る。博美先生が出席をとりはじめた。窓から見る空は青い。初めてジブリールに出会った日と同じくらい、深みのあるキレイな青だった。
「けど、問題はある……」
昼休み、いつものように屋上でサンドウィッチを食べながら、オレはつぶやいた。この平凡で素晴らしい毎日も、オレが救世主を出産しなければ、終わってしまうのだ。いや、終わるのはずっと先だけど、でも未来の誰かの『平凡で貴重な毎日』が終わってしまうだ。どうしよう。責任が重いな。いや、いまはボスはオレがそれに耐えうる・可能性がある人間だからこそ、選んでくれたんだってわかってるけど、それにしたって、重い。人類の未来はオレの妊娠にかかっているのだ。男のオレの妊娠に。
「平岡に聞いてみようかな」
あいつならなんて言うだろうか。ちょうど購買から平岡が戻ってきたので、できるだけいつも通りの会話を装って聞く。
「平岡さ、もし、自分が子供を産まなかったら、人類が滅びるって言われたら、どうする?」
「なんだよ、嶋本、変なことを聞いてくるな」
「いや今朝、博美先生に『ウチの子みたい』って言われたけど、出産ってどういうものかなって。もし子供を産まざるを得ない状況だったら、どうかなってちょっと思ってさ」
我ながら苦しい言い訳だったが、平岡はオレをいっさい疑わない。真面目に話を聞いてくれる。
「人類が滅びるのか?」
「そう、そんな感じだったら、平岡はどうする?」
「産むよ」
平岡は簡単に言った。オレは顎が落ちる。
「え、だって、出産って滅茶苦茶痛いらしいぞ。男なら痛みだけで死ぬらしいぞ」
「でも、人類が滅びちゃうんだろ? だったら、産むよ。だって死んだら困る人が、まだそばにいたい人がいるから。大事な人が助かるんなら、子供、オレは産むよ」
あ、そのあと、育てるほうが大変かもな、と言い加える。
オレは目を見開いて、おにぎりを食べる平岡を見つめる。てらいなく、力を入れず、当たり前のように『産む』と即答した平岡。そうか、そうだよな、こいつは救世主の父親だった。オレと同じ、無原罪の選ばれた魂の持ち主だった。もしかしたら、こいつの魂は、オレなんかよりずっとずっと、キレイで強いのかもしれない。そうじゃなきゃ、血のつながらない救世主を愛して育てたりできないよな。
オレは、なんだか自分の小ささを思い知らされた気がした。けど、それでも、
「……オレには……無理だな……」
としか思えないのだった。どうしよう、どうしようもねーけど、でも、どうしよう!
この問題に関しては、いままで生きる指針となってきたオレの脳内ドリトル先生もなにも言ってくれない。ドリトル先生は一生独身だったから、子育ては守備範囲外なのだ。
けど、もしドリトル先生がオレと同じ立場に置かれたら、と考えてみる。あの謙虚で生物をこよなく愛するドリトル先生が、人類が滅びるって言われたら、どうするだろう。
もしかしたら、ドリトル先生も平岡と同じことを即答するかもしれなかった。
――まだそばにいたい人がいるから。大事な人が助かるんなら、子供、オレは産むよ。
ドリトル先生。平岡。二人に比べたら、オレはなんてちっぽけで醜い、自分勝手な人間なんだろう。いやでも、男に子供を産めってのはヒドイだろ。オレが女だったら、こんなに悩まないで済んだかもしれないけど。一応、前世のオレは迷いなく出産しているわけだし、オレだって女だったら、平岡と同じ答えになっていたかもしれない。
そう考えると、男なのに即答した平岡は偉大だな。改めて思った。
こいつが友達でよかった。オレはいい友達を持った。そこまで考えて、オレは気づく。
「平岡、もしかして『死んだから困る人』に、オレも入ってる?」
「当たり前だろ」
平岡は鮭のおむすびを食べ終わり、緑茶を飲みながら言った。
「両親、妹、友達、先生、みんな死んだら困るよ。一人でも死んだら困るよ。オレは欲張りなのかもしれないけどな」
「平岡……おまえ、すごいな」
周囲に対する愛の深さ。想いの純粋さ。うーん、こいつは本当に大したヤツだ。救世主の父親を何回もやってる男は、さすがに違う。
「なんかちょっと照れくさいな」
平岡は頬をかいた。そして、
「オレは、嶋本もすごいと思ってるよ。まっすぐに夢に向かって努力してる、おまえは努力家だし、それに、優しいよ。他人の足を引っ張ったりしようとしない。それよりも自分の力をつけようとする。自分の夢を一途に信じて、ベストを尽くそうとする。優しくて、すごく真面目なんだよな。きっと心が澄んでて強いんだと思う」
と言った。
思わぬことを言われて、オレは茫然とした。「ん? どうかしたか」とこちらを見返す平岡の顔を、ただただ見つめた。そのとき、脳内のドリトル先生が何か言った。小さな声で言った。
――キミは、それでいいのかい?
――『自分は小さい』と思っているだけでいいのかい?
――友達にふさわしい人間じゃない、と思っていて、そばにいつづけられるのかい?
……わかってる。わかってるよ! オレにだって、『死なれたら困る人』くらいいるんだからな! わかってるよ、ああもう、しょうがねえ!!
オレはもうヤケクソ混じりだった。でも、大好きで尊敬しているドリトル先生と平岡の二人に背中を押されて、もう言うしかなかった。逃げ場は脳内にもなかった。
オレはサンドウィッチを食べかけのまま、立ち上がって、青空の底へ叫ぶ。
「ジブリール!」
平岡がきょとんとした顔をしたが、もうかまっていられない。
「畜生、クソ天使、聞こえてるんだろ、わかったよ、やりゃあいいんだろーが! 産めばいいんだろ! 産んでやるよ、やってやるから出て来いよ!!」
「告命天使・ジブリール見参! あなたの純愛をかなえちゃうお♥」
青い空に白い翼がはためく。オレは最後の抵抗をわめいた。
「ああもう、純愛なんかくそくらえ!!」
こうしてオレの騒がしい毎日は終わり、騒がしい毎日が始まった。
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