3.水野

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3.水野

 結論から先に言うと、結論は出なかった。オレは一晩、ぜんぜん眠れずに考え続けたが、現状を具体的に打開できるようなステキなアイデアはまったく出ず、目の下にクマを作っただけだった。 「夜更かしはお肌に悪いお」  翼の生えた悪霊が爽やかに話しかけてくる。ああクソッ、「全部夢だったらいいな」という妄想だけは現実じゃなかった。 「とにかく学校へ行かないと。内申が悪くなるのだけはダメだ」  自分に言い聞かせてカーテンを開けたら、 「……全員、いる……」  玄関の前には平岡、自宅前の電柱の影に水野、自宅前に停車している軽自動車の運転席には博美先生がいた。みんなオレの部屋を見張っていたようで、カーテンを開けた瞬間に、全面の笑顔になる。直視できない。オレはあっさりカーテンを閉め、 「おい、おまえ、どうすんだよ」  と純愛の天使を問い詰める。 「全員、鉢合わせしてるだろーが! こんな状況、正気でありえるのか。修羅場だろ」 「ダイジョブ、みんな、自分だけがキミに恋をしてると思いこんでいるんだお」 「はあ?! 家庭訪問でもないのに、生徒の自宅まで担任がやってくるのが普通か?!」 「恋は盲目なんだお♥」  ジブリールは咳払いして言った。 「たしかに平岡君は『おかしいな、オレとふたりきりだと思ったのに』と思っているし、水野ちゃんは『ちょっと積極的過ぎたかな、わたし』って考えてるし、博美先生は『なんだか胸が熱くて行動せずにはいられないわ』って感じてるけど、要するに純愛のなせる業(わざ)なんだお。悪いことじゃないお♥」 「みんなは悪くなくても、おまえは悪いわ。ちょっとは責任を感じろ」 「なんでー? ジブリール、悪いことしてないお? いつもどおり、ステッキで恋の呪文をかけただけだお」 「それが、最悪、なんだろうが! オレは誰になにをどう言えばいいんだよ」 「みんなに、『大好きだよ、愛してるよ』って言えばいいお。それだけでみんな笑顔になって、幸せになるお♥」 「オレは不幸のどんぞこだ」  天使は心底、不思議そうな表情になる。 「みんなに愛されて、なんで不幸になるお?」  オレはわめく。 「愛されるべきじゃないのに、愛されたら、不幸だっつの。これがさりげなく、自然に起きた恋だったら、オレだってこんなに目の下にクマ作るほど悩まねえっつの。おまえが作った、みんなの本心じゃない恋だから、いっくら愛されても、ぜんっぜん、幸せになんかならねーわ」 「だから、全部、自然に起きた恋だお? だって、ジブリールが作ったんだから、間違いなく自然の、天然の、ボスの定めた運命の恋愛だお」 「おまえが作ったって知ってると、もうなにもかもが異常だわ……」  自然の恋=ジブリール印だと知ると、恋愛そのものに絶望したくなってくる。一生、恋愛と縁がなくてもいいかもしれないとまで思う。かわいい奥さんが欲しかったけど、どこでどんな出会いをしても、こいつのステッキで「リリララルルラ」ってやった結果だと思うと、もう喜んで奥さんの手を取ることができない。だって、オレがいくら「キミは本当にかわいいね」って想って、どんなに真剣にその子のこと想っても、それすらジブリールの力の顕現なら、オレの自由意志になんの意味があるんだ?  ジブリールの采配一つで決まるオレの恋愛に、価値なんかあるのか?  価値があると思えない。オレは、オレの奥さんは自分で選びたかった。別にハーレムみたいな状況なんかいらない、自然に、互いの心から起きた好意で結ばれて一生、一緒にいられたらと……。  また涙が出てきそうだった。恋愛の裏側がこの頭の悪い天使の思惑次第だと知ると、本当に絶望したくなる。 「いつまで寝てるのよ」  母さんがノックしてきた。「いま行く」と返事して、オレは制服の袖に腕を通す。とにかく、学校へ行かなければならない。行かなきゃ夢が遠ざかってしまう。  かわいい奥さんが妄想で終わってしまったとしても、自分の夢だけは、守りたかった。  それも、誰か、別の天使が決めたことかもしれないけど。 「本当、奇遇ね」  博美先生は運転しながら、助手席のオレにウィンクする。うわ、今年三十八歳の熟女のウィンクって、いい意味でも悪い意味でも、破壊力がハンパないな。オレは気づかなかったふりをしてストレスで痛むみぞおちを押さえて視線を車窓へ逃がす。 「こんな偶然ってあるんですね」  後ろの席の水野が声をあげる。水野の隣の平岡も「そうですね。たまたま嶋本の家で鉢合わせるなんて、滅多にないですよ」と悪気なく同調する。すべてが偶然ではないと知っているオレひとりだけが、胃を痛めていた。博美先生は助手席をちらちら見ながら、 「なんかね、嶋本君のことが気になっちゃって。やっぱり昨日体調を崩したせいかしらね」  運転がおろそかになってる。いろんな意味でやっぱり怖いから、 「すいません、ご心配おかけしました。体調はもうぜんぜん平気、まったく悪いところはないので、今後はこうやって来ていただかなくても大丈夫です。あ、先生、信号黄色ですよ」  運転に専念してくれるように誘導した。 「あらそう? しばらくようすを見たほうがいいと思うけど」  残念そうに、博美先生はハンドルを指で叩いた。さりげなく、左手でシフトレバーを触るそぶりでミニスカートをちょっとずり上げる。もう少しで太ももが見えそうだ。ていうか、見せようとしているんだろうな。だから執拗にオレに助手席に座るように言ったのか。博美先生は清純路線で押してくる水野や平岡とは方向性が違う。さすが、既婚者だ。だが、そのお色気路線も、今のオレには、 「目の毒ってか、むしろもう気の毒レベル」  なのだ。なにが悲しくて生徒を誘惑しているのだろう。正気に戻ったら、自殺したくなるに違いない。それもこれも、いまこの車の天井に座ってスピードと風を楽しんでいるアホ天使のせいだ。  ――でも、全部、純愛だお♥  離れていても、ジブリールは勝手に頭にメッセージを送りつけてくる。  ――博美先生は、愛と愛欲の関係がわかってるんだお。だから、水野ちゃんたちとはちょっと方向が違うアプローチになるんだお♥ これも愛のひとつの形だお。 「大人の階段って知ってる?」  博美先生は助手席にだけ聞こえるようにささやいてくる。 「興味ない?」 「……――すんません、オレ、昔から階段嫌いで。エスカレーター派なんです」  オレはもう胃痛と頭痛に襲われて、早く学校に着けばいいとだけ願っていた。ある意味、今日、水野と平岡がいてくれてよかった。もしいなかったら、『大人の階段』を一段抜かして引きずり上げられることになっていたかもしれない。いや、そりゃ、オレだって男子なんだから、『階段』に興味ねーわけはねー。その手の本を隠していたりするし、その、完全に潔癖で真っ白というわけじゃない。だけど、どんなに教師の中ではダントツに美人で生徒に人気がある博美先生に迫られても、嬉しくない。まして応じようとか思えない。  だってこのひと、既婚者だよ?  子ども、いるんだよ?  そんな重いもん背負って恋愛なんか、愛欲なんか、できるわけねーだろ。オレはドリトル先生になりたいという夢だけでもう手一杯だっつのに、『不倫』になんかはまりたくない。どんだけ悩まなきゃならないんだ? いまだってもう、頭をズパッと取りたいくらい、頭痛がするのに。 「学校到着ですね。ありがとうございました」  後部座席の平岡が礼儀ただしく言って車の外へ出る。水野も車外で鞄を持ち直す。ふたりは昇降口へ歩いていった。オレも降りようとしたとき、バックミラーとサイドミラーを最後に確認した博美先生が、 「嶋本君、シャツの第一ボタンが外れてるわよ。シミもついてるみたい」  と教えてくれた。 「え、そうですか」 オレはあわてて胸元を見た。その瞬間、 「食べちゃいたい」  熱い囁きとともに、首筋に柔らかな感触。  首筋を押さえてのけぞったオレに、博美先生はまたウィンクを送ってくる。ヤバイ、この車内という閉鎖空間は危険だ。オレは車から転がり出て首筋を押さえていた掌を見る。ピンクのラメが入った口紅がはっきりついていた。仰天して首筋をこするオレをよそに、 「続きは後でね」  先生はクラクションを軽く鳴らして駐車場へと去っていった。オレは精神的な疲労感でへたりこむ。これって、セクハラじゃねえの? 教育委員会に知られたら、大問題になるんじゃね? あのひと、おかしくね?  ――違う。おかしいのは博美先生ではない。 「さっすがー、既婚者はやることの手際がいいお♥」 オレの肩にまた馴れ馴れしくまとわりつくクソ天使が全部悪い。オレは天使を蹴り倒した。 「おまえ、どうすんだよ、このまんまじゃ博美先生、いつか捕まっちまうぞ」 「キミが黙って応えれば別に問題にならないお♥ お別れのキスくらい、愛し合うふたりには自然な行為だお♥」 「愛し合ってねえし! オレは未成年だし、あのひと既婚者だし!」  なんでこんな当たり前のことを、声を大にして言わなきゃならねえんだ。この天使は頭が悪すぎる。 「とにかく、博美先生は危険だ。極力、ふたりきりにならないようにしねえと。水野と平岡は……大丈夫だと思いたいけど……」 「でも、水野ちゃんと平岡君も、積極的に親密になる機会を探してるお。昨日より今日、今日より明日、時間が経つにつれて、キミに焦がれるようになるお♥ 純愛ってそういうものだお♥」  純愛レーダーを確認した天使の報告に、オレは青ざめる。、  オレに迫ってくる水野。  オレに迫ってくる平岡。  ダメだ、想像するだけで絶望的な気分になってくる。三人の誰とも、ふたりきりになってはならない。博美先生の誘惑に抵抗するのは精神的に大変だし、剣道部の平岡に抵抗するのは体力的に大変だし、あこがれていた水野に抵抗するのは心の背骨にヒビが入る。どっちをむいても誰を見ても、逃げるしかない。  ていうか、この状況を根本的に打開するには、 「おまえ、ウリエルとかいうやつに連絡したのかよ」  唯一、まともそうなウリエルが頼みの綱だ。ジブリールはあっさり首を横に振る。 「ジブリール、怒られたくないから、まだ連絡してないお♥」 「さっさとしろって言ってるだろおが、このクソ天使」  オレは拳骨で金髪頭をグリグリする。 「こんな状況、一日だって心がもたねえわ! オレをストレスで殺す気か?!」 「愛されてるのに、なんでストレスになるお?」 「愛されてるから、ストレスになるんだろーが! 早く、まともな関係に戻りたいわ」  オレが望んでいるのは、明るくて冗談がわかるいつもの博美先生と、頼りがいがあってオレを信頼してくれる親友の平岡と、あこがれながら少し遠い水野だった。一昨日までの関係だ。もう水野との恋の成就はあきらめていた。だってそれもこいつのステッキが必要なんだとしたら、もう恋愛なんて一生しなくていい。悲しくなってくる。 「オレは、普通が一番なんだよ」  小心者と笑われても、オレにはそうとしか思えなかった。オレは小市民で、小心者で、笑われちゃうかもしれねえけど、自分の夢が大切な普通の、ありきたりの中学三年生だった。  人類を救う救世主を出産する聖処女とか、  誘惑してくる女教師とか、  オレの不安におろおろする親友とか、  タナボタ的に好きになられて、逆に好きだと言えなくなった女の子とか、  そういうのは全部、もう完全に、オレのキャパシティを超えていた。胃は痛いし、頭も痛いし、予鈴も鳴っているし、 「いいな、午前中に必ずウリエルに連絡して杖を作ってもらうんだぞ! 昼には元に戻してもらうからな!」  どうにかしないと、発狂しそうだった。  純愛ってなんだろ。  相手を大事に思う気持ちじゃないのかな。  授業中も、オレは三人の犠牲者のことを考えて、グルグルしていた。ぜんぜん教科書の内容が頭に入らない。  オレが女だったら、結ばれていたはずの平岡。あの夢のあったかい心の持ち主はおまえなのかよ。  シャーペンが勝手に「オレ←平岡」とノートに書いて、一度書いた矢印をグシャグシャに消す。ダメだ、オレが男であいつも男である以上、運命の恋とやらもお断りするしかない。オレがこの世で一番信じてる人間は平岡かもしれなかったけど、恋愛対象になるかどうかは別問題だ。  じゃあ、水野は? シャーペンが滑って「オレ→水野」と書いてまたグシャグシャに矢印を消す。ジブリールの呪いで本来、誰かに片思いしていた彼女がオレに純愛してしまった以上、これも成立しない。だって、水野が本当に好きだったのはオレじゃないし。オレじゃないし。  博美先生は、もう頭痛の種以外の何者でもない。そのテの本で女教師物を見たことがあるけど、実際に担任に迫られると混乱する以外に反応がねえわ。向こうの経験値とこっちの経験値の幅が絶望的に開いていて、『大人の階段』の一段あたりの高さに唖然とするしかない。ダメだ、オレはやっぱり階段はキライだ。博美先生の欲求に、オレはとても対応できない。できる気がしねえ。イヤ、むこうがこっちにあわせてくれるというか、導いてくれるのが『大人の階段』なのかもしれないけど、でもやっぱ、博美先生はステッキの犠牲者だ。まさかあんなに積極的な人だとは思わなかったけど。節度ある教師の顔と恋するオンナの顔って違うのな。そんな真実、知りたくもなかったけどな。シャーペンは「博美先生」という文字もグシャグシャに消す。  オレは、オレのほのかな恋愛を、とても大切に想っていた。大事だった。水野に告白する勇気もない、付き合う可能性だってない、だからジブリールに初めに訊かれた時、「恋愛なんてしてない」って言ったけど、オレが胸の内側の奥の底で大事に握っていたのは、水野への淡い気持ちだった。オレがオレの気持ちを大事に思うのなら、価値があると思うのなら、水野の想いや平岡の想いや、博美先生の気持ちだって、おんなじように価値があるはずなんだ。ステッキでゆがめられて、呪われて変えられちゃっていいような軽いものじゃないはずなんだ。  だって、オレは、水野が好きだったし、  平岡が大事だったし、  博美先生が嫌いじゃなかった。  三人のうちの誰も、オレに都合よく作りかえられていいひとじゃなかった。恋愛物のマンガなら、「タナボター」って罪悪感なく博美先生の誘惑に乗って『階段』を上がり、水野と一緒に毎日帰り、平岡になびく(?)のかもしれないけど、現実はそんなに軽いもんじゃない。  オレは応えようがない。  三人の誰にも応えようがない。  純愛だと思い、真剣な気持ちだと思えば思うほど、そういう結論にならざるを得ない。  だって純愛ってそういうもんじゃねえの。  相手を大事に思う気持ちじゃねえの。自分よりも。  たとえ、自分の思いが散ることになっても、相手の幸せを願う、そういうのが純愛なんじゃねえの。  ここまで考えて、オレはまた鼻をすすって涙をこらえた。  平岡はいいやつだ、幸せになって欲しかった。  水野は好きだ、幸せになって欲しい。  博美先生は大人だ、自分で築いたものを大事に、幸せでいて欲しい。  もしかしたら、オレは、オレこそが、三人に、純愛という片思いをしているのかもしれなかった。相手に幸せになって欲しいという願いを、オレは持っていた。それは呪われた三人が失ってしまった、オレが絶対に得ることができない願いだった。 「ウリエル、まだ熱が下がらないんだお♥」  昼休み、平岡がおにぎりを買いに行っている間に、屋上でクソ天使から状況報告を受ける。天使はスマートフォンをいじりながら、言う。 「さっきラファエルに連絡してみたお♥ ラファエルが一生懸命、看病しているけど、ウリエル、まだ三十九度あるお。権能を発揮するのは無理だお」  最悪だ。最後の希望が断たれた。オレは壁に向かって体育座りしながら確認する。 「あと何日くらいで治りそうなんだ?」  天使は指を折って数える。 「熱が出たのが四日前だから、あと三日は安静にしないとダメだお」 「三日……」  長い、長すぎる。三日以内にオレと三人の間でなにかが起きてしまう可能性・大だ。特に博美先生。危険すぎる。 「おまえ自身で直せねえのかよ、ステッキ。てか、ウリエルがステッキ作るまではおまえはどうやって恋愛を起こしていたんだ?」 「ウリエルのステッキがないときは、別の権能を持っていたお。ジブリールは悪と戦う天使だったお」 「戦う天使?」  オレは壁から首をひねって、宙に浮かぶ天使を眺める。ロリ顔で金髪で爆乳でナースミニスカートに黒パンティ。このイロモノ感満載な天使が、どうやってなにと戦ってたんだ? 「なにと戦っていたんだ?」 「ジブリールは楽園の門番だったお。侵入しようとする悪魔と炎の剣で戦っていたお♥」 「悪魔? 悪魔なんて本当にいるのか」  悪魔=この目の前の天使じゃねえのか。自称天使は解説する。 「正確には堕天使だお。悪魔はもともとは天使だったけど、ボスに反抗して悪いことするようになった天使だお。ジブリールは大天使次長だから、天軍の副将軍として戦ったお」 「想像できねえな。副将軍? てことは、おまえにはボス以外にも上司がいるのか。将軍は誰だ」 「熾天使(セラフ)ミカエルが大天使長だお。でも、ミカエルがいなくなっちゃってからは、ジブリールが天軍を率いたお♥」 「おまえが軍隊を率いて戦った? 信じられねえ……」  ここでオレはふと思いつく。 「おい、おまえより偉いミカエルとかいう天使、そいつにはステッキ作れねえのか」 「ミカエルなら作れるかもだけど、行方不明だお。連絡が取れないお」 「行方不明ってどういうことだよ。そいつが一番偉い天使なんだろ」 「ナイショのことだけど、ミカエルはエデデアと駆け落ちしちゃったお。いまは素性を隠して人間界のどこかにいるお」 「天使が駆け落ち?! 天使も恋愛すんのか」  悪と戦う一番偉い天使なんだから、もっと理性的な性格かと思ってた。意外すぎる天使の生態に驚くと、 「ナイショのことだお♥」  ジブリールはあの見覚えがある仕草――左右の人差し指をあわせてモジモジする仕草をした。 「ウリエルにステッキ作ってもらったとき、使い方がよくわかんなくて権能が暴発したお。そしたら純愛力がミカエルに当たっちゃって、万年冷血天使って言われてたミカエルが恋に落ちちゃったお。本当に、あのステッキはよく効くお。ウリエルは仕事キッチリなんだお♥」 「“よく効くお”じゃねえだろ……」  オレは脱力したのち、気を取り直して怒鳴る。 「てことは、ミカエルってやつもステッキの犠牲者か?! おまえは上司になにしてんだ」  ジブリールは肩をすくめる。 「よくある事故のひとつだお。それにいまはミカエルは幸せだから、それでいいんだお。純愛がひとつ成就しただけだお♥」 「いいわけあるか!」  オレは金髪頭をグリグリする。 「仮にも将軍が、軍隊投げ出して駆け落ちして問題ねーわけねーだろーが。おまえの周囲は何も言わなかったのかよ」 「みんな、ミカエルが幸せならたいした問題じゃないって言ってくれたお♥ ナイショだおって言ってくれたお♥ ただ、ウリエルだけは責任問題だって激怒してたけど」 「やっぱり、おまえの周囲で信用できそうなのは、ウリエルだけだな」  オレは金髪頭を放り出して、善後策を考える。いままでにジブリールが話した天使はウリエル、ラファエル、ミカエルの三人。そのうち、まともそうなのはウリエルだけらしい。ミカエルは駆け落ち中だとして、ラファエルは? 「おい、ラファエルはいま、なにをやってるんだ? そいつはステッキ作れないのか」 「ラファエルは治癒の大天使だお。いまはウリエルを看病しているお♥」 「治癒の大天使? 治癒の大天使……? うん?」  オレは頭蓋骨の内側でなにかひっかかりを感じて言葉を反芻する。 「そいつは病気を治したりするのか」 「そうだお。治すのがラファエルの権能だお。聖書の外典でも、人間を治したりしてるお」 「……直すのはできねえのか」 「意味がわからないお?」 「つまりだ、病気以外の異常を治す・直すことはできねえのか? 広い意味で考えれば、いまのおまえの権能はコントロールできない、異常な状態なわけだろ。それを正常な状態、おまえの意思で発揮できるように修正することは、そのラファエルってやつにはできねえのか」 「……考えたことがなかったお」  ジブリールはポカンと目を口を丸くした。 「いますぐラファエルに連絡しろ!」  オレの鋭い命令でジブリールはあたふたとスマートフォンを操作する。待つこと二秒、 「あ、ラファエル? ジブリールだけど、いま話せるお?」  どういう仕組みか知らないが、天界と回線がつながった。 「ナイショの話なんだお。実は、ジブリール、ステッキを壊されちゃったお♥」 「ちーがーう、ステッキが壊されたのは、おまえの自業自得だ!」  オレは天使の尻に蹴りを入れる。ジブリールはすてんと転がって、言葉を修正した。 「とにかく、ステッキがなくなっちゃったんだお。すっごく困ってるんだお。ラファエル、ステッキを直すことはできるお?」 「ステッキじゃなくてもいい、権能を発揮できるようになるか、訊け!」  オレの言葉を受けて、天使はスマートフォンに懇願する。 「なんでもいいお、とにかくジブリールの権能が使えるようにしてほしいお♥ 直して欲しいお♥ いまは権能がコントロールできなくて困ってるんだお。ラファエル、できるお?」 「…………」 「ホント? スゴイお!」  ロリ顔が輝く。オレも希望をつないで顔を上げる。  スマートフォン片手にジブリールは興奮したようすでオレに報告する。 「ラファエルでも直せるお! 三日くらいかかるけど♥」 「――意味がねえ!!」  オレの渾身のツッコミは、むなしく昼休みの青空にこだまして消えた。
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