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4.オルレアンの乙女
昼休み中、意味深な視線をオレに送ってくる平岡をどうにかかわし、迎えた五時限目は体育だった。中学とはいえ、男女は別々に分かれて授業を受ける。だから問題なのは平岡だけのはずだ。
が。
「なんで突然、体育祭の練習になるんだ?」
体育の時間でまだ七ヶ月も先の行事の予行演習をすることになった。頭上で浮かんでいるジブリールが「ステッキの純愛が運命に干渉してるんだお。普通は偶然が増える程度だけど、三人分だから強力に干渉しているお♥」と解説してくれた。運命め、余計な気配りしやがって。
国語教師なのになぜか練習に参加しているジャージ姿の博美先生が柔軟しながら、またウィンクしてくる。気のせいか、大きなバストを強調する動きをするときに視線が合うような。揺れる胸から目を離すと、すらりとした足を短パンからのぞかせたショートカットの水野が腿のラインを見せながらにっこりと微笑んできた。再び足から目を離すと、平岡のたくましくまっすぐな背中が視界に飛びこんできた。こっちも背筋を伸ばす柔軟をやりながら、チラチラとオレを見てくる。耐えきれずに視線を外すと、体育教官の通称『仁王』が太い腕を組んで体育委員に指示を飛ばしていた。
「早くタオルを配れ。二人三脚の練習だ」
とたんに右腕を水野、左腕を平岡にひっぱられた。
「わたしとやりましょう」「オレと組もう」
「いや、オレは二人三脚には出ないし」
どうにか腕を取り戻そうとすると、背中から誰かが抱きついてきた。クソ天使かと思って振り返れば、博美先生が胸をオレの背中にこすりつけるように抱きついていた。
「嶋本君はわたしと見学しましょ」
「……いや、オレは高飛びに出るんで」
三人はそれぞれの方向へオレをひっぱる。左右、後にひっぱられて、オレの身体がメキメキと嫌な音を立てる。気がした。
「痛い、痛いですって! やーめーてーっ」
「わたしと二人三脚よ」「オレと二人三脚だ」「わたしと見学よ」
水野は自分の右足とオレの左足をタオルで結び、平岡は自分の左足とオレの右足をタオルで結び、博美先生はオレの腰にすがりついていた。水野と平岡はそのまま強引に前に進みはじめる。三人四脚だ。いや、引きずられている博美先生を入れれば三人四脚と一人だ。
「位置について」
この異常事態を目の当たりにしているはずの『仁王』は当然のようにスタートラインの横に立った。さすが脳まで筋肉でできていると噂される『仁王』だ、三人四脚プラス一人にぜんぜん動じない。ていうか、周囲の生徒も、
「なんで誰も止めてくれないんだよ?!」
普通に二人三脚でスタンバイしてる。おかしいだろ。ジブリールがスマートフォンを操作し、「運命事象のレベルがラブコメレベルまで落ちているお。転んだキミが女の子のバストに鼻をうずめても誰も何も言わないお」と再度解説してくれた。なんだそりゃ、誰が運命の責任者なのか知らねえが、両側に身体がひっぱられて痛い、マジ本当に痛い。運命の責任者出てこい、むしろ責任者死ね。
「ヨーイ、ドン!」
『仁王』が号令した。勢いよく水野と平岡が走りはじめる。オレはふたりに脚を引きずられて走るしかない。ふたりは最初のカーブまではちゃんと併走していたが、
「ちょっと、ちょっと待て、待て!」
水野はインコースへ、平岡はアウトコースへむかい出した。当然、限界まで左右に開くオレの股間。そして限界を超えて左右に開くオレの股間。
「ぎゃあああああああ!」
「嶋本、わたしと頑張ろ!」「嶋本、オレについてこい!」
「死ぬ、股が裂けて死ぬ! やめて、やめてー!!」
「ちょっと止まりなさいよ、嶋本君が使い物にならなくなったらどうするの!」
「違う、博美先生のその心配は間違ってる、でもやめてー!」
オレは絶叫した。しかしふたりは、水野も平岡も、博美先生も止まらない。オレは生命の危機に足のかかとを地面につきたてて、全力で止まろうとした。結果、
「おわっ!」
両足のタオルが景気よくブチっと千切れて、オレはガニマタのまま、顔面からグラウンドに倒れこみ、額と鼻をしたたかにぶつけた。
「大変だわ」
いち早く自由になった博美先生がオレを抱き起こし、
「鼻血が出てる、安静にしないと」
豊かなバストにオレの顔を思いっきり押しつける。苦しい、息苦しい、別な意味でまた臨死体験。それを、
「なら保健室に行かなきゃ」
保健委員の水野が引き剥がす。ようやく息ができるようになる。水野は命の恩人だ。オレの股を裂いてを殺そうとしたけど。
「オレが連れていくよ」
平岡が思いがけない力強さでグッタリしたオレを水野の腕から奪い、軽々とお姫様だっこした。死ぬ、同級生たちが見守る中で、野郎にお姫様だっこなんかされたら、もう死ぬしかない。
そんなオレを、また博美先生が奪い取り、それを水野が抱き寄せようとし、さらに平岡がひっぱり、オレはもうオレの身体がどんなになってるのか、ぜんぜんわからなくなった。ただ一つ言えるのは、
「やめろー! オレを殺す気か(いろんな意味で)」
ということだ。
「ダイジョブだお。ラブコメだから♥ キミが誰にどうだっこされても、みんな異常だと思わないお」
ジブリールがフワフワと宙に浮かびながら、オレを奪い合う三人を眺めて言った。ラブコメだって? ラブリーなコメディだって?
「十分以内に二回も臨死体験して野郎にだっこされるのがラブリー♥ なわけあるか、バカヤロウ」
オレはもみくちゃにされながら、愛の天使に怒鳴る。三人はかわるがわるオレを相手からもぎとろうとし、「わたしが」「オレが」「わたしが」を繰り返す。互いに互いの異常が見えていないらしい。
「こりゃ、ダメだな」
やってきた『仁王』がワアワアともみあうオレたちを見て五分刈りの頭をかいた。ようやく助けが入った。オレは安堵したが、『仁王』は言う。
「タオルの強度が足りなかったらしいな。もう一度、最初からやり直しだ」
「やーめーてー!」
『仁王』の最後の台詞にオレはトドメを刺された。
「嶋本、大丈夫? 痛いところない?」「嶋本、平気か、どこか打ったか」「嶋本君、痛いところがあれば先生に言うのよ」
最終的に、オレがたどりついたのはゴールではなく、保健室だった。ははは、そういや、そもそも、このこじれまくった関係はここから始まったんだな。オレが女にされて、ジブリールがクソ呪文唱えて、運命が歪んで、三股純愛が始まったんだった。ああもう、二度と来たくなかったのに。
三人にバーゲンセールのセーターのように奪い合われたオレは、ボロボロだった。服は関節の部分で破れているし、腕や脚は付け根が痛むし、倒れたとき打った額と鼻には血がこびりついているし、悲惨の一言に尽きた。もうホント、そっとしておいてほしい。オレの願いはそれだけだったが、三人は熱心にオレの看病を申し出る。
「嶋本が眠るまで付き添っているわ」「目が覚めたときはそばにいるから」「あとで家まで送るわ」
三人はベッドサイドのパイプ椅子を取り合って、かわるがわる現れては誰かにおしのけられてオレの視界から消える。
「あーもう、いいですから、オレをひとりにしてください、もうホント、ひとりで大丈夫です、ひとり、ひとりにしてください」
痛む身体を動かして、オレは過剰に心配し続ける三人を保健室からどうにか押し出す。背中で扉を閉めて、ようやくため息をつく。
「おい、クソ天使」
「クソ天使じゃないお、ジブリールだお」
ずっと頭上にいた天使が爆乳をゆらして舞い降りてくる。
「あと三日も待てるか。今日一日だけで何回も死にかけてるんだ、早く運命を書き換えろ」
天使はあっさり首を横に振る。
「無理だお。ラファエルに頼んでも、ウリエルに頼んでも、三日はかかるお♥」
「三日……長いな……」
オレはガックリと床に座りこむ。純愛がこんなにやっかいな物だとは思わなかった。相手のことを一心に、一途に思うのが純愛。そう思っていたが、誰よりもそばにいたい、それも純愛だった。三人が三人ともオレと親密になりたがり、結果、オレの争奪戦が勃発している。
「事態を解決する方法がひとつだけあるお♥」
天使は言った。オレはもう期待せずに機械的に続きを促す。
「なんだよ」
「キミがみんなに応えればいいお♥」
「……そう言うと思ったよ」
予想通りの返答に、オレの肩が落ちる。畜生、どこまでいっても泥沼だ。どうにかしなければならないが、どうにもならない。もうオレにできることはない、と思うのだが、天使は言う。
「ハッピーエンドはキミの心次第だお」
「全員を、元通りにしろ。オレの要求はそれだけだ」
「純愛がかなったあとなら、あるいは、今よりは運命への干渉力が減るかもしれないお♥」
「つまりやっぱり」
「みんなに応えればいいお♥」
「それができりゃ、悩んでねーっつの」
オレはベッドに転がりこみ、目の上に腕を載せた。また涙が出てきそうだった。この数日で何回泣きそうになってるんだ、オレは。だけど、それはオレが泣き虫になったからとかそういうポエミーな理由じゃない。ここまで理不尽な運命にさらされたら、人間誰だって、涙の一つや二つ、出てくるだろう。ドリトル先生だって、「大丈夫かい」と言ってハンカチを貸してくれるだろう。
ドリトル先生。ああ、あなたが遠いです。
でもダメだ、今まで必死に追いかけてきた夢をあきらめることなんてできない。ここまで邪魔が入って、もう獣医になんてなれないかもしれないけど。
「オレは、ぜってー、自分からあきらめたりしない」
言い聞かせた。
「おまえが純愛の天使でどんな純愛持ってこようが、運命の天使が別にいてそいつがどんなやつだろうが、オレはぜってーに、簡単に夢をあきらめたり、安く流されたりしねー」
「!」
ジブリールが驚いたように顔を上げてオレを見た。
「キミはホントはもう知っているんだお?」
「なにを」
「だって、だって今のは」
ジブリールがなにか言いかけたが、オレは昨夜眠れなかった眠気が出てきて、急速に瞼が重くなって目を閉じた。ジブリールの言葉が聞き取れない。何か言っている。でももうなにを言っているのか……。
オレは突き落とされるように眠りに落ちた。
……白い石造りの壁に切られた張り出し窓から、オレは眼下を見下ろしていた。赤や黄色の旛が原野に展開している。自分の身体を確認して、オレ自身も銀色の甲冑を着ていることがわかる。中世ヨーロッパのもののような、ごつい鎧だ。
「乙女よ」
ヒゲ面の大男が入室してきて、オレの前にひざまずく。オレはあわててもう一度身体を確認し、甲冑の胸がわずかに膨らんでいることを知る。同時に、腹部に感じる胎動。妊娠している。うわ、マジか。男はオレの激しい動揺などまったく気づかず言った。
「聖なる乙女よ、軍勢は貴方の号令を待っております。憎きイギリスと異端者たちを滅ぼすお言葉を」
「ジル、わたしは使命を受けた卑しいはしため、真に聖なると呼べるのは神様のみです」
「乙女よ、貴女のお心は純白の雪のようです。その迷いないお言葉に触れるたび、俺は清められると感じます」
大男はごつい篭手で覆われた右手でオレの指をとり、おしいただいて額に当てた。オレの口が勝手に動く。澄んだ声音で男に告げた。
「さあ、ジル、行軍を開始しましょう。我らフランスの大地をイギリスより取り戻すのです」
「御意」
ジルと呼ばれた男が赤いマントを翻して立ち上がり、張り出し窓の外へオレを導く。オレは城のベランダから、一面の軍勢に声をあげる。
「立て、我らが同胞たち! 神のご加護の元、母なる大地を奪還せよ!」
うおおおお、と眼下の軍勢がどよめく。ジルが男臭く笑った。
「乙女よ、死すまで、いや死すとも我が身は御身の傍らに」
嘘偽りない言葉から感じるあったかい心。あれ、この感じ、前にも……どこかで……。
「……おまえ、誰だよ……」
オレはつぶやて、自分のつぶやきとともに、急速に意識が引き上げられるのを感じる。意識が甲冑の少女から抜き取られて浮上した。
「なんなんだよ……」
もう一度、つぶやいて、オレは自分が自分の部屋のベッドに寝ているところを発見した。制服じゃなくて部屋着のスウェットを着ている。上体を起こし、まだ男の感触が残る指を眺める。
「いまのは……」
「前回の妊娠のときの記憶だお♥」
学習机の椅子から、ジブリールが話しかけてきた。
「キミの魂が限界に達して壊れそうになったから、学校から自宅へ運んだお♥ 周囲には体調不良で早退したことになってるお」
「おまえの仕事の割には、マトモな判断だな」
「だってキミの魂が軋んで、今にも割れそうだったお。聖処女の魂は他の魂よりも強いはずなんだけど、危険な状態になってしまったお。魂壊れたら、ジブリール、ボスに怒られるお。急いで帰ってきたから、ちょっと記憶が混濁したんだお。前回の妊娠の記憶と今の自我が混ざりあっちゃったんだお♥」
「前回の妊娠……」
ジブリールは簡単に説明する。
「キミはフランスで救世の乙女として戦い、聖処女として救世主を産んだお♥ そのあと、魔女として火あぶりになっちゃったけど」
「火あぶり……フランス……救世の乙女……」
単語を反芻するたびにオレの血圧が下がっていく。脳裏で世界史の教科書のページがめくられて該当する箇所が光る。まさか。まさか、まさか。このクソ天使が言っているのは、
「おまえ、オレの前世が、あの超有名な! 彼女だとでも」
震える声で確認すると、天使はあっさりうなずく。
「そうだお。オルレアンの少女だお♥」
「女じゃねえか!」
あの時感じた胎動。間違いなく妊娠していた。
「だから前にも言ったけど、キミはずっと聖なる処女だお。キミの魂は女の子で、今まで何度も救世主を産んできたお♥」
「女……」
オレはワナワナと震える両手を眺める。間違いなく節ばった男の手だ。今の、オレの手だ。確認する。
「もし、仮に、万が一、オレが女になったとしたら、オレはどうなるんだ?」
ジブリールはニコニコ笑う。
「運命の男性・平岡君と結ばれて、聖なる処女として救世主を産むんだお♥ それがキミの運命だお」
「女にならなかったら?」
ニコニコがさらに広がる。
「平岡君、水野ちゃん、博美先生と結ばれて、獣医師になるお♥」
「だーっ、後半はいいとしても、前半が破綻してるじゃねえか!」
「ダイジョブ、うまくいくお♥ 運命の恋だから♥」
「うまくいくって……」
オレは絶句する。どう考えてもうまくいかないと思う。オレには三人の純愛を受け止めるだけのキャパがないし、純愛って三股かけられるようなもんじゃねえし、日本じゃ一夫一婦制だし、ありとあらゆる想定状況がすべて「ジ・エンド♥」だった。
能天気な天使が嬉しそうに訊いてくる。
「もしかして♥ 女の子になる決心がついたお?」
「つくわけあるか、バーカ」
オレは全否定してベッドに腰掛けて善後策を考える。
ウリエルにステッキを作ってもらう――三日かかるのでNG。
ラファエルにこのクソ天使の頭を直してもらう――三日かかるのでNG。
三日間、風邪を引いたとして学校を休み、面会謝絶にして三人を回避する――テストもあるし、内申が下がりそうなのでNG。
三日間、公私共に容赦なく侵入してくる三人を撃退し続ける――オレの心がもたないのでNG。
「全部、見事にNGじゃねえか! おまえ、よくもまあこんなドン詰まりに人を追い込めたもんだな! ここまでの窮地ってあんまり存在しねえぞ、人間の人生には」
「キミの心次第だお。キミが三人に応える決心さえすれば、すべて丸く収まってうまくいくお♥」
「だから、それができねーっつってんのが、わかんねーのか、このクソ天使! おまえの頭に詰まってるのは、生クリームか、カスタードクリームか?!」
天使はぺろっと舌をのぞかせる。
「ジブリール、シュークリームはダイスキだお♥」
「そんなおいしい話してねえ!」
くっそお、どうしたらいいんだ。部屋の時計を確認すると午後三時。部活がある平岡や水野、仕事がある博美先生はさすがに今すぐには襲来しないだろう。その隙に対応策をブチ上げなければオレは死ぬ。
「フフフフフ」
そのとき、誰かの含み笑いが宙に響いた。
「フフフ、かなり困っているようね」
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