線香花火

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湿気を纏った夜風が肌をくすぐっていく。昼間に雄叫びをあげる蝉とは違う虫の声が聞こえると、夏も終わりが見えてきたのだと感じた。 昔近所で買ってもらった安っぽい花火とは違う、ちょっと高級感のある包みを開けて、火を点ける。 赤、黄色、緑、どの色も文也は手を叩いて喜んだ。俺の記憶の中のどの花火よりも綺麗で、夢中で火を点けては文也と笑い合った。 多分京都のちょっと高級な花火だから綺麗なんじゃない。今、文也とやっているからだ。 色とりどりの火花に照らされた文也の顔は、今まで見たどんな文也よりも綺麗だった。 俺たちはどんどん火の花を咲かせ、あっという間に残りは数本の線香花火だけになった。 一本手渡すと、文也はそろりと車椅子から降りてその場に座り込んだ。俺もその隣に座った。 肩と肩が触れ合う距離で、カチッとチャッカマンが線香花火に火を灯す。 線香花火は静かに燃えた。 あたりに散る火花は一瞬だけ輝いては消えて行く。線香花火は文也の手の先でほんの短い間儚い夢のような花を咲かせ、夢のかけらを残して花弁はすぐに消え去った。 文也はそのかけらをじっと見つめている。文也の手は見てわかるほど震えていて、かけらもすぐに落ちて夢は脆くも崩れ去った。 「あは、ダメだなぁ…薬で手が震えるから…うまくいかないや。」 文也は笑っていたけど、声は涙声だった。もう一本ちょうだいと言われて、俺はその通りにした。 今度は俺も一本持って、約束通り勝負しようと二人同時に小さな花を散らした。 「…文也、帰ろう。」 散っていったのは、このまま二人で何処かへ逃げ果せるという馬鹿げた子どもの夢。 ほんの2泊だけの逃避行。ほんの一瞬で消えてしまう線香花火のように、淡く儚い、そう、言ってしまえば呆気ない夢。 「ふ、うえっ…うぁぁ…っ!」 文也だって、このまま二人でどうにかなるだなんて思ってなかっただろう。 ボロボロ泣いて肩を震わせる文也の線香花火は、さっきよりも早く散った。 「文也、俺大学生になっても大人になっても毎年お盆は必ず京都に来てここで線香花火するから。」 「ふえっ…う、うぁぁあん…」 「だから行ってこいよ。俺待ってるから。」 「やだ、やだよぉ…俺怖いもん…」 「そんで必ず帰ってこい。」 文也はブンブン首を振った。駄々をこねる子どもみたいに。 ポトっとちょっと間抜けで情けない音を立てて、俺の線香花火からも最後の火が消えた。俺たちのちっぽけで馬鹿げた夢も、消えた。 「く、薬でハゲになるかも…」 「スキンヘッドだろ。」 「ガリガリで、ミイラみたいになったら?ぶ、ぶよぶよのデブモンスターみたいになるかもしんないしっ…」 「痩せたら俺と美味いもんいっぱい食おう。太ったらダイエット付き合うよ。」 「は、ハゲでもミイラでもデブでも、また、また一緒に歩いてくれる?」 「あたりめーだろ。」 文也は泣いて泣いて、俺はそんな文也の肩を抱いてやるしか出来なくて、歯痒くて悔しくて唇を噛んだ。血の味がした。 どれくらいそうしていたかわからないけれど、文也の涙がやっと止まった頃。一本だけ残っていた線香花火を二人で持って、最後の夢の花を一緒に咲かせた。 当たり前だけど、あっという間に散っていった。 残ったのは僅かな湿気を纏いながら肌を撫でていく夜風の感触と、火薬の焦げた臭いだけ。
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