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「逃げたい。」
18歳の夏。
病室の狭い窓枠に向かって呆然と呟いた文也の手を取った。
これは若かった俺たちの、たった3日間の逃避行の物語。
───
文也とは幼馴染だ。
母親同士がチビだった俺たちを公園で遊ばせていたら自然と仲良くなって、当たり前に俺たちも仲良くなった。お互いの家で昼飯を食い、昼寝して育った。同じ幼稚園に通って、小学校も中学校も同じだった。
文也は絵を描くのが好きだった。
俺はバスケに目覚めて毎日走り回っていた。
全然タイプの違う俺たちだったけど、幼馴染ってやつは不思議なもんで、一緒にいて一番気楽なのは文也だった。
全ての始まりは中学最後の夏休み。
塾の帰りに文也が倒れた。
その時俺は一緒にいて、買ってもらったばかりのスマホで母ちゃんに電話して、母ちゃんに言われるまま救急車を呼んだ。
文也が死んだらどうしよう。
訳もわからず初めて不安で眠れない夜を過ごし、初めて朝飯を残した。
翌日文也が運ばれた病院に向かって、そこで見たのは面会謝絶の文字だった。
───
「文也!見ろこれ、88点!すげーよお前、高校行けるって!」
夏休みが明けて涼しくなっても、文也は退院できなかった。俺は時間が許す限り病室に通った。
「へへ、葉介のおかげだよ。」
先生たちの協力で特別に課題を出してもらったり、テストを病室で受けられるようにしてもらっていた文也は、高校生になるのを目標に毎日頑張って治療や検査に耐えながら勉強していた。俺は文也から課題を預かって先生に提出し、先生が添削した課題を文也に届けた。
いつしか俺たちは同じ高校に行くのだと思うようになった。
学ランがいいとかブレザーがいいとか、いやいや私服の高校も、なんて話をする。
病気のせいでいつも真っ白い顔をしていた文也だけど、その時はとてもキラキラしていて、前向きだった。
文也は10月に入ってやっと退院できたけど、それはほんの一瞬のことだった。
───
「え…嘘だろ?」
だんだんと寒くなってそろそろコートが必要になった頃、文也の病気のことをやっと教えてもらった。バカな俺にはちっとも聞き覚えのない病気だった。
文也の母ちゃんは泣きながら俺に言った。
文也は高校には行けないから、葉介君は葉介君の行きたい高校に行って、と。
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ。
だって文也は元気だ。ちょっと顔色は悪いけど、普通に喋るし、歩いて売店まで行って俺と一緒にアイス食ったりしてる。勉強だってしてる。ガキの頃から大好きな絵だって描いてる。
文也は俺と同じ高校に行くんだ。
そんな俺の願いも虚しく、文也はまた入院して、クリスマスを病院で過ごした。そのまま入試を受けることもできず、卒業式すらも病室で担任から卒業証書を受け取るだけの簡素で寂しいものになってしまった。
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