腕相撲

1/1
76人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ

腕相撲

 骨折もだいぶ良くなり、ほぼ完治している。この夏、一度しかない夏。 私は、あくまでさりげなく先生を夏祭りに誘うことにしてみる。 「先生、夏祭りに行かない?」 「生徒指導の一環で行くことはあるかもしれないが、人ごみは疲れるしな」 「まだ、若いのにもったいないなぁ。わたがしも食べたいし、花火も見たいし、一緒に行こうよ。私ゆかたを買ったんだ」 「だいたい、二人で行くなんて、知り合いに会ったらどう説明するんだ」 「じゃあさ、女子サッカー部の友達も誘うから、顧問として付き合ってよ」 「みんながいるなら、まぁ顧問としてならば……」  渋々先生は了承してくれた。これで、夏休みの楽しみがひとつ増えた。  それにしても、私ったらこんなに必死なのはなぜなの?  一般的な恋人たちの見えない壁がないことが、うらやましい。  成人しているという大人であるという事実が、うらやましい。  先生は私のことなんて何とも思っていないだろうけれど――私は違う。  最近自覚している。この気持ち。先生を好きだという気持ち。  生徒と先生じゃなければ……堂々と歩けたのに。  一緒に歩くことも人目を気にしなければいけないなんて……苦しい……。  もっと一緒にいたいけれど、近いのに遠い―――。  先生との距離は、せつない―――。  二人には大きな壁があり――  どんなに好きだとしても近くにいても、気持ちを伝えることもできないでいた。先生の立場、私の立場。好きだけでは――動けないことがたくさんある。  もしも、両思いになったとしても、デートを堂々とすることはできないし 先生は、未成年に手を出すことはできない。今、同居していることだって、人目を気にした生活をしている。  付き合ってはいないけれど……でも、好きという気持ちはあって……もどかしい距離が、存在する。会いに行ける距離にいて、ただ、話すだけ。それだけでハッピーになれる。  そこらへんの高校生よりもずっと不自由な恋愛かもしれない。  思い切って切り出してみた。手をつないでみたい。そのための提案だ。 「先生、腕相撲でもしてみない?」 「え? なんで? 急に?」  私の申し出に、先生はちょっと驚いた顔して……。  先生は古風な今時珍しい日本男児という感じだ。  好きなんて言葉は、まだ全然言えないけれど……  先生の不器用でぶっきらぼうなところ――そこが好きだな。  先生の手を握る。先生は私の手を握り返す。  この短時間がずっと続けばいい。それは、幸せという穏やかな時間だから。  腕相撲という名目の手をつなぐ作戦。  私はその日、先生とつないだ手を洗えないでいた。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!