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こいつはあほか…?悪いが俺は、本気でそう思った。
いくら患者とはいえ…老い先短いじーさんのために、病室で「天城越え」を歌うつもりなのか?こいつは?
きなこは、俺にしてみりゃ理解不能で、まるで別世界の人間みたいだ。
こいつの感覚は何がずれてる。
俺は、返事に困って、半ば呆然としたまま、きょとんとするきなこを見つめていた。
不思議そうに首をかしげたきなこが、ぱちぱちと長い睫毛を揺らして瞬きしている。
「てっちゃーん?おーい?てっちゃーん?また瞳孔開いちゃったよ~?生きてる~?」
生きてはいる…だが、ある意味このまま天昇したい気分だ。
「あのな…きなこ…そりゃな、まかりなりにも俺は、一応ボーカリストだしな…
大抵の曲なら歌えんだけどさ…無理…演歌は無理!」
「えー…」
「だから!えー…じゃねー!こっちの方がえーだわ!」
大体、演歌とロックは全くジャンル違いってもんだ。
発声の基礎は同じかもしんないけど、歌い方が違うって訳。
俺、こぶしとか回せねーし!!
「はぁ…」
俺は、げんなりしてため息を吐いた。それから、まじまじときなこの顔を見て、もう一回ため息を吐く。
「いくら俺でもな~…教えてやれることと、やれないことがあるっつーの。
とりあえず、演歌は無理」
「えー…」
「だからえー…じゃねー!」
「だったらさ」
「なんだよ」
「あれ歌ってよ!」
「なに?」
「MaindHurt…!」
「は?」
きなこの答えを聞いて、俺の目はまたしても点になった。
何故かって言ったら。
『MaindHurt』は、俺が作った曲で、うちのバンドのオリジナル曲だからだ。
インディーズでCDは出してるけど、カラオケなんぞに入ってる訳がない。
ほんとにズレたことばっかり言うやつだなって…俺は、今更ながらそう思う。
だけど、『MaindHurt』を歌って欲しいって言うきなこの目は、やけに無邪気で、やけに嬉しそうだった。
まっすぐに俺を見つめるきなこ。
まさに羨望の眼差し的なにかだ…
俺は、自分の銀髪に片手を突っ込んで、もう一度ため息をつく。
それから、あえてカラオケのエコーレベルを低くして、テーブルの上のマイクをとった。
「アカペラですが…いいんですか?」
あえて、きなこにそう聞く俺。
きなこは、その大きな目をキラキラさせて、思い切りうなずいた。
「うん!」
そんなきなこの様子に、まんざらでもない俺は、大きく息を吸い込んで、いつものライブのように歌い出した。
きなことの奇妙な夜は、そんなこんなで、更けていった…
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