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「三俣、さん……?」
大きな瞳を瞠り、瞬きを繰り返すゆかりに、三俣は弱々しい笑みを返した。
「ゆかり様……無事でよかった……お慕いしております、ずっと、ずっと」
傷は深い。変化を保てなくなり、三俣から猫の姿へと戻る。ゆかりは悲鳴に似た叫び声を上げた。
「貴方は、嗚呼、タマ! どうして三俣さんがタマに……」
「どうしてもこうしてもあるか。其奴は貴様を想うが故に、化生に身を落としたのだ」
「そんな……」
「一度は憎んだ相手だろうに。全く、愚かなものよ。だから貴様は半端者なのだ」
変わらず尊大な物言いのゴローだが、言の端には同胞への仄かな憐憫が滲んでいた。猫は微かな声で鳴くと、静かに息を引き取った。
「さて、これで猫の呪いは消え失せた。娘よ、全て忘れて眠るがよい」
魔王の金の瞳に射竦められたゆかりは深い眠りに誘われた。意識を手放しながら、彼女は大事なものを失った喪失を味わっていた。
× × ×
迫る鋒を、届く寸前で躱す。
「危っぶねえ……」
徹平は右目を覆う眼帯を外れぬよう、手で押さえた。一度躱されたとて、男の猛攻は止まない。器用に長刀を振り回す様は、鋭利な暴風だ。
「ホラホラ、ちょこまかと逃げてんじゃねーよ! 八咫烏最強を謳った“異能”の名が泣くぜ?」
「好きで呼ばれたワケじゃねーっつーの!」
徹平は舌打ちした。厄介極まりない。目の前の男は過去の徹平の幻影を重ねている。徹平にとって忌まわしき過去を掘り起こされるのはたまったものではない。
刃の嵐を凌ぎきるにも限度がある。躱した鋒が眼帯の紐に引っ掛かった。しまった、と思った時にはもう遅い。はらり、と眼帯が床に落ちる。
「ああ――外したな?」
徹平は右目を覆っていた前髪を掻き分けた。現れたのは、煌々と輝く金の瞳。ゴローと同じ――即ち魔王の右目。
幼少期、稲生徹平は実の父に小槌で右目を殴られたことがある。その際、小槌に宿っていた魔王山本五郎左衛門の力が徹平の右目に流れ込んだのだ。結果人ならざるモノが視え、人ならざる力を得た彼は、畏怖を込めて周囲から“異能”と呼ばれ恐れられた。その力を買われ、特務陰陽寮〈八咫烏〉に引き入れられたのは昔の話だ。
「どうなってもしらねーぞ……!」
防戦一方だった徹平の動きが変化した。鞘から白刃を抜き放つと大牙に向けて斬りつける。ひらりと軽い身のこなしで躱されたものの、一瞬でも反応が遅れていれば文字通り命取りとなっていた。徹平が振るった一刃は急所を的確に狙っていた。
「ははっ、そう来なくっちゃなぁ!」
歓喜の声を上げる大牙だったが、徐々に押され始める。徹平は果敢に攻め、大牙は防御に回る。まさに形勢逆転。しかし彼は焦るどころかますます過熱していた。
「二度とない、二度とない、二度とない! さぁ楽しもうぜイノー! 新旧八咫烏対決、どっちが真の強者か決めようじゃないか!」
「五月蝿い烏だ、今に鳴けなくしてやるよ」
過熱する大牙とは対照的に、徹平は冷ややかに言い放つ。小槌の目は魔王の力そのもの。莫大な力を持つが故に制御が難しい。故に徹平は普段は眼帯で封じていた。その枷も今は外れた。誰も彼を止める者はいない。
「もうよい、止まれ」
――そう、魔王以外は。ゴローの双眸に射竦められ、徹平は動きを止めた。徹平だけではない。大牙も彫像のように動かない。魔王の一喝で時が静止したのだ。
「わしの力をこんなところで使い果たされては困る。その目を持つ限り、貴様はわしの奴隷だ、ゆめゆめ忘れるな」
ゴローが徹平と大牙の額を小突くと、二人はその場に頽れた。ゴローは徹平を担ぎ上げるとその場を後にした。
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