二章

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二章

 陽は既に落ちてかけて、空は夕闇に差し掛かっていた。  灰色の蛇は、必死に森の中で逃げ回っていた。 「どうしてあいつは……俺を追ってくるんだ……!」 「色のない蛇――姑息な奴にはふさわしいな……」  若い少年は、ノイズのような耳障りする声で森を響き渡らせた。  一種の超音波だ。 「お前、こんなことしていいと思っているのか!」  灰色の蛇は木々を掻い潜って、できるだけ遠く、遠くへと走っていく。  だが、一向に〝敵〟は追う気配だけを残し、灰色の蛇を追い詰めていく。  灰色の蛇は焦りだけを見せて、逃げることだけに専念していた。 「あんたは所詮、言葉で攻めるだけ攻めて、逃げることしかできない臆病者だ」 「一体、何の根拠でいっているんだ!」 「根拠? そんなもの必要ないよ」  相手は突然と姿を曝け出した。  灰色の蛇――教師は驚いた。 「どうして……お前が……」 「ここにいるって、言いたいんだろ?」  若い少年は、口元に笑みを浮かべせて姿を変えた。 「そうだ! やはり、お前も幻影だったのか!」 「馬鹿丸出しだな」 「うるさい! そんな口を聞いていいと思っているのか! 私は教師だぞ! お前のような乳臭いガキが俺に歯向かっていいのか!」  そう言い捨てた教師は、少年の真逆の方向へと後退りした。 「騒々しいんだよ」  少年は舌打ちをして、歩くスピードを速めた。  そして一気に近づいた。  手を伸ばすと、触れる距離に。 「近づくな!」 「もう遅いよ」  少年は赤いコウモリにかどった姿に化けて、長く伸びた細い指を向けた。  細い指はしっかりと教師の頭を掴む。 「やめてくれ――」  教師の声は赤いコウモリには届かず、そのまま握り潰した。  そして、教師は崖から転落した。 「さようなら」  赤いコウモリは森の奥へと消え去っていった。 「今日は雪子は来ていないのか……」  健人の独り言がむなしく部屋に響き渡る。  普通に考えると、雪子が毎日探偵部に遊びに来るほうが異様なのだ。本来のんびり居座れるのも考慮してこの探偵部を立ち上げたのだ。  けれど。  健人は一人でコーヒーブレイク真っ最中だ。  端から見ると、さぞかし幸せな部活に見えるだろうが、別に他人の目を気にしているわけではないし、依頼はゼロに近しいが探偵部を続けるつもりだ。  だから俺は気にしない。  もちろん、ただくつろぐために居座っているだけではない。  五日前の記録を資料にまとめて、現在、幻影に纏わる事件を捜索している途中だ。 「それにしても……未だに実感がない」  健人は両手を広げて、ぼんやりと見た。 「死んだ人間が幻影になる……か」  夢の内容が、脳裏に浮かぶ。  夢を見るたびに現れる異形は、きっと俺が生きていたときの実体験をもとに作られた夢なのだろう――つまり俺はあの幻影に殺された夢をずっと見ていたのだ。  健人は複雑な気持ちが混じり、前髪をいじる。 「疲れたな」  健人はコーヒーカップを机の上に置き、背に力を寄せて椅子の背にもたれかかった。 「健人さん!」  扉を開けて、雪子が額に汗を浮かべながら現れた。  てっきり今日は来ないのかと思っていたが、いらっしゃったようだ。  というより、どうして俺は雪子を気にしているのだ。  そちらのほうが、疑問に思ってしまっていた。 「見てください!」  雪子は一枚の写真を健人に見せた。  健人は顔だけ、写真の方に向けた。  とてもじゃないが、女子高校生が持ってくるような代物じゃない。  さすがに死体の写真となると、刺激が強い。  だが、どうやって写真を持ってきたんだと思考を巡らせたけど、そんなことはどうでも良かった。写真には崖の上から転落したと思われる教師の死体が映っていた。 「これは……あのときの」 「そうです。あのときの教師ですよ。これを見たときはびっくりして目をつぶってしまいました」 「そ……そうか」 「どうしたんです?」 「いや、その割には平気だな」 「平気じゃありませんよ。まるで私がこういうの好きみたいな言い方ですね。確かに推理小説とか好きですけど――これはまた別です!」 「わかったわかった」 「わかればいいんです」  雪子は腰に両手を当て、何故か体を後ろへそらしていた。 「話を戻していいか?」 「はいどうぞ」 「気になるところがある」  健人は椅子から立ち上がり、写真に映る死体に指をさした。 「どうして遺体があるんだ? 幻影は力を失うと実態も消える。少なくても江戸川理央は力を失うと実体を失ったんだ」 「確かにそうですね……だとすると――」  雪子は顎に指を当てる。 「遺体が消えないトリックを使って、幻影の存在を欺く(あざむ)」 「あるいはあの教師の幻影は偽物。つまり未完成の幻影だったのかもしれない」 「つまり力を出し切れないために、遺体として残っていたと」 「ああ。それに欺くっていっても、ここの生徒たちは幻影の存在を知っている」 「意味が無いってことですか?」 「そう考えるのが妥当だろ」  健人は写真を胸ポケットに入れて、左右に腰を曲げて腕を伸ばした。 「まあ……これだけじゃわからないのは確かだ。俺は情報収集に行く。雪子、帰るときはちゃんと閉めてくれよ」 「えっと」  雪子はぽけっとした顔で立ち尽くす。 「戸締りよろしく」  健人は雪子に鍵を渡して洋服がけから制服の上着を取り、羽織るように着た。 「どこに行くんですか?」 「そうだな――田」  身なりを整えた健人は途中で言葉を止めて、 「て、雪子も来るのか?」 「もちろんです」  雪子は平然と当たり前のように言った。 「いや、やっぱり」 「来るなって言うんでしょ?」  雪子が言う。 「そうだ。わかってるんじゃないか」  健人は振り向きもせずにこたえた。 「でも行きます」 「自分でもわかっていると思うが、雪子が関わる事件じゃない。危険だ」 「わかっています」 「なら来るな」  雪子は自分でもわからず強情になって見せた。 「そこまで関わる理由がわからん。家でおとなしくしていてくれ!」  健人は少し強めに言った。  そこまで言われても、雪子は首を横に振るった。 「私は今からあなたの助手になります!」  雪子は宣言した。  対し、健人は少し驚きと優々たる表情が混じった顔を雪子に見られてしまい、内心焦っていた。  心の中で喜びの感情が、騒いでいたのだ。  だが、軽い二つ返事でこたえる責任も俺にはない。彼女にだって学校生活の人生というものがあるんだ。例え彼女の意思でも俺は守れる自信が無い。  それに雪子の人生の時間は他に回したほうがいいのではないか? 割れながら余計なお世話な気もするが、普段だらけている死人に付き合ってやる時間ははっきりいって非効率だ。 「でも、悪いがお断りだ」 「どうしてですか? 先ほど少し喜んでいたんじゃないんですか?」  やはり見てたのか。  雪子の観察力が侮れないな。  健人は素直にそう思っていたが、今は他に問題がある。 「それは忘れてくれ」 「やっぱり喜んでたんしゃないですか」 「でも駄目だ。雪子、お前には他にやるべきものがある」 「わたしの時間が無駄って言いたいんですか? 健人さんに構っている暇があったら勉強でも部活でもやれ。健人さんはそうおっしゃりたいんですか?」  さすが雪子。  才色兼備な女性である。  俺の気持ちを読み取るように、雪子は次々と言ったのだ。それが才色兼備に関係あるかどうかまでは知らない。 「そうだ。理解の早い子は好きだぞ?」 「す、すすす好き? 照れてしまいそうです」  雪子はリンゴのように赤くなる頬を両手で抑えた。 「誤魔化さないでください!」  赤くなった頬は収まり、眉を吊り上げた雪子の顔が、健人の目にはビックに映った。  色々と忙しい女性だ。  素直にそう思ってしまっていた健人。 「雪子、部活は何やっているんだ?」 「バトミントン部です」 「だったらバトミントン部に専念することだ」 「……嫌です」  今度は深刻な顔つきで、雪子は言った。 「あの部活には行きたくないです……」 「バトミントンは嫌いなのか?」 「違います」 「だったらどうして――」 「どうしてもです!」  雪子は悲鳴に近い声で叫んだ。  感情が高ぶっていた雪子を見たのは初めてかもしれない。  健人は驚いてたじろいでしまう。 「悪かった」  健人は雪子の視線に合わせずに謝る。 「でも、駄目だ」 「どうしても駄目なんですね……」  雪子は目に涙を浮かべながら、探偵部から出て行った。 「あ~~あ。俺は見ちまった」  扉の端に寄り掛かるアロハシャツの男が、目の前にいた。  その男は一真だった。 「いけないな。女の子を泣かせるなんて……半人前の探偵君」 「何故、ここにいるんだ?」 「そう怖い顔するなよ……」  一真は言った。 「雪子にちゃんと言ったのか? 自分が死んでいたことをさ」 「いいや……まだ伝えてない」  健人は一真から視線を外した。 「場所変えるか」 「えっ?」 「俺に聞きたいことあるんだろ?」 「ああ」 「なら、どこか話しやすい場所にでも行きますか」  一真の提案に乗り、健人は後を追う。  天河学園高校付近、歩いて五分にあたる「グレープフルーツ」という名の喫茶店に辿り着いた。アンティーク調の渋い装飾が特徴で、酸味の強いブルーマウンテンが美味しいと評判の店だ。外見も店内もこじんまりとしているが、看板は大きいのですぐにわかる。  店内の静けさと相まって、眠気が誘ってくる。放送もない無音の空気が個人的にはお気に入りだったが、裏目に出てしまう。 「どうした? 眠そうだな」 「ああ――」  健人は欠伸を噛みしめていたが、我慢できずに大きく欠伸を曝け出した。メニューを見て、店員を呼んだ。 「ブルーマウンテンをお願いします」 「俺はレモンティーで」 「かしこまりました」  二人の注文に、マスターは承る。  周りの客を一瞥して、店内の席が埋まっていく様を見たマスターは、いそいそと引き下がって厨房へと引き下がっていた。 「へぇ~~コーヒーか」  一真は関心ありげに、健人に視線を向けた。 「そんなことどうでもいいだろ? それより聞きたいことある」  一真の態度に苛ついたが、マスターは「お待たせしました」とコーヒーとレモンティーを持ってきた。  早い到着と紳士なマスターの姿を見て、健人は自分自身の態度を改めて心の苛つきをおさめた。そして何よりコーヒーの香りによって健人を冷静にさせる。 「お前は幻影か?」  健人は言った。  その解答して、一真は小さく笑った。 「何が可笑しい」 「いやいや。いきなりだなと思って――」  一真はレモンティーの香りを楽しみ、ゆっくりと口に運ぶ。 「俺がもし、幻影だったらどうする?」 「そうだな……様子見だ」 「意外だな」  一真はつまらないそうにストローでレモンティーをかき混ぜた。 「何が?」 「てっきりここで始末されるのかと思っていた」 「いくら何でもここじゃ目立って仕方ないだろ。それでどうなんだ? 幻影なのか?」 「まあ、隠しても仕方ないよな」  そう言って、一真は無言で軽やかに頷いた。 「ずいぶんと詳しいからな。さすがにわかるさ……というより隠す気はないだろ?」 「まあな」 「何があったんだ?」 「なにから話しようか……マスター、もう一杯」  一真は常連のような雰囲気でマスターを呼んで、レモンティーをおかわりした。 「俺は十年前……いや、もっと前の話になるか。まだ小学生だった俺は学校から帰宅して友人の家に遊びに足を運んだ。玄関を開けると友人の家族は玄関前で倒れていて、詳しいことは言えないが顔や体はぐちゃぐちゃ……無残に殺されていたさ。流石にあの時の俺は恐ろしく感じてビビっちまった。でも、気になって仕方なかった。もう一つの〝好奇心〟という感情が現れてな。その後、好奇心に駆られた俺は様子見るために二階の階段をのぼると、そこには――」  一真は一旦、口直しにレモンティーを一口飲んだ。 「奴がいた。誰だと思う?」 「友人か?」  聞く必要ないだろう、健人はじっれたい気分で言った。  苛立ちを隠して、スプーンで砂糖が入ってないコーヒーを必死にかき混ぜていた。 「そうだ。まあ後は俺は自我を持たない友人に殺されてこの通りだ」  一真は軽いノリで説明した。 「つまり、お前は復讐するために幻影を捜しているのか?」 「う~~ん、違うなあ。俺は友人を殺したいと思っている」 「殺したい? それは物騒な話だ」 「成仏させたいのさ。俺らは死んだ人間――幻影かもしれないが自我は確かにある。でもあいつは違う。確かに人格はある。でも、あれは俺の知っているあいつの人格とは違う、また別の人格だ」 「つまり、失敗した幻影ということか?」 「そもそも俺たちが進化した人類なのかどうかさえ怪しいけどな。でもあいつは肉体はそのままに別の人格があいつの肉体に付加して生まれ変わったのかもしれないと、俺は考えている」  一真は残りのレモンティーを飲み干して、上下に肩を回した。 「まあ俺もできる範囲で捜索するさ。その友人の名前は?」  健人はズボンのポケットからメモ帳を取り出して、ボールペンを用意した。 「倉元新一」  俺はその名を紙に連ねていく。 「それよりも忘れてないか?」 「ああ、そうだった。田島英太郎の両親に会いに行かないとな――」  健人はスマートフォンを取り出して時刻を確認したが躊躇した。ふっと雪子の顔が頭に浮かんでいた。 「雪子のこと、ほっとおいていいのか?」 「ただ事件に巻き込みたくないだけだ」 「まあな。でも彼女、部活で嫌われているらしいぜ」  一真は淡々と言った。 「だから、お前と雪子の関係はよくわからないけどさ……友達と思うくらいの気持ちがあるなら助けたほうがいいんじゃないか?」  一真は椅子に背を預けて、そう言った。  一真の言葉に、健人は頭の中から離れられなかった。  四月二十二日。  健人は田島英太郎の両親に会い、同時に倉元新一の情報を探していた。  だが、特に進展は無かった。 「しかし雪子の奴――」  健人は天河学園高校の二階の廊下を歩きながら、頭の中に雪子の姿だけがぼんやりと現れていた。勝手ながら毎日雪子が探偵部に来ることを楽しみにしていたのかもしれない。  それに前に一真に言われたことが、自分の心に響いていた。  やはり、雪子のことが気になって仕方なかった。  その時、丁度雪子と廊下ですれ違った。 「あっ……健人さん」  雪子はにっこりと笑いながら、先にこちらに話かけた。  笑顔向けていたがそれはすぐに作り物の笑顔だと健人が見てもわかる。雪子はずぶ濡れになった制服のまま、疲れ切った目をしていた。 「おい……濡れているじゃないか」  健人は雪子の濡れた姿を見て、慌てて視線を変えた。視線を変えないと雪子の制服から透ける下着が目に映ってしまうからだ。 「えっと……」  雪子は自分の状況に気づいたのか、体を反射的に両腕で隠した。 「このままじゃ恥ずかしいですね」 「すまない……」  謝罪する健人は、慌てて隣の窓に視線を移す。  今日の天気は晴れであり、空を見ても青空だけが広がっている。  どうしてここまで濡れているのか、健人には理解できなかったが、一つだけ気がかりな点がある。雪子の人差し指には不器用に包帯が巻かれていた。  突き指でもしたのだろうか。  最初は少しの間目を見張ったが気を取り戻し、視線をそのままに雪子に近づいて自分の制服の上着を雪子の制服の上に被せる。  一瞬だけ、雪子の肩が震え上がった。 「ありがどうございます」  雪子は驚いたものの、くすぐったい顔つきになってお礼を述べた。 「その指、大丈夫か?」 「倉庫の整理をしていたときに、指が挟まって……大丈夫ですよ」 「そうか……」  健人は言った。 「…………」 「…………」  少しだけ間が空き、健人は何か言わなければならない衝動に駆られた。 「部活はどうした?」 「そうですね……」  雪子はたどたどしく口を開く。 「やっぱり私にはバトミントン部は無理のようです」  雪子は寂しそうに言った。 「隣のクラスの女の子にトイレまで呼び出されて、私は言う通りに行きました。そして三人の女子に囲まれてバケツで水を被せられました。見事なまでに古典的なやり方ですね」  冗談交じりに説明した雪子だったが、健人は笑いはしなかった。  雪子がバトミントン部で何をしたのかはわからない。けれど世の中が世の中だ。子供でも大人でも、ましてそれぞれの所属に至っても自尊心を損なわせ弱体化を目的とした悪意のある行為は消えないだろう。  世の中では〝いじめ〟というらしいが、そういった類のものは消える気配は無い。もう昔の話かもしれないが、俺も英太郎のグループに嫌がらせを受けた。嫌がらせがいじめという対象になるかどうかは知らないが、少なくても俺は気分は最悪だった。  残念ながら、俺もいじめに対する解決が思い当たらなかった。 「部活、辞めるのか?」 「ええ。行っても嫌がれるでしょうし……」 「そうか」 「あの、健人さん」 「なんだ?」  雪子が次に言う言葉が、何となく察しがついた。 「私も探偵部に入部させてください!」  雪子は緊張した声で言った。  健人のこたえは既に決まっていた。 「ああ。よろしく」  あっさりと言われて、雪子は目をきょとんとさせた。 「いいのですか? この間は駄目だ、て言い張っていたのに」 「それは、悪かった」  健人はバツが悪そうに、前髪をいじった。 「良かったです!」  雪子は息を弾ませて言った。 「ただ、危険なのは確かだ。あの幻影がいつ現れるかわからない」 「わかってます。でも、危険なのは健人さんも一緒です」 「俺はいいんだ」 「よくありません! 格好つけたって駄目なんです!」 「あまり大声で言わないでくれ」 「す、すいません……」  雪子はきょろきょろと辺りを見渡して、羞恥心を露わにして押し黙った。 「それに――俺はもう――」 「もう?」  雪子は首を傾げた。 「いや、取り合えず一旦解散だ。後で朝日公園で待ち合わせだ」 「わかりました。私は真っ直ぐ公園に向かいますね」 「待った」 「なんでしょう?」 「まさか、その恰好で行くんじゃないだろうな?」 「はい。何か問題でもありますか?」 「着替えてくれ。風邪ひくぞ」 「あっ」  雪子は自分の姿を見て、顔を真っ赤にしておどおどする。髪も乱れていてべとべとと湿った感触が残る。制服も肌にへばりついて、上も下も皺だらけになって身だしなみが崩れていた。 「俺の上着は公園についたときに返してもらえればいい」 「はい。ではそうしますね。ハハハ……」  雪子は笑って誤魔化した。  同時刻。  廃工場付近で赤いコウモリは姿を現しては人の姿に戻り、地面のコンクリートを歩く。所々に 土がむき出しになり、ひびからは草が生い茂ていた。中央にはくたびれた機械の姿が置かれていたが、錆びついていてどのような工場だったのかは不明だ。  このような場所は、隠れるには最適な場所に違いない。  少年は錆びついたオイルタンクの上にのぼって、背伸びを始めた。 「次は何しようかな~~と」  背伸びを終えると、オイルタンクの上に腰を下ろした。 「ねえ。隠れてないで出て来なよ」  少年の呼び声に、床から黒い人の影が現れた。 「よくお気づきになった」  ベレー帽を被るアシンメトリーのロングコートを身に纏った青年が、優々とした立ち振る舞いで現れた。狡猾でこの世の人間とは思えない雰囲気を醸し出しているが、少なくても彼は人間の姿をしていた。  端から見ると、顔は細く整った顔立ちをしている。やや優男なイメージに近い。  青年は口元に笑みを浮かべて、少年を見た。 「隠れる気無かったでしょ?」 「ああ。さすがにわかるか。倉元新一」 「ところで何の用?」  少年――倉元新一と呼ばれた男は言った。 「何故幻影を始末したのか、気になってね」 「生きた人間が進化するのはずるいと思ってさ」  新一はオイルタンクから飛び跳ねるようにジャンプして、青年に近づいた。 「君は死んだ人間じゃなければ進化してはいけないと……そんな考えをもっていたのかね?」 「それだけじゃない……邪魔だったからさ。あのおっさんが目立ったせいで天河学園高校の生徒に幻影の存在を悟られてしまったよ。それに」  新一は足元にある石ころを蹴り、コンクリートの壁に当てた。 「人間が死を迎えた先にあるのが知的生命への覚醒……それが幻影の本来あるべき姿だ。人為的に作り出された幻影なんて自覚もないから邪魔だよ」 「君の姉……倉元理央さんかな?」 「江戸川理央だよ。姉は昔から推理小説が好きだからね。それに倉元という苗字が気にいらなかったんだ。よく犯人役の苗字として出てくるからね」 「実にユニークなお姉さんだね」  青年は言ったが、興味がない雰囲気を醸し出していた。 「ごめん。つまらない話だったね」 「いや、ネットで流れる偽善的なコメントよりは面白い」 「偽善は嫌いなのかい?」 「嫌いという程じゃない。けれど私は得しない」 「ふ~~ん」  今度は、新一が興味なさそうに、靴の先で床につついてた。 「それで、僕のお姉さんがどうしたんだい?」 「ああ。その君のお姉さんの目的がまさに、天河学園高校の生徒に幻影の存在を知らしめたかったらしいんだ」 「姉さんが?」  つつくのをやめた新一は、青年をじっと見据えた。 「幻影の可能性を捜していたのだろ。幻影には様々な覚醒パターンがあるからね。一度死を迎えた後、事故などの死亡後の覚醒、その素質、因子を持つもの、あるいは人為的に作り出さられる幻影」 「僕は死を乗り越えた幻影じゃないと認めない」 「君は〝鏡〟を見たことあるかい?」 「無いよ。見たとしても姿が映し出されるだけだ」 「鏡には本来の自分が映し出されることがある。そう、人間で言うと裏の顔。ただ、私は聞きたいことがある。君の精神と肉体は、本当に君のものなのか?」 「何が言いたいんだ?」 「興味があるから聞いただけだ。気にしないでくれ。それよりも君のお姉さんのおかげで面白い幻影を見た」  青年はコートから一枚の写真を新一に見せた。 「誰だそいつ? それに隣の男……」  写真に写っていた人物は、天河学園高校の制服を着た健人と隣にいたアロハシャツを着用する一真が映し出されていた。 「やはり心は別に生まれたものだね。君は」 「馬鹿にしているのかい?」 「いやいや。むしろ興味の対象だよ。妙に違和感があってね、君の態度」 「まあいいよ。その男がどうしたんだい?」 「幻影だ」 「ふ~~ん。僕と仲良しこよししろと?」 「よく聞いてくれ。この男は一度幻影に殺され、死人となった。しかし今は幻影として生まれ変わったのだ」 「僕と変わらないね」 「特別なペンダントと、手鏡を持っていると言っても……君と変わらないと、言えるかね?」 「ペンダント? 手鏡? 確か僕が聞くには脳に及ぶ神経系の増殖、筋肉の強化、驚異的な力を増幅させるツールと聞いた。古代の王から力を受け継ぐペンダントがあるって聞いたことがある。確かペンダントの力を承認するために手鏡が必要だって……」 「いつの時代に生まれた産物なのか私もわからない。けど、ようやく理解できたかな? そう。彼は特別な存在だ。だが、彼は脅威でもある」 「仲間に引き入れられない場合、〝敵〟になるってことだよね?」 「そう。彼もまた新たな力を得て、立ちふさがるのかもしれない……」 「でも、姉さんはあいつに――」 「早川健人だったかな?」  青年は言った。 「そう。健人に殺されたって聞いたよ?」 「もし、それが事実だったら?」 「…………」  新一は顔をしかめる。 「かたき討ちでもしたいのかい?」  青年が人定めするように言ったが、新一は床に座った。 「どうだろうね……姉さんは別にそういうの望んではいないし、僕自身かたき討ちをしたいという熱い気持ちにはなれない」 「だろうね。君はそういう人ではないと思っていたよ」 「そういう言い方、人に嫌われるタイプでしょ?」  新一はからかうように言った。 「よくご存知で」  余裕な口調で青年は言い返した。 「おや、もう一人ゲストを呼んでいらしたか」 「ゲスト? またお客?」  二人は廃工場の出入り口の方向を見た。  人影が薄っすらと現れて身長の高い男が錆びついた扉を足で蹴り払った。その人物は木竜一真だった。 「デート中悪いが、邪魔させてもらうぜ」  一真は歩みを進めて、二人の前に立ちふさがる。 「やあ、一真くん。丁度君に用があった」  青年は言い、 「男同士でデートなんてしないよ」  新一は一真を見て苦虫を嚙み潰したような顔で言った。  同時に、一真の顔を見て身の覚えのない苛立ちを覚えた。 「今、俺が用あるのは新一、お前だ」  一真は右手に持つペンダントを握りしめ、まばゆい光が放たれた。  金色のクリスタルに包まれ、一真は内側から破壊する。一真の体は黄金を纏って、鎧が装着される。  黄金に包まれた騎士は黒いマントを翻した。 「親友の体を返してもらう」  幻影となった一真――黄金の騎士は臨戦態勢をとる。  そして、新一も姿を変えて赤いコウモリとなる。 「君も古代のツールの使用者なんだね。どう? 同じ幻影同士、仲良くしない?」 「断る」 「だよね。僕もそういう気にはなれない」  黄金の騎士は鞘から剣を抜き、地面に摩擦を起こした。  そして剣を相手に目掛けて払う。  対し、赤いコウモリは無数の音波を視覚化できる形に作成して、奇怪な超音波を連続で撃ち鳴らした。  二人の音波と衝撃波が激突する。  その様子を一瞥した青年は、 「後は頑張りたまえ。私の目的は別にあるからね」  いつの間にかその場から消え失せていた。そして、廃工場の三階で高みの見物をする。 「これは面白いことになりそうだ」  青年は二人の闘いを見定めていた。  日が暮れ、冷たい風が朝日公園に流れていた。  朝日公園は天河学園高校から五キロ離れた場所にあり、のどかではあるが、子供たちも含めて何故かあまり人が集まらない場所でもある。  遠くから、小柄の人影が映って見える。薄いピンク色に近いワンピースを翻して走ってきた。それ以外の雪子の私服は飾り気のない装いだった。 「遅れて申し訳ございません! 健人さん」  雪子は腰を九十度に落として、丁寧に謝る。 「いいさ」  健人はスマートフォンで時間を確認すると、一件の新着メールが届いていた。宛先人は木竜一真。前回、喫茶店を出る帰り際に情報提供目的にアドレスを教えてもらった。自慢ではないが、現在電話帳に残っているのは一真だけだ。 「一真からメールが来ている」 「まだメールを使っているんですね」 「悪かったな。原始人で」 「そこまで言ってません。実際、私もアプリケーションの類はあまり使っていないので……廃工場?」  気まずくなる雪子はよそよそしく、健人のスマートフォンをのぞき込む。  メールのは内容には『廃工場』という単語だけが表記されていた。恐らく歩いて十分の場所にある廃工場を示しているのだろうか? 数十年前に封鎖された訳ありの工場であり、立ち入り禁止区域のため、身を隠すにはうってつけの場所だ。  健人は溜息をこぼした。  また歩かなければいけない。単純に今日は疲れて歩きたくないのが本音だが、そうは言ってはいられない。 「雪子、すまないがまた走るぞ?」 「廃工場に行くんですか?」 「ああ」 「ええっと。頑張って走ります!」  雪子は健気にガッツポーズをとる。  やる気満々な雪子を目にした健人は、ふっと笑いをこぼした。 「よし、その意気だ」  健人と雪子は、朝日公園を後にした。  時刻はすでに八時は過ぎていた。  青空は色を変えて、黒く染まっていた。  赤いコウモリは地面にコウモリを模した紋章を作り出して、破られた天井より高い位置へと飛翔する。  そして耳障りな高音波を撃ち放った。  黄金の騎士は剣を代わりに防ぐ。 「一方的になってきたね」 「減らず口だな……」 「なんか思ったより、クールだね」 「それは誉め言葉か?」 「どう受け止めてもらっても構わないよ」 「そうかい」  黄金の騎士は剣を上空にかざして、火を纏わせた。  火を自在に操り、赤く燃える炎は螺旋を描いて縦横無尽に赤いコウモリの周辺を取り囲って焼き払う。  浮揚する赤いコウモリは身動きが取れず、もがくと同時に地上へと這いずり落された。 「結構痛いね……」 「今楽にしてやるよ!」 「楽? 笑わせるな!」 「黙ってろ!」  黄金の騎士は氷の結晶を剣に纏わせ、一真の目線が赤いコウモリの腹部の中心を見据える。  氷の柱を召喚し、赤いコウモリの周囲に配置した。  冷気は、赤いコウモリの体を蝕むように苦しめた。 「ウワァア……」  言葉にもならない悲鳴を上げた赤いコウモリ。  黄金の騎士は剣を構えて、直線に走る。  その瞬間、黄金の騎士は力が抜けていくように地に膝を付けて、心臓の辺りを支えてもがき苦しむ。  瞬間、青年は黄金の騎士の目の前に現れた。 「もしかして力の限界を感じたのかい? 一真」 「お前、いつまで死人の救世主を演じているつもりだ」  黄金の鎧は解かれ、一真は苦しむまま目の前の青年を睨んだ。 「怖い顔をするな。それに私は救世主ではない。それに死人の後なんてどうでもいいことだ。その先、更なる人間の進化、可能性を見てみたんだ。でも死人があの後どうなるか興味はあるからどうでもいいってことは撤回だ」 「体が動かない……」  一真はその場で起き上がれないことを気に、氷の柱から呪縛を解き放たれた赤いコウモリが静かに立ち上がった。 「元気そうだね?」  青年は赤いコウモリに振り向いた。 「嫌味かい?」 「違うさ」 「そう」  素っ気ない態度を示した赤いコウモリは細い指先を伸ばした。殺傷力の高く人のみならず幻影を致命的に貶めるには丁度良い武器といっても過言でもなかった。  現に、一人――いや一体の幻影を殺害したからだ。例え黄金の騎士が相手だろうと今は生身の人間だ。殺害できる保証はある。 「殺してもいいよね?」 「私の許可は必要ないだろ? まあ旧友に殺されるのは少し残酷な気もするがね……」 「よく言うよ」  赤いコウモリは一真に近寄る。  途端に、背後から刃が突き刺さる。  その刃は、護身用のナイフだった。  痛みに耐える呼吸を繰り返した赤いコウモリは、その衝撃に耐えられず地面に膝を付けて後ろを振り向いた。 「まだ仲間がいたのかい……?」  赤いコウモリは廃工場の草が生い茂玄関を凝視する。  二人の姿が目視できた。  男と女だ。こちらに歩み寄る 「間に合って良かった」 「ヤバいところに出くわしたな」  その正体は健人と雪子。  健人は投げた護身用のナイフを見て、行き届いたことに安堵する。 「一真、大丈夫か?」 「ああ。しかし……なんか情けない姿を見せたな……」  一真は体を動かさないまま、口だけ開いて言った。 「気にするな。俺が引きつけている間、雪子は隙を見て一真の救出を頼む」 「はい!」  雪子は返事し、健人がペンダントを片手に突っ走る。  包まれる結晶は走る行動によって、破壊される。  鎧は健人に纏い、銀色の騎士へと変貌して赤いコウモリに向かって走り続ける。  そして、鞘から一本の剣を抜き取る。 「僕だって大変なんだけどね……」  赤いコウモリはすぐに身を起こして、体制を整える。  間髪を入れず、銀色の騎士は剣を振りかざした。  赤いコウモリは超音波を発して、銀色の騎士を怯みを与える。  銀色の騎士が身動きが取れない様を見て、赤いコウモリは超音波の行動を中断して余裕の笑みを浮かべていた。 「君は見るからに弱いね」 「黙ってろ」 「さようなら。こんな奴に姉さんが……殺されるなんて……」  赤いコウモリは感情に身を任せて細い指を銀色の騎士に振るったが、銀色の騎士は瞬間的に攻撃を受け止めていた。 「こいつ!」  赤いコウモリは追撃をいれるが、銀色の騎士が横払いして防ぐ。  今度は銀色の騎士が赤いコウモリを追い詰め、倒れるオイルタンクを目にもくれず追っていた。  廃工場の玄関を過ぎた平地。  長く放置されていたのか、どことなく湿っぽい空気が漂っている。色とりどりとした花は咲かず雑草が生い茂る何もないただの平地だ。  お互い距離を取り、左右に移動する。  赤いコウモリは視覚に映る音波攻撃を撃ち放った。  だが、銀色の騎士は剣で払いのける。 「もういいだろう。降参しろ。これ以上やったら一真が悲しむ」 「僕はあの男は知らない」 「そうか……一真には悪いが、倒させてもらう」  銀色の騎士は剣に波動を惑わせて、一気に距離を詰める。  必死に抵抗する赤いコウモリが細い指で銀色の騎士の顔に仕掛けるが、それは無意味に終わってしまった。  赤いコウモリの幻影としての力が抜けきって、同時に銀色の騎士の剣が腹部に直撃する。  幻影の力が抜けた赤いコウモリは新一の肉体へと退化して、雑草の上に倒れた。  呆気ない――  新一は自分の人生の幕綴じを感じていた。 「僕は成仏できるのかな。やりたいことまだ沢山あるのに……」 「やりたいこと……?」 「そうだよ。やりたいこと……君はないのかい?」 「あるさ。それは――」 「無いんだね。なんとなく声でわかるよ。僕の耳は正確だから……君の声は嘘ついている。まあ、死人の僕が贅沢なのかもしれないけどね」  新一は爽やかに笑う。 「死体が生きてるって……生きている人間から見たらどういう反応するのか……もう少し見たかったな」 「これ以上は話すな。その体はお前のものじゃない」 「ひどい言い方だね。確かに僕は昔の記憶もないし、一真の友人だったことさえ記憶にない。だけど、幻影として生まれ変わったときにはもう〝僕〟という個人に生まれ変わっていた。誰も僕個人としての心は見てくれないんだね」 「〝お前〟として言っているんだ」 「嘘だね」 「いい加減にしろ!」 「健人、思ったよりみんな君のこと過大評価している。でも、実際嘘つきで……弱い」 「勝手に言ってろ」 「でも、人間らしいよ」  新一は瞼を閉じた。  銀色の騎士の姿が解かれ、健人は砂のように消えていく新一を見つめた。  その時、雪子がこちらに向かって走ってきた。 「大変です! すぐに来てください!」 「一真に何かあったのか?」 「はい」 「わかった!」  おおよその検討がついた健人は、雪子と廃工場の内部へと戻った。  雄たけびが、工場内に響き渡る。  廃工場の内部で、一真は黄金の騎士と変身していたが、どうやら様子が変だった。  いつもの飄々とした一真とは打って変わって、黄金の騎士は雄たけびを上げていた。あまりにも威圧的で凶暴な態度へと変貌していた。  地面に倒れたままに黄金の騎士は電撃を空間で作り、コンクリートの床を伝って青年に向けて攻撃を仕掛ける。 「危ないな」  青年は避けて電撃を回避する。 「おい、相手は人間だぞ!」  黄金の騎士に向かって、健人は叫ぶ。  そして、青年は二人の姿を一瞥した。  健人も青年に振り向き、警戒した。 「そんな怖い顔しないでくれ」 「どう見てもお前が怪しい奴にしか見えないからな」 「初対面にそれは失礼だと、親に学ばなかったかな?」 「残念ながら親はもういない」 「これは失礼なことを聞いてしまったね」 「それよりも……一真は一体どうしたんだ?」 「彼は幻影の力に圧倒されている」 「つまり、暴走か?」 「君が止めれば問題なかろう」  青年は健人を見た。  只物ではない気がするが、今は一真を止めるのが先だ。  そう思い立った健人はもう一回、幻影になる覚悟を決めた。  正直、二回にわたる変身は億劫だった。思ったより疲労が激しく、肉体的にも精神的に影響を及ぼすからだ。 「どうすればよろしいのですか?」  健人の隣に立つ雪子は、平然と青年にきいた。 「手加減できる相手でもないからね……健人くんが幻影となって彼を止めるしかない」 「わかった。しかし……何故、お前は俺のことを……」 「今はそういう話をしている暇ではない。私もこの状況は危険だと思っているからね」 「確かにな。あんたは下がってくれ」  健人はもう一度、銀色の騎士に変身するため、包まれるクリスタルを破壊して銀の鎧を身に纏った。二度目の変身のためか、疲労がじわじわと身に染みわたる。  本当は戦う気力が損なわれているが、この状況はそれを許してくれない。  黄金の騎士は地面から這い上がるように立ち上がり、空間を作り出して灰色のゾンビを呼び出した。  どこにそんな力を隠し持っていたのか、健人は驚きを隠せなかった。  灰色のゾンビはのろりと体を起こして、三人に目掛けて襲ってくる。 「ど、どうしましょう?」 「雪子は下がってろ」 「はい!」  これ以上、近くにいると健人の足手まといになる。  雪子は後ろへとできるだけ遠くに下がって、巨大な柱に身を隠した。 「お前も下がっていろと言ったはずだ」  健人は青年に向かって警告した。 「これは失礼した」  言われた通りに青年がコートを翻し、後ろを振り向いて前に進む。 「ほう」  少しの間足を止めた青年は興味深々に黄金の騎士を一瞥しては凝視してにやりと笑い、廃工場の階段に避難する。 「少しだけ我慢してくれよ」  銀色の騎士は剣を取り、真っ先に直線上に突っ込む。  床を蹴って、剣を斜めに構える。  だが、そんな簡単にはいかなかった。  無数の灰色のゾンビは銀色の騎士にターゲットを変えて、取り囲むように行動を開始した。恐らく黄金の騎士の反射的な命令によって動きを変えたのだ。  銀色の騎士は一体、二体と薙ぎ払う。  歯ごたえがなく、まるで砂場を叩く感じに近い感覚だ。 「こいつ、やはり作り物か」  銀色の騎士は少ない力を振り絞り、三体、四体と切り倒していく。 「キリがない……」  倒しても湧いて出てくる敵。  五体目、六体目の灰色のゾンビが一気に攻めかけてくる。  背中に絡みつき、銀色の騎士は身を封じられた。 「邪魔だ……」  銀色の騎士は手や腕で振り払うが、灰色のゾンビは一向に離れる素振りは見せなかった。  こんなところで時間を食うわけにはいかない。  銀色の騎士がもがき、健人は叫ぶ。  その時、銀色の騎士は光が放たれた。  周囲を囲む灰色のゾンビは吹き飛び、銀色の胴体や背中、腕と足のパーツが開く。  全身の形状が変化し、以前とは違う力が全身を通して健人は感じていた。  銀色の騎士は本来の姿に変化した。  黄金の騎士は空間から一本の剣を抜き取り、銀色の騎士に目掛けて走る。  対し、強化された銀色の騎士は剣を構えなおし、待ち構える。  二体の騎士は交差する。  剣が交わったのかさえわからないスピード。  お互い、一瞬だけ時間が止まる。  数秒が経つ――  二体の騎士はお互い剣を地面に叩くように落とす。  だが、決着はついていた。  銀色の騎士の攻撃が決まっていた。  黄金の騎士の本体に電撃が迸り、よろめいていく。  立ち上がる灰色のゾンビも同時に動きを止めて、体が崩れ落ちていく。  まるでアクションゲームのタイム切れのように、動きが止まっている。 「健人さん! 今ですよ!」  遠くから聞こえる雪子の声に、振り向いた銀色の騎士は黄金の騎士に向かって剣を構えては大きく飛ぶ。  そして、剣を黄金の騎士の体に切り払う。  黄金の騎士の鎧はいとも簡単に傷を得て、鎧から放たれた金色の粒子が空中に舞う。  途端に、黄金の騎士は鎧を解除し、一真が地に倒れる。 「おい、生きてるか!」 「ああ……健人、生きているに決まっているだろ?」  一真は力を振り絞って、銀色の騎士の腕をつかんだ。  健人にとって、一真の真剣な表情を見たのは初めてだった。特別長い付き合いというわけではなかったが、飄々としていた一真がこんな顔するとは想像できなかった。 「すまない。こうするしかなかった……」 「いいんだ。それよりも聞いてくれ……奴には気をつけろ」  一真の視線は遠くを見つめて、視線を上げた。 「奴? 奴って……あの男か?」  健人は一真の視線を追う。追った先には先ほどの青年が笑みを浮かべて階段を降りる。 「俺はあの男に一杯食わせられたようだ……この力を貰ったが、王の力は使いこなせないようだ……」 「王の力……? お前の力じゃないのか?」 「古代に伝わる王の力らしい……詳しくは知らないがな……あの大層な力を使いこなすには無謀に等しい。ただ……親友を助けたいだけだった……そのためにあの男から力を……」 「あまり話さないほうがいい」  けれど、一真は口を止めなかった。 「あと一つだけ聞きたい」  一真は言い、 「新一――あいつはどうしたんだ?」  親友である新一の行方をたずねた。  健人はしばらく考え込み、 「悪い……俺が片づけた」  そうこたえるしかなかった。 「そうか……」 「すまない……勝手なことした」 「いいや。むしろ感謝してるさ……」  一真はそう言い残して、砂となって消え去っていく。  そして、二人は一真が消える最後まで、しかと見届けた。  青年が足音を鳴らして、二人に近づいた。 「三文芝居はいつまで続くのかな?」  青年は手のひらの上に集める黄金の粒子の集合体を眺めていた。 「人が死んだってのにそんな態度か!」 「忘れていないか? 彼はすでに死人だ。それに君もだ」 「死んだって言っても……彼はもう一度命を授かった身です」  肩を震わせて、雪子は声を絞り出した。 「まるで教徒だね」 「茶化さないでください」 「失礼」 「一体、お前は何がしたいんだ?」 「私は王に相応しい幻影を捜しているだけだ」 「王なんて必要ない」 「本当にそう思うか?」  青年はせせら笑う。 「何が可笑しい……?」 「いや、幻影になる存在として必要なことだと思ってね。誰かが導かないと幻影は滅ぶ。この世界にはより良く導く絶対者が必要だ……君には居場所があるかね?」 「居場所……」  健人は黙り込んだ。 「居場所ならあります!」  雪子は言った。 「彼がもうすでに死人だとしてもか?」  が、青年はすぐに言い返した。 「もう存じています……彼は――健人さんは健人さんです」 「けれど、健人くんを――幻影を受け入れてくれる人は何人いるだろうね」 「私が受け入れます」 「誰も個人の話でをしているわけではない!」  青年の声が荒ぶる。 「私も含め、幻影の王が必要とする時代がもうすぐ訪れる。いずれ人間たちに迫害されるだろう。その日は近い」 「そこまでして必要あるのか?」  健人には必要性が感じられなかった。  幻影の姿にならなければ、他の人間と然程変わらない。  もう一度、死に直面しなければ。 「必要あるから言っている」  青年は強く言った。 「けど……普通に人間界に生きていれば生きていけるだろ?」 「君は知らないのかい? 幻影の寿命がどれだけ持つか……」 「寿命?」 「やはり、知らないのだな……幻影は成人になると驚異的な力を持つことになる。もっとも王の素質を持っている幻影は底知れない力を手にするだろう」 「だから何だってんだ?」 「まだわからないのか? 君がもし、王の力を持つに相応しいとしたら――いや、関係ない。幻影は成人になると人間の生活は厳しい」 「あんたもそうなのか?」 「私か? 私はこの通りだ」  青年は手のひらの上で魔力の塊を作り、二人に見せた。 「そして、このような芸当もできる」  コートから手鏡を取り出して、誰もいない場所に手鏡を向ける。  青年の隣には粒子が纏い、人の形が形成していく。  その人物と言わざる存在は、健人がよく知っている人物。いや、この場にいる雪子も口に手を当てた。 「お前は……?」  健人は目を見開いた。 「久しぶりというほどではないか」  天河学園高校の制服を着用する男が目の前に現れる。  もう一人の〝俺〟が立ち尽くしていた。  
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