第1章:ナーサリーライム

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第1章:ナーサリーライム

「十一夜くん……大丈夫?」  忍が教室の自分の席に座ると、隣の席からちょっと遅れて登校してきた後藤美奈がそう声をかけてきた。 「あ……いや……そうだね。大丈夫だよ?」  すてに忍の一家がなんらかの事件に巻き込まれて両親が行方不明になったことは、クラス中に伝わっていた。ニュースでも行方不明事件として扱っていたため、十一夜なんて姓は珍しいから、ちょっとでもニュースを見ている人間なら忍の関係者だと気づくだろう。忍もその事件に合わせて一週間ほど学校を休んでいたし、心配されて当然だった。  美奈はショートカットの髪に丸い眼鏡をかけた、一見すると中学生と見間違えかねないやや幼さが残るクラスメイトだった。そんな外見をしていも、美奈は大人びた性格をしており、人の気持ちを察する事に美奈は長けていた。  だから忍が大丈夫という割にまったく大丈夫そうじゃない事くらい読み取れた。  なにも問題なければ言いよどむことはない。だが、問題が問題だけに、さすがにそこに踏み込むほど美奈は無神経じゃない。 「この一週間で、なにか変わったことはあった?」 「変わったこと……? 特にこれと言って……え?」  なにか大きな影が窓に映り、美奈が息を飲んだ瞬間に忍も窓を振り返って見た。  一瞬の出来事だった。  制服を着た男子が、なにかを呟きながら窓の外を落ちていった。 『父さんが俺を食べてる……』  忍の耳はそう呟いた彼の声をしっかりと捉えていた。 「なっ……」  すぐにドサリという重く割れやすい果物類を詰め込んだ袋を落としたような音が響いた。 「きゃあああああああああああああああっ!」  落ちた彼を見た女子生徒たちの悲鳴が教室のあちこちこらあがった。  忍はその耳障りな悲鳴に顔をしかめながら窓に飛びつき、割れんばかりの勢いで窓を開けて下を覗き込んだ。  ここは4階建ての校舎の2階。  ほとんど目の前と言っていい距離に、頭を割った学生の死体が転がっていた。忍に続いて窓から外を覗き見た生徒たちは、その惨状に口を押さえて窓際から引き下がったが、忍の心には恐れも怯えも湧かず、地面に横たわる遺体を冷静に観察していた。  おそらく屋上から飛び降りたのだろうが、頭から落ちているために血で汚れた顔の判別はつかなかった。  落下中にすれ違った一瞬だったが、ネクタイに入った色から3年生男子と判断出来たがそれ以外はわからない。  少なくとも、忍が知る範囲ではイジメがあるという話は聞いていない。  私立だがのんびりした校風ということもあり、その手のものとは無縁の状態だった。  あくまでも忍が知る範囲で……だが。  それにしても、今際の際に彼が口ずさんでいた言葉はなにか?  彼は『父さんが俺を食べてる』と笑顔を浮かべて口にしていた。  ――食べてるって……食べられていないじゃないか?  疑問が残る台詞だったが、どこかで似たようなフレーズを聞いた憶えがあった。  だが、どこで……?  顔をしかめつつ窓際から離れた忍は、クラスメイトたちが飛び降り自殺に酷く怯えている様子を見て、自分があまりにも冷静であることに気づいた。  変わってしまった?  惨殺された両親の遺体を見たから?  いや、違う……。  忍は即座にその思いを否定した。  感情の起伏がおかしくなったのはもっと前からだった。あのマンションの屋上でジャコモと相対した時。あの辺りからおかしくなっていた気がする。  忍に起きている変化について、アガレスはなにも言ってきていない。  気づいていないのか?  それとも理由がわからないから話さないのか?  あるいは敢えて話さないのか?  アガレスの性格から気づいてないということはないだろう。ということは残りの二者ということになるが……。 「十一夜くん、大丈夫?」  窓際から離れて黙り込んだ忍を見て気分を悪くしたと誤解したのか、美奈が気遣うように訊いてきた。 「ああ……なんでもないよ」  忍はそう言って押し黙るしかなかった。  警察と鑑識がやってきたのは、それからしばらく経ってからだった。  学校側は生徒たちのことも考えて今日の授業を中止し、必要があればカウンセリングを受けるように指示した。  忍はそんな教師たちの言葉を聞き流し、そっと飛鼠を遺体のそばに飛ばした。  忍が望まない限り、飛鼠は一般人の目に留まることはない。  飛鼠はフワリと飛んで現場検証する警官たちのそばに舞い降りた。 「単なる自殺ですね。屋上には争った形跡もないそうです」  若い刑事が年配の刑事にそう報告していた。 「正確に頭をかち割るように落ちたのは偶然か……」 「まぁ、最近は飛び降り方を教えるサイトまでありますからね」 「俺の若い頃は、自殺マニュアルの本が出回って大変だったが、今はネットか……」 「その手のサイト調べますか? スーサイド・ボードとかを検索すれば、彼の名前が出てくると思いますけど」 「頼む。なにか引っかかる」 「例えば……どこが?」  年配の刑事は半分砕けた遺体の頭部を指差した。 「笑ってるんだよ」 「え?」 「コイツは自殺する直前に笑っていた。しかも地面に激突する直前にだ」 「激突した衝撃で、笑っているような形に顔が歪んだ……とかは?」 「わからん。だが、なにか引っかかる」 「わかりました。調べます」 「頼む」  年配の刑事の指示に若い刑事は真面目に応対したところを見ると、少なくともこの年配の刑事の勘を彼が信じている様子が窺えた。  若い刑事に指示を出した年配の刑事がフッと目を上げた先に、偶然にも飛鼠がいた。目が合った忍は一瞬焦ったが、刑事に見えているはずがない。だがなにかを感じるのか、年配の刑事は飛鼠がいる辺りをジロジロと見ていた。  笑った死体……。  安楽死や寿命などならともかく、飛び降り自殺で確かに死体の口元に笑みが浮かんでいるのはおかしかった。  死の直前に残した謎の言葉。  そして笑った死体。  なにか不吉なことが、何者かによってまた起こされる。  忍はそれを覚悟し、飛鼠を呼び戻した。    *** 「それはナーサリーライムじゃのう」  帰宅後にアガレスに学校での出来事を相談すると、時代劇チャンネルの画面から目を離さずに、そう気の無い返事を返した。  最近のアガレスのお気に入りは『甘えん坊将軍』というシリーズで、どんな無茶な事件もジィが解決するという他力本願な将軍のドラマだった。 「ナーサリーライムって、なに?」 そんなものも知らぬのかという調子でアガレスは画面から片時も目を離さずに説明をはじめた。 「主人の国では『マザーグース』と言う方が知られているかのう。要は子ども向けの寓話的なものじゃ」 「寓話? 父さんに食べられる寓話なんてあるの?」 「そうじゃな……。 お母さんが私を殺してお父さんが私を食べている兄弟たちはテーブルの下で私の骨を拾い冷たい大理石の下に埋めた……じゃったな」  確かに2行目の文は彼が最期に残した言葉だった。 「表向きは、親の言うことをきかない子どもを戒める寓話……と言われているのぅ」 「表向き? じゃあ、裏向きもあるわけ?」 「わらべ歌には別の意味も含まれておる。それは日本の童謡にもあるじゃろ? 籠目籠目とかのう」 「ああ……」  童謡の『かごめかごめ』の歌は呪歌であるという伝承は後を絶たない。  籠目が六芒星を想像させ、鶴と亀が滑ったなどの意味不明で印象的な言葉が連なるからだ。ああしたものを、西洋では『ナーサリーライム』と呼ぶ。 「でも、あれは都市伝説だよね?」 「誰がそう決めたのじゃ? 主人よ。魔術師は言葉に別の意味と力を持たせられると、そろそろ学習して欲しいものじゃのう」  時代劇チャンネルの甘えん坊将軍の放映が終わったため、ようやくアガレスは忍に身体を向けた。 「例えば主人がカゴメカゴメと歌ったとしよう。主人がソウルドロップをかけて歌えば、二重の六芒星ないし十二芒星を紡ぐことになるのう」 「十二芒星……?」  十二芒星は最も安定した魔術紋様とも呼ばれ、日本の呪術では『茅の輪の陣』という名称で密やかに伝えられている。  日本呪術においては結界などを作る際に用いられていたらしく、その角と交差点に塞の神を祀った巨大な呪術陣形を塞の神が祀り残されている地域などで見ることができる。 「鶴と亀を滑らせる。つまり転ばせるという暗喩は、日本的にはめでたい物を転ばせる……つまり最大限に不幸にしてやるという呪いじゃな。後ろの正面誰? とは、呪いの対象は誰とも思えるが、鶴亀をふたつも転ばす呪いじゃ。対象と考えるよりも、別のものと考えるべきじゃな」 「別のもの?」 「後ろを正面にするとも取れるつまり、生贄の首を捻るのじゃよ」  アガレスは悪魔らしい唇の両端を吊り上げた邪悪な笑みを浮かべた。 「生贄を輪にして踊らせ呪術を開始する。そして輪舞が終わった時、術師の前にいた生贄の首を捻ってころし、後ろ(背中)を正面にして捧げて術を完成させるのじゃな」  忍は嫌なことを聞いたというようにしかめ面を浮かべた。アガレスはそんな主人の嫌悪感など御構いなしで話を続けた。 「人間はこの手の物の中に別の意味を含ませるということが大好きじゃな。寓意を込めたり呪術を込めたりすることを特に好むのう。絵画ではヴァニタス画しかり、呪術では嫁金蚕などじゃな」 「じゃあ、自殺した彼は自分の死になにかを含ませたかった?」  そう考えると笑い顔の死体にも意味があるように思えてくるから不思議だった。 「そこまで深い意味を考えて今どきの高校生が死ぬかのう?」 「なんだよ、それ。高校生差別か?」  今どきの若い者はという若者差別と忍は勘違いしたが、アガレスの言葉は違った。 「いや、たとえニオファイト位階程度の能力しかない魔術師であったとしても、高校生であればその可能性にかける希望は果てしないものじゃな。中二病じゃったか? あれが現実となり、ワクワクした状態じゃろう。そんな状態の人間が死を選ぶかのう?」 「えっと……イジメにあってたとか?」 「高校生程度にイジメられた中二病の魔術師が自殺などすまいて。反撃して相手を殺し、ニュースはもみ消されるじゃろうが、なんらかの噂は立つはずじゃな。それに、イジメの噂は生徒の間には微かでも広がるはずじゃろう?」 「あー……そういうことか……」  確かにイジメの噂は必ず学生の間には広がる。それが大人にまで伝わらないか、大人は見て見ぬ振りをするだけだ。  イジメが原因で自殺したなら、彼の死後に『やっぱりあいつらが……』という噂が広がっていてもおかしくはない。  そして、魔術師であれば高校生のイジメに簡単に反撃してしまえるだろう。  すべての魔術師にアガレスのような相談役がついているわけじゃない。生まれたての魔術師は、アンダーテイカーからいくつかの魔術を学んで現世に放り出される。その後、どう育つかは本人任せというやり方だ。  そして思慮が足りない魔術師は新たに得た力に溺れて自滅していく。  不幸にもイジメにあっている人間が魔術師となってしまえば、すぐさま魔術で反撃してしまうだろう。  それをしてしまった後にもたらされるものは、更なる不幸だ。  その魔術師の周りでは不審死が続くと噂されて孤立し、最終的には嗅ぎつけてきた異端審問官に狩られてしまうだろう。 「そういえば……おかしなことは起きていたのう?」 「おかしなことって?」 「待つのじゃ」  アガレスは時計を見た後にテレビのリモコンを持ち、その時間にやっているニュース番組を選んだ。 「最近、公園で猫や鳩の死体が相次いで発見されておる。ああ、これじゃ」  ニュース番組では、事件現場となった公園でリポーターが実況中継しているところだった。 『こちらの公園でも、今朝方、猫の遺体が発見されました』  そう説明するリポーターの背後には、遊具がいくつかある児童公園が見えた。すでに猫の死骸は片づけられたのだろう。一見するとただの児童公園にしか見えない。  だが忍の目のは変わった。  そこには、発動するまで魔術師の目にしか見えない五芒星の魔法円が描かれていた。 「なんで……」 「理由もなく小動物を殺す愚かな人間はいるが、不可視の魔法円まであるとなれば話は別じゃな」 「自殺した彼も関係してる?」 「それはまだわからぬが、主人の身近で起こった魔術事件となれば、関わらぬわけにはなるまいのう」  アガレスはヤレヤレという口調だったが、その顔にはヒマな時間から解放されるという喜びの表情が見え隠れしていた。  翌日、教室は自殺した彼の噂で持ちきりだった。  どうやらバスケ部に所属する3年生で、校内に多少の女子ファンがいる程度には活躍している学生だった。  ライバル校の生徒から大学推薦枠で妬まれていたから呪われたなど、憶測の域を出ない噂が広がっていたのは、彼に自殺する理由が思い当たらなかったことと、忍と同じように笑顔で飛び降りる彼の表情を見た学生たちが数名いたからだ。  確かに、あの顔は異常だった。  だが、あの魔法円と彼の死に今のところつながりは見えない。  アガレスの調べでは、昨日のニュースで取り上げられた小動物殺害事件と同じような事件は、この学校の半径5キロ以内で発生していた。  しかし、その公園を線で繋ぐと魔法円が浮かび上がるなどという陳腐な位置では発生していないし、その数も多い。例えるなら、面で周囲から埋めて学校を取り囲んでいくような……そんな印象だった。  そう考えると、小動物殺害事件の呪術は学校に関係があるようにも思えてくるのだが……?  そう思いかけて忍は頭を振った。まだそうだと決まったわけではないのだから、そんな先入観を持ってはいけない。 「十一夜くんはどう思う?」 「は? なにが?」  いきなり美奈から話題を振られて忍が訊き返すと、もう! というように美奈は怒ったふりをした。 「昨日からボーっとしてるけど大丈夫?」 「いや、大丈夫。で、なに?」 「佐藤先輩の自殺よ。自殺するような人じゃないって話だから、色々と噂が飛び交っているでしょ?」 「ああ……。でも、僕はその佐藤先輩のことをロクに知らないし」 「まぁ、十一夜くんは男の子だし、帰宅部だから興味ないか」  そう美奈のわきから身を乗り出してきたのは、彼女と噂話をしていた本山宏香(もとやまひろか)だった。宏香は名探偵でも気取るようにかけているメガネのブリッジを指先で押し上げると、ニヤリと口元を歪めた。 「ズバリ、イケメンが減って嬉しいと内心では思っているでしょ!」 「なにがズバリだ。人が死んでいるんだかは不謹慎だろ」 「そうでした、ごめんなさい」  格好つけて推理(?)を披露した割に、簡単に引き下がったのは、忍が正論を言ったせいだろう。 「でも、こんな軽口でも言ってないと、学校の空気が重苦しくてねぇ」  宏香がそう言うのももっともだった。学校は職員会議が繰り返されているために自習になっており、校門には大量のマスコミが詰めかけていて、登校する学生たちに次々と無神経なマイクを突きつけている。  この調子では、マスコミが佐藤にまとわりつく噂を嗅ぎつけるのも時間の問題だろう。 「ワイドショーでも、取り上げられてるもんね」  そう言ってスマホのワンセグ画面を見せたのは、穂高優だった。  彼女は枝毛でも気になるのか明るいブラウンのツインテールの毛先をいじりながら、ワイドショーで無責任な憶測を垂れ流す芸人のMCとコメンテイターたちを忌々しげに睨んでいた。 「報道の自由ってなんだろうね」 「無責任にテキトーなことを言う自由なんじゃないの?」  そんな優に、宏香は髪の乱れが気になったのか、後ろでまとめていた髪留めをはずしてまとめ直しながら辛辣な口調で答えた。 「ストーカーされていたとか、呪われていたなんて噂も流れているし、表向きはどうあれ、このノンビリした学校も意外とドロドロしているもんよね」 「ストーカー?」  忍が聞き返した時、フッと大きな影が窓の外を過ぎた。上から下へ落下する影だ。  それを見た宏香は目を見開き悲鳴を上げた。  彼女の悲鳴に教室中が振り返った。
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