第一章 波乱の赴任日

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 アナンは3年1組の副担任として川田ジロウの元につくことになった。 (あ、あの子だわ)  ホームルームでジロウが説明する中、アナンは窓際に座る男子生徒に気を取られた。それは先ほど北守ヨウスケと車から降りてきた生徒花村ヒトシだった。 (あの時は気がつかなかったけど、かわいい顔してるのね)  そんなことを思っていると、ヒトシが窓の外からアナンに視線を向けた。そして意味深な笑みを浮かべる。アナンは眉をひそめると視線を教室に戻した。 (あの馬鹿北守が何か言ったのかしら?)  彼の笑みは何やら彼女の秘密を知っているように思える。 (でもそんな時間ないはずだし)  冷静にそう分析するが、一緒に投稿しているところから二人の関係は単なる先生と生徒とは思えなかった。 (え?でも北守はノーマルだったし、あ、でも一回だけだから、そうとも思えない)  そんな想像をし始めて、アナンはますます頭をかかえる。 「町田先生、町田先生?」 「あ、はい。」  ふと気づけば川田先生が訝しげな視線を向けていて、生徒たちもアナンに注目していた。 「先生、彼氏のことでも考えていたの?」  生徒からそんな声が聞こえる。  アナンは顔が真っ赤になるのがわかった。生徒達はそれを見て騒ぎ立てる。 「皆さん!皆さんも彼氏、彼女のことを考えることがあるでしょう?町田先生をからかうのはそれぐらいにしましょうね。さ、さあ。町田先生。生徒達に自己紹介してください」  (彼氏って……違うんだけど……)  誤解を解くのも面倒で、アナンは気を取り直して自己紹介をするために教壇に立った。   「北守先生、ちょっといいですか?」  昼食時間、アナンは北守ヨウスケを職員室で見つけるとそう声をかけた。 「なんでしょうか?町田先生?」  ヨウスケは椅子に座ったまま顔を上げた。その表情は相変わらず読めないものだった。 「国語で使いたいと思っている地図があるので、地図がどこにあるか教えてくれませんか?」  それは嘘ではないか口実だった。地図があるのは倉庫ということを知っていた。アナンは二人っきりになってあの事を口止めする気だった。 「いいですよ。案内しましょう」  ヨウスケは意図がわかってか、すんなり席を立った。 「着いて来てください」  職員がおのおの昼食を取る中、アナンはヨウスケについて職員室を出て行った。  倉庫で二人っきりになったのを確認して、彼女は先に声を上げる。 「北守。あの事誰にも言わないでよね!」  するとヨウスケは意地悪な笑みを浮かべる。 「何のことですか?町田先生?」 「くっ、大学の時よ。酔った勢いで寝たことがあったでしょ」 「あーあれね。あんなこと。誰にも言うわけないだろう?」  ヨウスケは腕を組み、壁に寄りかかりながらそう言った。  その態度は馬鹿にしているようなもので、アナンを苛立たせる。だけど、彼女は怒りを抑え、余裕たっぷりな言い方を試みた。 「だったらよかったわ。そうよね。あんなこと誰にも言うわけないわよね。もちろん、あの仲が良さそうな花村って子にも言ったらだめだからね」 「仲が良さそうとは、まあ、幼馴染だからな。言わないさ。だが、条件がある」 「じょ、条件?あんた、さっき誰にも言わないって言ったでしょ?あ、あんなことって言ったじゃないの!」  ヨウスケが突然条件と言い出したので、アナンは嫌な予感を抱えつつ、少しパニックに陥る。 (何なの?お金かしら?)  顔色を変えた彼女にヨウスケはとんでもない条件を突きつけた。 「条件は簡単だ。その花村と寝てくれ。一度だけでいい。俺と寝たくらいだから、簡単だろう?」 「ふ、ふざけないでよね!」  アナンはそう叫ぶと近くにあった古い書簡をヨウスケに投げつけた。 「どうしてそこに花村くんが出てくるのよ!大体、私をなんだと思ってるのよ!」  そう言いながらアナンは自分が泣いているのに気がつかなかった。  ただ簡単に寝る女だと思われるのが悔しかった。 「もう。いいわ。誰にでも言ったらいいわ」  アナンは彼の反応を待たず、倉庫から逃げるように駆け出す。廊下を曲がったところで花村ヒトシにぶつかった。 「ごめん」  相手がヒトシだとわかったが、彼女はぶつかったことを謝るのが精一杯で、そのままトイレに駆け込んだ。  泣いた顔を見られたはずだった。けれどもアナンはヒトシに何と思われようと構わなかった。  ただヨウスケに蔑まれたのが悔しかった。 「ヨウスケ……。町田先生。泣いていたぞ」  倉庫に入ってくるとヒトシは幼馴染をなじる。 「知ってる……。悪いことを言った」  ヨウスケは書簡が顔に当たり、その勢いで落ちた眼鏡を拾いながらそう答えた。 「何を言ったんだ?大方、俺と寝ろとか言ったんだろう?」 「……なんでわかる?」 「そんなのお前の性格を考えればすぐわかる」  その言葉にヨウスケは苦笑した。 「お前たち守家が何を考えようとも俺は町田先生と寝る気はない。人を殺すくらいだったら自分が死んだ方がましだ」  ヒトシの言葉にヨウスケは何も答えなかった。 「俺は18歳までの残りの3カ月を楽しむつもりなんだ。小さいころから覚悟していた。変なことするなよ」  無言で自分を見つめるヨウスケに向かってそう吐き捨てると、ヒトシは倉庫を後にした。  ヨウスケは埃の舞う倉庫に1人残され、大きな溜息をつくしかなかった。
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