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続きです。
2.
鄭度說璋曰:「左將軍縣軍襲我,兵不滿萬,士衆未附,野穀是資,軍無輜重。其計莫若盡驅巴西、梓潼民內涪水以西,其倉廩野穀一皆燒除,高壘深溝,靜以待之。彼至,請戰,勿許,乆無所資,不過百日,必將自走。走而擊之,則必禽耳。」先主聞而惡之,以問正。正曰:「終不能用,無可憂也。」璋果如正言,謂其羣下曰:「吾聞拒敵以安民,未聞動民以避敵也。」於是黜度,不用其計。
(訳)
鄭度が劉璋に説いて言った。
「左将軍(劉備)の軍が遠征して
我が方を襲撃しておりますが、
士卒は未だ心服しておらず
その兵力は一万に満たず
野生する穀物を糧としており
軍には輜重がありません。
計としましては
巴西と梓潼の民を盡く
涪水以西へ駆らせ
倉廩や野の穀物をみな一様に焼き払って
塁を高くし溝を深くして、
静待するに越した事はございません。
彼(劉備)が至りて戦いを挑んできても
応じずにいれば、やがて軍資は尽き
百日を過ぎずして必ずや
自ずから敗走致しましょう。
逃走した処を追撃すれば
確実に(劉備は)虜となるのみです」
先主は聞いてこれを憎み、法正に咨った。
法正は言った。
「結局は用いられないでしょうから
ご心配には及びません」
劉璋は果たして法正の言う通り
その群臣に向かって
「私は、敵を防いで
民を安んずると聞いた事はあるが
民を動かして敵を避けるなどとは
いまだに聞いた事がない」と述べた。
こうした理由で鄭度を退け
その計略を用いなかった。
(註釈)
鄭度の焦土作戦!
実行されていたら、劉備は
益州を取れなかったかもしれません。
劉璋は「民のためを思った」と言えば
聞こえはいいですけど
代替案もなしにただ退けただけで
その後のことは何も考えておらず
ただ流れに任せるだけで策も無く
ほとんど行き当たりばったりです。
「おまえもしかしてまだ
自分が死なないとでも
思ってるんじゃないかね?」
という戸愚呂弟のセリフを送りたいです。
そうこうしているうちに
劉備・黄忠・魏延に広漢を半分落とされ
張飛に巴東を取られ
趙雲らに犍為に侵入され
どんどん状況は悪化していき……
このあと法正がジリ貧の劉璋に
降伏を勧める手紙を寄越すのですが、
その内容がめちゃくちゃ長いので、
分割して載せます。
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