法正伝

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この手紙も前半後半に分けます。 3-1. 及軍圍雒城,正牋與璋曰:「正受性無術,盟好違損,懼左右不明本末,必並歸咎,蒙耻沒身,辱及執事,是以捐身於外,不敢反命。恐聖聽穢惡其聲,故中間不有牋敬,顧念宿遇,瞻望悢悢。然惟前後披露腹心,自從始初以至於終,實不藏情,有所不盡,但愚闇策薄,精誠不感,以致於此耳。今國事已危,禍害在速,雖捐放於外,言足憎尤,猶貪極所懷,以盡餘忠。明將軍本心,正之所知也,實為區區不欲失左將軍之意,而卒至於是者,左右不達英雄從事之道,謂可違信黷誓,而以意氣相致,日月相選,趨求順耳恱目,隨阿遂指,不圖遠慮為國深計故也。事變旣成,又不量彊弱之勢,以為左將軍縣遠之衆,糧穀無儲,欲得以多擊少,曠日相持。而從關至此,所歷輒破,離宮別屯,日自零落。雒下雖有萬兵,皆壞陣之卒,破軍之將,若欲爭一旦之戰,則兵將勢力實不相當。各欲遠期計糧者,今此營守已固,穀米已積,而明將軍土地日削,百姓日困,敵對遂多,所供遠曠。愚意計之,謂必先竭,將不復以持乆也。空爾相守,猶不相堪,今張益德數萬之衆已定巴東,入犍為界,分平資中、德陽,三道並侵,將何以禦之? (訳) (劉備の)軍が(らく)城を包囲するに及んで 法正は劉璋に手紙を送って述べた。 「私は使命を受けながら方策無く 盟主との友好を違え、損なう事になりました。 左右の者が本末を明らかにせず、 必ずや揃って(とが)を私に帰して 恥辱によって身を滅ぼし、 辱めが執事(劉璋)へ及ぶ事を(おそ)れました。 そのため外地に身を隠して 敢えて復命致しませんでした。 私の声でご聖聴を(けが)す事を恐れたために あれから御便りを差し上げなかったのですが かつての知遇を顧みては 悲嘆に暮れ遠望しております。 然るに前後に腹心を披瀝(ひれき)して 終始に渡って腹蔵無く (ことごと)くを申し上げて参りましたが ただ私が愚かで策謀に疎く 誠心誠意を感受させられず このような事態を招いてしまったのです。 現在、国事は已に危うく 禍害は目の前に差し迫っております。 外に追放された身からの言葉は 憎悪されましょうが、それでもなお 心の内をひたすらに述べて 余忠を尽くしたく存じます。 明将軍(あなた様)の本心を 私はよく存じておりますが 実際区区として左将軍(劉備)の 意を失うまいと欲されながら (たちま)ちにかような事態に立ち至りましたのは、 左右の者が英雄に仕える道に通じておらず 信義を違え誓約を(けが)すべき事を述べ 意気を以て互いに合致し 月日を経るに従って、耳通り良く 目を悦ばせる事ばかりを求めて あなた様のご意向に阿諛(あゆ)追従し、 国家の為の遠謀深慮を 計らなかった故なのです。 変事の成された後も また形勢の強弱を量らず、 左将軍の遠来の軍勢に 糧秣の蓄えが無く(と判断して) 多数で少数を撃ち、 (むな)しく日数を掛けて 持ち堪えようとしております。 しかし関(白水)よりここに至るまで 通過した所は全て打ち破り、 離宮や遠方の駐屯地も 日毎に零落しております。 雒城には一万の兵があると雖も みな壊陣の兵卒・破軍(敗軍)の将であり もし一旦戦を交えようとなされても 兵将には実際に(劉備に) 相対できるだけの勢いはございません。 糧秣を計算し、耐久策を望まれますなら 今、この陣営の守りは既に固く、 穀米を積まれておいででしょうが 明将軍の土地は日に日に削られ、 百姓は日々に困窮し、敵対者はかくて増え 供給先は果てしなく遠くなっております。 愚計しますに、必ず先に糧秣が尽きて 持久戦を続けられなくなる事でしょう。 そうして虚しく守ったところで やはり持ち堪えられないでしょうし、 今や張益徳の数万の軍勢が 已に巴東を平定して犍為(けんい)の境界に入り 分勢が資中・徳陽を平らげ、 三路から同時に侵攻しておりますが、 どのようにこれを防がれるのですか?」 (註釈) ながい
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