法正伝

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法正からの手紙、後編です。 黄忠伝よりこの手紙の方が長いのでは…… 3-2. 本為明將軍計者,必謂此軍縣遠無糧,饋運不及,兵少無繼。今荊州道通,衆數十倍,加孫車騎遣弟及李異、甘寧等為其後繼。若爭客主之勢,以土地相勝者,今此全有巴東,廣漢、犍為過半已定,巴西一郡,復非明將軍之有也。計益州所仰惟蜀,蜀亦破壞;三分亡二,吏民疲困,思為亂者十戶而八;若敵遠則百姓不能堪役,敵近則一旦易主矣。廣漢諸縣,是明比也。又魚復與關頭實為益州福禍之門,今二門悉開,堅城皆下,諸軍並破,兵將俱盡,而敵家數道並進,已入心腹,坐守都、雒,存亡之勢,昭然可見。斯乃大略,其外較耳,其餘屈曲,難以辭極也。以正下愚,猶知此事不可復成,况明將軍左右明智用謀之士,豈當不見此數哉?旦夕偷幸,求容取媚,不慮遠圖,莫肯盡心獻良計耳。若事窮勢迫,將各索生,求濟門戶,展轉反覆,與今計異,不為明將軍盡死難也。而尊門猶當受其憂。正雖獲不忠之謗,然心自謂不負聖德,顧惟分義,實竊痛心。左將軍從本舉來,舊心依依,實無薄意。愚以為可圖變化,以保尊門。」 (訳) 本来明将軍のために懸案した者は この軍が遠来し食糧無く 輸送も追いつかず、兵は少なく、 後続の軍も無いと、必ずや述べた筈です。 今荊州との道は通じ、兵力は十倍で 加えて孫車騎(孫権)は弟御 および李異(りい)甘寧(かんねい)らを派遣して その後続とさせております。 もし主(劉璋)客(劉備等)の勢力が 領土を以て互いに勝敗を争ったならば 現在(劉備は)巴東の全域と 広漢・犍為(けんい)の半分以上を已に平定し、 巴西の一郡とてもはや 明将軍の有する処ではございません。 計るに益州が恃みとしているのは ただ蜀郡のみでありましょうが、 蜀もまた破壊され、その三分の二を亡くし 官民ともに困苦して、叛乱を企てる者は 十戸のうち八にまで及んでおります。 もし敵が遠ければ百姓は労役に堪えられず、 敵が近ければ一朝で主を 変えてしまう事でしょう。 広漢の諸県がまさしくこれに当たります。 また魚復(ぎょふく)と関頭とは実際に 益州の禍福を現す門でしたが、 今や二関ともに開かれて堅城は皆下り、 諸軍は揃って破られ将兵ともに尽き、 しかも敵は複数の道から並進して 中心部に入ってしまっており、 坐して成都、雒を守っていては 存亡の趨勢は明らかに見る事ができます。 大略は斯様なところで これはその輪郭に過ぎません。 その他の詳細な事柄については 言葉に言い表すのは困難です。 私は下劣で愚昧ではありますが、 それでもなおこの事が 成就されないのを承知致しており ましてや明将軍の左右の智謀の士に どうしてこれらの道理を 知見できぬ事がありましょうか。 朝な夕な寵愛を盗んで 包容を求めて媚び(へつら)い 将来の計画に思いを巡らさず 心を尽くして良計を 献策しないだけなのです。 もし事態が窮し状況が逼迫すれば 将は各々生きる事を求めて 一族門戸を救おうと態度を変えて反覆し みな共に現在とは異なる計を立てて 明将軍の為に死を賭して難局に立ち向かわず 尊門はやはり憂いを被る事でしょう。 私は不忠と謗られておりますけれども 依然として心は聖徳に背いてはおらず、 節義を顧みまして誠に心を痛めております。 左将軍は此度至ってからも 旧交を忘れておらず 酷薄の意は全く持っておりませぬ。 変化の事を図って、尊門を 保たれるべきかと具申致します」
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