2日目「朝日」

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「ごめん莉緒ちゃん。私こんな時間まで寝てて。結構待たせちゃったでしょ」  莉緒ちゃんは私の格好に一度目を大きく開いてから、淡々としたトーンで返答をする。 「いや、別に大丈夫ですよ。お邪魔しちゃってるわけですし……って。麻里さん。本当にお邪魔してる身でなんですけど、生徒の前に良く下着姿で出てこれますね」 「あぁ。ごめん?」 「大人はもう少しデリカシーがあるものだと思ってました」 「私もそう思ってた」  つくづく私の無神経さには感心する。 「部屋に人を呼ぶ時いつもそんなことしてるんですか?」 「そもそも、ここに人を上げたの数年ぶりだし」 「友達とか来たりしないんですか?」 「社会人になってから友達付き合いなんて殆どなくなったかな」 「彼氏は?」 「それが数年前に家に上げた最後の人。それっきりここには誰も立ち入ってないの」 「寂しいもんですね」 「案外そんなことないよ」  適当に髪を纏めながら生返事でキャッチボールを行う。 「莉緒ちゃん、お腹すいた?」 「え、まぁ、はい」 「朝ご飯どうしよっか」 「もうお昼ごはんですけどね」 「そういうのいいから」  空腹感を感じ冷蔵庫を開けるが、昨日の今日で何かが入っているわけがない。あるのは缶ビールだけ。お腹が空いても食べるものが無ければどうしようもない。 「麻里さん絶対に料理しなさそうですよね」 「失礼。たまにするから」 「たまに料理する人の冷蔵庫にはもう少し何か入ってると思うんですけど?」 「タイミングが悪かっただけ」  外に出るという大きな壁に阻まれていつもならこの空腹も我慢してしまうが、人がいるならそうもしていられない。大きく息を吐いて、覚悟を決めた言葉を吐く。 「買い物行くかぁ」 「スーパーですか?」 「コンビニ」 「いや、流石に……」 「スーパーに行っても総菜買うんだからどっちみち一緒」  今度こそ少女は私に幻滅の目を向けるが、そんなものはどうだっていい。数日も一緒にいたらどうせ全部バレるんだし。 「ほら、行こ。というか、家に一人で置いておくの怖い」 「はい。行きます」  手招くと慌てて彼女は立ち上がる。 「あ、でも先にシャワー浴びちゃって。莉緒ちゃんの服洗っちゃいたい」 「私、これ以外に服ないですよ?」 「だからってずっと着てる訳にもいかないでしょ。私の服貸すから」 「ありがとうございます。……それは、お言葉に甘えるんですけど」 「なに?」 「いや、まず麻里さんは服を着て髪を乾かしましょうよ……。そのまま行くつもりですか?」  あぁ、忘れてた。服を着なきゃ。 「たまに忘れそうになるんだよね」 「……それは絶対にやっちゃいけない事です……」  莉緒ちゃんの私を見る目が完全に失望に変わったのを見ないように、私はその場で視界をバスタオルで覆った。  一歩外に出れば照り付ける日差しは肌に汗の球を作らせる。  七月後半。梅雨は数日前に明けた。  数日前までは毎日の雨にうんざりしていたけれど、今ではその曇り空すら恋しい。アパートから徒歩数分のコンビニまでの道のりでさえも苦行に思える。  隣を見れば、へたっている私とは正反対に生き生きと夏の暑さの中を歩く少女。私が貸した彼女には少し大きめのシャツは決して不格好ではなく、可愛らしい容姿と相まって様になってしまっているが、ずっと私の服を貸し続けるわけにもいかない。 「色々と買わなきゃね」 「麻里さんそんなに食べるんですか?」 「違う。莉緒ちゃんの身の回りの物」 「あぁ……」  彼女は言葉通り「その身一つ」で私の家に転がり込んだ。  正確にはポケットに携帯電話と財布を入れていたけれど、それ以外の何も持たずに私と出会った。それこそコンビニにでも行く格好と表現するべきだろうか。  そんな恰好で彼女は死のうとして、私はそんな彼女を引き留めた。  だから今の彼女は何も持っていない。命すら川に捨てようとしていたのだから、当たり前と言えば当たり前か。 「服とか、他は……。食器とか歯ブラシとか?」 「同居みたいですね」 「不本意だけど、その通りだし」 「酷くないですかー?」  外を歩きながら誰かと話すのも久しぶりだった。梅雨明けから鳴き始めた蝉の声のせいで言葉が聞き取りにくい。 「明日、ちゃんと買い物に行こっか」 「はい!」  適当な服に生活用品を買いそろえて……。とりあえず五万円程おろしておけば大丈夫だろうか。  社会人になって三年。趣味もなく贅沢もしない。貯金はかなりあるから、人を一か月養うくらい余裕でできる。  私が財布を出す義理なんて無いはずなのに、自然とその思考に至ったことに我ながら驚いている。 「莉緒ちゃん?」 「なんです?」 「いや、何でもない」 「なんですかそれ……。年頃のカップルですか?」  見上げるように私の顔を見る少女を見返し、やはり私の胸の中に違和感があることに気が付く。名前を付けることはできないが、決して優しい感情ではない事だけは確かだった。  自分自身すら理解できない物に戸惑いながらも、私は取り繕うように笑った。 「今日は味噌ラーメンの気分だなって」 「寄りにも寄ってカップ麺なんですね……。麻里さん健康を気にしたことってないんですか?」  今私に出来ることはたった一つ。彼女と多くの言葉を交わして、彼女を知ること。  だから私はもう一度、彼女に笑顔を見せた。
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